第9話

え、…名前、ですか?私の?……ええ、父が付けました。

ええ、そう思われますよね?私、逆の冬の子、二月生まれなんです。

ええ、先月、…二十八に。

…そう言えば、あれはいつだったか、確か私が幼稚園に通ってた頃のことだと思いますけれど、夏場に父と道を歩いていて、「これが葵の花だ」って教わって、なんで私、夏の生まれじゃないのに「葵」なの?って訊いたことがあります。まだ離婚の話なんか、少なくとも当時の私には、気もなかった時分の話です。

父は「植物の『葵』は、元々は「逢ふ日」なんだ。良く見なさい、真っ直ぐ太陽に向かって咲いているだろう?…その上に、花言葉が『大望』、大きな望みだ。どうだ、いい名前だろう」って威張ってました。

後で祖母に聞いた話ですが、私が生まれる時に、…女の子、っていうのは分かっていたので、父はとにかく花の名前がいいって言って、ただの植物図鑑じゃない、植物の名前の由来やら、花言葉やら何やらまでがちゃんと載ってるっていう、馬鹿馬鹿しく大きくて分厚い事典買ってきて、暇さえあればひねくっていたそうなんです。

祖母は「男の人ってのは、どうしてああだろう」って苦笑いしていましたけれど…。私も、「立花」って、名字にも「花」の字が入っているのに、何でわざわざ花の名前、付けるんだろう、って思っていました。

そう言えば、祖母もね、変…って言うと悪いですけれど、何て言うか、…可笑しいところ、ありましたよ。祖母は元々、立花の家の家付き娘なんですよ。私は今でも良く知らないんですけれど、うち、何でもそれなりに由緒があるらしくて…。「立花の家は世が世なら」って、良く言っていました。

まあ、大抵これは、いわば私にお説教する前置きで、…要するに、私にしっかりしろってことですね。ご期待に添えなくて、お祖母ちゃん、ごめんなさい…って、不肖の孫娘は平謝りするしかないです。


もう少しだけ祖母の話、しても構いませんか?…ありがとうございます。

うちの祖母ね、本当に立志伝に出てくる人みたいだったんですよ?家付き娘に甘んじないで、お稽古事の茶道で、頑張って師範の資格まで取って、祖父が早く亡くなったあと、茶道教授で身を立てて、女手ひとつで一人娘の母を育てて、大学まで出したっていう…「賢女」って言うか、…孫娘の私が言うのも何ですけれど、いわゆる「女傑」です。

伍代さん、うちの、仏間の次の間、ご覧になりましたよね?…あそこね、本当はお茶のお稽古、できるようになっているんです。炉も切ってありますし。

……伍代さん、うちの祖母はね、本当に格好良い人だったんです。起きてる間はいつも着物で、しゃん、としてて。…そりゃ、お稽古終わったら、「あー、疲れた。葵、少し肩揉んで」なんて言う時もありましたけれど。でも、いざという時には、何があっても、全力で私を守ってくれましたし、私も、そんな祖母の隣に自分がいて、祖母を手助けできるってことが、本当に嬉しかった。

母は、その…先ほどお話したような人なんですけれど、「女傑」の一人娘としては、もしかしたら、母親である祖母に対する複雑な感情もあったのかも…って、今ではそう思います。

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