第10話
そう言えば、思い出したことがあります。お話ししても構いませんか?…では、お言葉に甘えて。
私が祖母の家に引き取られてしばらく経った頃でしたから、あれは小学三年の時のことだったのかな?とにかく、小学校の下校途中のことでした。
その時はまだ、一緒に帰るような相手もいなくて、私が一人で歩いていると、もう今では顔も名前も覚えていないんですけれど、普段話したこともない、同じクラスの男子が、いきなり後ろから、私をランドセルごと突き飛ばしてきて、「やあい、インラン親父とインランお袋から生まれたインラン娘、やあい!」って囃し立てたことがあったんです。「インラン」って、その時は意味が理解できなかったけれど、両親の離婚のことで自分が馬鹿にされている、っていうことだけは、さすがに直感的に理解しました。…それと同時に、通常の人体の血液の流れを全く無視する勢いで、自分の顔から血の気が引くのがわかりました。その時の自分の顔色なんか、勿論自分の目からは見えやしませんけれど、でも自分の唇が、局所麻酔を掛けられた時みたいに端からずんずん冷たくなっていったのは、物凄く良く判りましたから。
普段から私、祖母に「そういうのは相手にするんじゃない」って言われていましたから、大抵は黙ってスルーしていたんですけれど、その時ばっかりは我慢できなかった。何か…理性の箍が弾け飛んだみたいな、…ああ、そうですね、「堪忍袋の緒」です。さすが言葉を使うのがお仕事の方ですね…。とにかくその、私の堪忍袋の緒が、音を立てて切れたのが、それはもう、手に取るようにはっきりとわかりました。
私、ほとんど反射的に、お返しじゃないですけれど、相手の胸を思い切り突き飛ばして、相手が尻餅つく前で足踏ん張って、父親にも母親にも見棄てられたヤツの気持ちがお前に分かるか!?インランだろうが何だろうが私の親だ!!って啖呵切って、家まで走って帰りました。
…いいえ、泣きながら、じゃありません。家にたどり着いて、ちょうどお稽古がお休みで、「どうしたの葵!?」って言いながら出迎えてくれた、いつもの割烹着姿の祖母を見て、初めて涙が出てきたの、覚えていますから…。ただいまも言わないで祖母にすがりついて、さっきあったことを全部ぶちまけました。
祖母もね、私の話を聞くなり顔色を青くして、
「子供の喧嘩に保護者が出るのは気が進まないけれど、いくら何でもこれはちょっと酷すぎる。第一、子供の喧嘩って言うには、少しばっかり洒落にならない」
って、即座に学校に掛け合ってくれて…。何よりその時のPTAの会長さん、祖母のお弟子さんで、私とも、相弟子の顔見知りだったんです。祖母という人は、いざとなればそういう、搦手からも攻勢掛けるようなことを、全く躊躇わない人でした。「不必要に喧嘩を売る必要なんかないけれど、こちらに対して礼儀を守らない相手に、こちらが礼儀を守る必要も、遠慮して手加減する謂れもない」って、良く言ってましたっけ…。
その男の子ですか?…多分、親だの担任の先生だのにこってり油を絞られたんでしょうね。翌日、無言で教室に入って行った私の顔を見て、何か言いたそうな顔していましたけれど、でもそれ以降は、私に絡んでくることはありませんでした。…ええ、本当に、顔も名前も覚えていません。
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