アナザー2-5 「はじまりのはじまり」

 太陽の姿がもう少しでなくなりそうな時間まで外を眺めていた由香が、何度目かの伸びをした。


「ん〜!マジでいい眺め」

「何回言うんだよ」

「いいじゃん。何回だって」

「由香だっていいとこ住んでるんじゃないの?」

「って思うじゃん?それがそうでもないんだなぁ。ほら。夜ホテルだから」

「お持ち帰りか」

「帰ってないけどね」


 クスッと笑いながら由香はシャツのボタンを外していく。


「ここで着替えるなよ」

「なんで?誰も見てないし、見えないでしょ」

「俺が見えんだよ。バカ。そのデカい乳早くしまえ」


 リビングに脱ぎっぱなしになっていたブラを投げつけた。


「む。そんな言い方していいのかな?見たいなら見たい、って言った方がいいと思うよ?お姉さんは」

「散々男に舐め回されて、いじくり回されて黒ずんでるのなんか見たいとは思わないわ」

「黒ずんでないよ!?」


 どうだか。


 キッチンの蛇口を捻ってコップに水を入れて飲み干す。


 ぬるくてお世辞にもうまいとは言えないけど、身体に水分がしみ渡るのを感じる。


 ああ、ちなみにパンツはちゃんと履いていた。シームレスの男モノのボクサータイプのパンツだった。


「色気もへったくれもないな」って言ったら、「下着のチョイスは穂波には勝てないから一緒にいるときはいつもネタに走るんだよねー」と意味わからんことを宣っていた。ちなみに新品だとか。そんな情報誰も求めてないんだけど。


「とりあえず、もう夕方だし時間いっぱいまで服を見にいこうか……って行きたいところだけど、ん〜……髪の方が先かな」


 着替えてきた由香が俺の頭に手を伸ばしてそのまま髪を撫でながら言った。


「モサモサじゃん。ゲームのモブって言われてもおかしくないよ?」

「そろそろ切りに行こうと思ってはいたんだよ」


 前髪が目に刺さるほどじゃないけど、視界には入り込んでくる長さまで伸びてる髪は、俺の感覚ではそろそろ切りごろ。と言っても、予算がすぐに確保できるわけじゃないので、実際に切れるのはここから2ヶ月くらい先だったりする。


「じゃあ、なんで行かないの?」

「そりゃあ、予算がないからな」

「マンガとか買うお金はあるのに?」


 そう言われて俺は言葉に詰まった。が、すぐに言い返す。


「優先順位の問題だろ。俺は髪とか服よりもそっちの方が上なだけだ」

「それはそうだけど」

「髪も服も必要になったらいつでも買えばいいけど、本はそのとき買わないと次はないし、時間が経てば経つほど手に入らなくなる。希少性と実用で言えば本の方が圧倒的に上ってだけ。俺の中ではな」

「む。そう言われると、たしかに……。マンガとか、たしかに電子じゃなくて現物はそのとき買わないと手に入らないよね」


  むむむ……と唸る由香に俺はちょっと安心した。


 親にも同じ話をされたことがあったけど、そのときは「そんなことのために〜!」とかなんとか言ってとにかく頭ごなしにブチ切れていた。もちろんそれ以上話を聞く気はなくなったし、話す気もなくなった俺は、それ以来家には帰ってない。


 価値観が合わないヤツと一緒にいても気分が悪くなるだけで、いいことなんか何もない。


 一方で、由香は一応なりともこちらの言い分を聞いてくれたっぽい。その点だけで言っても、頭ごなしに自分の言い分だけを押し付けてくる親とは違う。どっちが信用や信頼に足るかなんて言うまでもない。


「ん〜……どうしよっかな。言ってることは間違ってないんだよなぁ」

「当たり前だろ」


 間違ってたらこんな状態になってないっての。変えるつもりもないけど。困ってないし。


「じゃあ、その辺のお金があるとして。余裕もできたとして。切りに行くとしたらいつ?」

「……来週?」

「そこは明日、とか言わないんだね」

「突発で見つけることもあるからなぁ」


 これはホント。新刊を探し回ってるだけなのに、ふとした拍子に見つけることがあるのだ。俺的には「呼んでる」ような感覚なんだが、それを話しても理解を示したのは創司だけ。ほかは首を傾げてた。


「ん〜……そっか。なるほどねぇ。たしかに今までの子とは違うかも」


 由香はボソッと言ったけど、俺にはなんのことかわからなかった。


「っと。そうだ。あのさ。お願いがあるんだけど」

「なに?」

「しばらく泊めてくんない?」

「……はい?」


 何をお願いするのかと思ったら、泊まる……?何を言ってるんだ、コイツは。


「や。昨日行って今日、ってか昨日?行くのを辞めるって言ったでしょ?」

「ホスト?」

「そうそう」


 頷く由香に続きを促す。


「ここまでは穂波と創司くんが連れてきてくれたからいいんだけどさ。ここの下、行ってた子たちも使ってるんだよね」

「へえ」


 まあ、ブランドのテナントとか入ってるからな。さもありなん。っていうか、思ったより近くを歩いてるんだな。ホストって。


 まったく気づかなかった。


「ちなみに通ってる女の子たちもこの辺にいるんだよね。バッチバチに敵視してた子とか」


 サラッと由香が言った一言に俺は震え上がった。


「……それって大丈夫なの?後ろから刺されたりしない?」

「善人に見える子ほど、気をつけた方がいい、ってのがあの業界のだよね」

「……」


 なんか、余計にこの辺で歩きたくなくなったんだけど。


「ってことで、ほとぼりが冷めるまで泊めてもらえないかな?って言ってもぶっちゃけ拒否権はあってないようなモンだけど」

「ないのかよ」

「その代わりと言っちゃあアレだけど、一緒のベッドで寝るのと、服と生活費その他諸々はわたしが費用を負担するってのでどう?キミのお小遣いは全部キミの趣味に使ってヨシ。その代わりその身体とこの場所をわたしに貸して」

「小遣い全部俺が使っていいのか?」

「いいよ。そのくらい。っていうか、その程度で足りる?って聞きたいんだけど」


 マジかよ。


 って思ったけど、その生活は由香と一緒に行動することが前提になる。


 あの柔らかい2つの大玉スイカはこの上なく魅力的だが、その代わりにするのが身の危険?リスクありすぎだろ。


「ま、それは考えてもらうとして。とりあえず髪、切りに行こっか」


 俺の思考を断ち切るように、ぽん、と由香が手を叩いた。


「予算ないって言ったよな?」

「だから、わたしが出すってば。ほら、予約したから行くよ」

「ええ……?」


 腕を引っ張られながら俺は思った。


 コイツ、行動力が半端じゃねえ。


「カット……だけでいいよね?」

「いいけど……マジでいいの?」


 エレベーターに乗って商業エリアを突き抜け、たどり着いた先は美容院。


 俺が使ってるところも美容院だけど、ここは全然雰囲気が違う。なんていうか、いい匂いがする。


「キョロキョロしすぎ」

「いや。だって、そう言われても」


 観葉植物がそこかしこにあって、自然の中にいるような感覚になる。


「由香はどうする?席は空いてるけど」

「ん〜……どうしよっかな。トリートメントだけお願いしようかな」

「おっけおっけ」


 軽いノリの店員さんは由香の友達らしい。友達、って言っても、ホスト絡みだから友達というにはちょっと憚れる仲だとか。


「んじゃ、席は隣にするとしてっと。ほい。じゃあ、これ着てもらって」


 と店員さんが収納からガウンを出してきた。袖に腕を通すと、そのまま席へと案内される。


「どんな感じにする?」

「ん〜……前髪は――」


 店員さんは俺じゃなくて由香に話を振ると、由香があれこれと指示を出していく。


 由香が言ってる言葉は注文が呪文のように聞こえる某喫茶店よろしく、何を言ってるのかまったくわからない。


「おっけおっけ。じゃあ、切ってくね」


 っしゃー!やったるでー!と謎の掛け声を出して店員さんはクシとハサミを手に取った。

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