アフター59 「新しいはじまり」

 電話の向こうで雫が静かに言った。


『ん。大丈夫。』

「ほんとに?ペナルティとかない?」

『ん。ない。先生ズはそういうのしないことにしてる』

「はあ〜……」


 寄りかかっていた壁をずるズルズルと落ちた。


 なんか一気に疲れた気がする。


『もともとその予定だったらしいよ?』


 電話の向こうで別の声が聞こえてきた。ちょっと遠くからだったからたぶん霞……かな?


『ん。穂波はともかく澪は次以降もそのままで大丈夫』

「そう?」

『ん。万が一があっても何とかできるし、なんとかする』


 なんとも頼もしいお言葉だけど、正直いいのかな。って思ってしまう。


『ウチらのことは気にしなくていいって。そもそもアンタはスタートでズッコケてその上「恋愛のれの字もわかりませ〜ん」な周回遅れなんだよ?むしろ拗らせなくてよかったじゃん』


 そう言われたらそうなんだけど、それはそれで腑に落ちない。っていうか、気を使われてる気がしてなんか微妙な気分になる。


『ん。おめでと。ぱちぱち』


 けど、雫のやる気のなさそうな拍手をもらってどうでもよくなってしまった。


「穂波は?どうするの?」


 壁の向こう側からうめき声みたいな、もはや音としか言えないような声が漏れてくる方に目を向けて聞いた。


『一緒でいいんじゃない?まあ、1ペナくらいはあるだろうけど』

『ん。妥当。千聖経由で蒼にしばらく英雄って呼んでもらう』

「英雄、ねえ」


 歴戦の猛者(意味深)、だから「英雄」か。


 誰が最初に言ったのか知らないけど、上手いこと言ったつもりならぶっ叩きたくなるくらい、しょーもないネーミングセンスだな、と思う。


 ちなみに千聖(ちせ)も蒼(あお)もみんなの後輩で表向きの人員として確保した探索部の子たちで、今のところはいい子だと思ってる。最近雲行きが怪しいけど。


「でも、ホントにいいの?」

『ん。澪はいい。むしろそう考えてくれるから大丈夫って言ってるって考えて』


 そう言われちゃうと何も言えなくなっちゃうんだけど。


「ん〜……でも、結局好きとかわかんないままだよ?」


 そう。した後も結局わたしはそれに引っかかったまま。


 考えてもどうしようもないってことはわかってるけど、それでもやっぱり――、とは思ってしまう。


『ん。それはまだソウくんをちゃんと知らないからだと思う。いろいろ拗らせてる澪は一線を越えるくらいじゃダメってのは私もわかってる。そこは安心していい』

「……」


 さすが雫様。なんでもお見通しらしい。けど、なんだろう?わたし、そこまで拗らせてないと思うんだけど。


『って言っても、ウチらにできるのは接触の機会を増やすだけだけどね』


 ってのは霞の声。

 

「それでなにかわかるもの?」

『んなわけないでしょ』


 バッサリ切り捨てられた。


『んなもんでわかるんだったら世の中のカップルが別れるわけないっての。お互いを知って、妥協できるとこは妥協して、譲れないってとこは妥協してもらうようにすんの。一方的に押し付けるんじゃなくてね。って、そこはアンタはよく知ってるでしょ』


 感情を押し付けられるのはたしかによく知ってる。


 何も知らない、話したこともない人に突然呼び出されて「好き」って何度言われたことか。


 でも、そっか。たしかに、言われてみれば創司くんのことは双子の彼氏で、みんなの彼氏、くらいにしか認識してなかったかもしれない。


『ホントは先にそっちなんだけど』


 そう言われるとぐうの音も出ない。


 しかも双子の彼氏。胸を借りる、なんて普通に考えてしていい相手じゃない。


 浮気だよ?浮気。まごうことなき断罪モノですよ。


「いいのかなあ」

『いいっての。むしろ、いろいろすっ飛ばしたから逆にちゃんと見れんじゃない?現実をさ』

「そんなもの?」

『たぶんね』


 そうなのかな。


 でもわたしに比べたら困ったら聞けってくらい恋愛相談に乗ってる霞の方が明らかに上級者であることは間違いない。


『思ってるよりどうにかなるし、思ってるよりどうにもなんないよ。やってみて、失敗して反省と後悔して、またやってみる、を繰り返してけばいいの。いつも言ってんでしょ、自分が。恋愛も一緒』

「……2人も?」

『ったり前でしょ。んなの小学生どころか幼稚園の頃からやってるっての』


 そういえばそっか。3人は幼馴染だったっけ。


『ケンカなんか死ぬほどしたし、中学は別になるくらい疎遠だったのを越えての今だから。んなそこら辺のケンカして「価値観が合いませんでした~」つって別れるなんて言ってるカップルとはレベルが違うよ』

『ん。でも、澪はそこまでがんばらなくていい』

「え?」


 雫の言葉に耳を疑った。だってそうでしょ?霞は焚きつけるように言ってきたのに、雫は「がんばらなくていい」……?


 意味が分からなかった。


『ん。同じになろうって思うかもしれない。けど、ならなくていい。そもそも私たちと違って最初っから他人。身内じゃない』

「それを言ったら――ってそっか。幼馴染か」

『ん。が違う』


 なんか見せつけられちゃったなぁ。


『だからって遠慮しなくていいから。したいことはしていいし、創司がいて欲しいってんなら引っ張ってっていい。抜けるって言いだして、また拗らせの逆戻りするくらいならウチらが引き戻してあげる。ま、つってもそんなことしたら――どうなるかわかってんでしょ?もうアンタはそんな甘っちょろいこと言えないんだから。ね?セ~ンセ?』


 霞の声に冷たいものが背筋を走った。


 あれ?今さらだけど、わたしマズいところに入っちゃったかもしれない……?


 そう思っても時すでに遅しとはこのこと。


 とはいえ、じゃあほかに行き先がある?って聞かれたらそんなものはない。いや、お姉が用意してくれるかもしれないけど、お姉とわたしの趣味が合わないんだよなあ。


 もうホント、絶望的に合わない。今回の合コンがいい例だと思う。


「あっ!!うううんんんっ!!」


 壁の向こう側から穂波の声が漏れてきた。


『ん。今の穂波?』

「聞こえた?」

『ん。ばっちり』


 親指を立ててグッ!てやってる雫の顔が目に浮かんだ。


『とにかく!そういうことだから。別に用意しなくていいよ。ウチらもそろそろ解禁するって話だし』

「え?解禁?って、ちょっと待って?みんなこの前初めてしてでしょ?っていうか、まだ学生じゃ――」

『ん。花音はもう社会人1年目。私たちも今年から就活だけどそんなつまらないことする気はない。そっくりそのまま涼のところにみんなで転がり込む。だから大丈夫』

「ええ……?」


 いや、まあ。さあ……。いいんだけど。いいんだけどさ!そういうことじゃなくて!!


『あ、言っとくけど、ちゃんと適材適所ってのは言ってあるから安心して?』

「う、う~ん……?」


 あんしん……?できる、のかなあ?あのドジっ子な涼でしょ?不安だ。不安すぎる。安心できる要素どこかにある?


『ん。とにかくそういうことだから。大人は一足お先にどうぞ』

「雫がそう言うならいいけど」


 正妻が許可するんだからいい、って考え方もどうかと思うけど、これで不安材料はなくなった。少なくとも今日の出来事とわたしに関するこれからについては、だけど。


 ホッと胸をなでおろしたわたしに霞が一言。


『あ。言っとくけど、ナシでいいってのはサービスじゃないから。ハンデ。勘違いしないように』

「え?は、ハンデ?サービスじゃないの?」

『ん~なわけないでしょ!?もうちょっと拗らせてたら永久にデキない女になるとこだったのを助けてあげただけなんだから!サービスは今回限り!こっからは誰が先に――って全部言わせるなぁ!!』


 ドン!ってものすごい音がスピーカーから響いてきた。


『ん。ってことだから。澪、ここからがはじまり。みんなで謳歌しよう』


 それだけ言って双子の電話は切れた。


「はじまり、か……」


 うん。たしかに。新しいはじまりにするにはいい機会かもしれない。


「よいしょっと!」


 わたしは決心して立ち上がった。


 さっきのは双子からの宣戦布告。やれるもんならやってみろ、と言われて動かないわけにはいかないでしょ。こっちは大人なんだから。


「よーし!じゃあ、いきますか!」


 とりあえずうるさいあのバカを黙らせるところからかな。


 寄りかかっていた壁から離れて、わたしは新しい一歩を踏み出した。

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