アフター39 「困ったときのぶん投げ」
『しもしも~?どった~?』
お店の外でほのかに電話をすると、ケロッとした声が返ってきた。
「どった~?じゃないんだけど。なにあのメッセージ」
ホントにこっちに向かってるらしく、電話の向こう側からはガタンゴトンと電車の音が聞こえる。
『あ~あれ?』
「本気で別れるなんて言ってないよね?」
『んにゃ?マジマジ。大マジ。実家に帰らせてもらいます、って言って出てきたよ?行き先は麻衣んとこだけど……って、あ、そっか。麻衣は乃愛と一緒に住んでるんだっけ?』
「どうして急に……」
あまりに急すぎる事態にわたしの思考が追い付かない。
『だってさあ~……――』
底から聞こえてきたのは彼氏の不満――と見せかけたタダの惚気。
いかにして彼氏をその気にさせて文字通り搾り取るかという心底くだらない、清々しい朝とは真逆の内容だった。
白が透明になるまでどのくらいかかるかのタイムアタックまでしてるとか意味わかんないし。マジでなにやってんだか。……いや、ナニはしてるか。
『麻衣も彼氏にやってみたことあるでしょ?水着で誘惑するの』
「あるわけないでしょ!?」
わたしの反応がほのかのお気に召したようで、電話の向こうからケタケタと笑い声が聞こえた。
『またまた~。年上彼氏んときに赤ちゃんプレイまでさせたクセに』
「ぐっ……!ぬぅ……」
乃愛のヤツ!ほのかにチクったな!!
『しかも高校入学してすぐんときでしょ?ヤバすぎでしょ、その彼氏。ほぼ中学生にナニさせてんの』
「試しにやったら向こうの琴線に触れたってだけ!」
決してわたしがやってみたかったワケじゃない。
そう。ちょっとした出来心で「あ、コイツならできそう」って思って行動に移したのは事実だけど……。
うん。わたしは悪くない。アレは止まらなかった元カレが悪い。
『ウソウソ。試しに乗せたら想像以上に乗ってきてビビったって聞いたよ?』
「……」
乃愛……帰ったら絶対コロス……。
この調子だとわたしの黒歴史、ことごとくほのかにバラされてるんじゃないかとちょっと怖くなってくる。
「アンタ、どこまで知ってんの?」
『それは言えないなあ。泊めてくれるなら考えるけど』
「……」
コイツ……!
スマホを握りつぶしそうになるけど、深呼吸をしてクールダウン。
――落ち着け、わたし。ビークール。
ほのかのノリに付き合ったらあることないこと全部白日の下にさらされる。
創司くんの前でそんなヘマはできない。
――……え?お腹の音聞かれてるんだから今さら?バカじゃないの!?そんなのと一緒にしないで!!
『あ、トンネル――』
ブツッ!
そんなことを考えてると一瞬だけほのかの声が聞こえたと思ったら通話が切れた。
「……なんなの。まったく……もう」
かけ直したけど、電波が届かない場所にいるとかなんとかで繋がらない。さっき「トンネル~」とか言ってたからたぶんそれだろう。
「はあ……」
なんか急に疲れた。
高校の部活の合宿のときに寝起きで登坂ダッシュを20本させられたときと同じくらいの疲労感。
建物の壁に寄り掛かって、創司くんが戻ってくるのを待つ。
――まったく、なんでわたしなんだか。
青い空を見上げてそんなことを思ってると、ガサガサとビニール袋の音と一緒に聞きなれた足音が聞こえてきた。
「連絡は取れたか?」
「うん。なんかよくわかんないけど、こっちに向かってるみたい」
「そうか」
創司くんはわたしの手を取って歩きはじめた。方向はウチのマンション。
「俺も彼氏の方に聞いてみたんだけど、よくわかんねえってよ」
「ええ?なにそれ?」
「急に『別れる。実家に帰らせてもらいます』って言われたらしい。それも寝起きに」
ますます意味が分からない。
まあ、あの子、なんのトリガーかわかんないけど、急に意味わかんないことしだすときがあるから、もしかしたらそれかもなあ。
「まあ、こっちに向かってるんなら来たら話を聞くしかないな」
「ね。はあ。」
清々しい朝はどこへやら。空の色とは対照的に陰鬱な気分になったわたしはため息を吐いた。
「ま、とりあえず来るまで時間あるからウチに帰るか」
「……そうだね」
重い脚を引きずるようにしてわたしたちはマンションに帰った。
「ん。おかえり」
ちゃんとした朝ごはんを食べるために創司くんと双子の部屋のドアを開けると、雫が出てきた。
昨日見たびろんびろんに伸びた部屋着のワンピースのままの雫にわたしは抱き着いた。
「ん。楽しめた?」
「ん」
谷間に埋めるように顔をうずめると、雫の手が頭を撫でてきた。いつも思うけど、この包容力には勝てる気がしない。
あったかいし、柔らかいし、もう……ね。なんか全部を受け止めてくれる感がすごい。
あとすごいおっきい。ホント。おっきい。ふわっふわのふよんふよん。
「どうせこっちにも来るだろうから言っとくけど、ほのかがこっちに来てるんだとよ」
「ん。どうして?」
創司くんが後ろからわたしを少し押した。
バタンと玄関のドアが閉まって、少し暗くなるのを感じた。
「知らん。麻衣にだけメッセが来た」
「ふうん。急すぎ。来てもほのかの分はない」
「そこはなんとかするんじゃね?知らんけど」
創司くんは雫に買ってきた袋を渡して奥に入っていった。
「ん。食べる?」
「ん」
残された雫とわたしもリビングに向かう。
ハッシュドポテトを雫にあげて、わたしと創司くんはマフィンを頬張った。
「霞はまだ寝てんのか?」
「ん。朝の日課はこなした。暑すぎてバテそうって」
「あ~……」
たしかに外はこの時間でも暑かった。霞が朝の日課でどの程度動かしてるかは知らないけど、授業で沈没するくらい動いてる霞のことだ。相当な運動をしてるはず。
「様子見に行っていい?」
「ん。用意できたら呼ぶ」
マフィンを食べ終わったわたしは手を洗って3人の寝室に入る。
「なんだ。起きてたの?」
「ん?あれ?麻衣じゃん。朝帰りってことは……しちゃった?」
「楓みたいなこと言わないでよ……」
寝てるかと思った霞はうつ伏せでスマホをいじっていた。下着姿のまま。
「雫はちゃんと着てるのに、なんでアンタは下着だけ?」
「え~?めんどいじゃん。トイレとか。まくったり脱いだりしなきゃいけないのだるくない?」
「そういう問題じゃないと思うんだけど。ってか、パンツは脱ぐでしょうが」
まんまるな霞のお尻をペシペシ叩くと、ほんの少しだけ波打つ。
わたしが男だったらこのまま突っ込んでやろうかなって思うくらい、霞はだらけてる。
……いや、やらないよ?やらないってば。ちょっとやってみたくはあるけど。
「なに?」
お尻の向こうから霞がわたしの方に向いてきた。
「ほのかが来るんだって?さっき聞こえたけど」
「え?うん。らしいよ?」
「……そう」
霞はそう言って視線をスマホに戻した。
「やっぱほのかにもわからせた方がよかったかな」
「彼氏?」
「に決まってんでしょ。つーか、こっちに来るのも知ってたし」
「へ……?」
あっけらかんとした顔で霞は言った。
「なんとなくそうなるだろうな、くらいだけどね。ああ、あっちの2人は知らないよ?や、さっき知ったけどさ。まあ、それでも原因は知らないでしょ」
「それはわたしも知らないんだけど」
「なに?麻衣には相談しとけって言ったのに、あんのバカ……」
何があったんだろう?ますます気になる。
「別に内容自体は大したことないよ。単なるマンネリってだけで」
「ええ?」
それはそれで割と重要な問題な気がするけど……。
霞にするとそんなの大したことないレベルらしい。
「ほら、こっちにいるときだって結構ヤバかったじゃん。最後の方なんか履いてるって言ってもホントかどうか怪しかったでしょ」
「まあ。そうだけど。」
「それが向こう行ってストッパーがいなくなったからさらに進んだってだけ。彼氏は常識の範囲……って言ってもレベルがバグってるけど、まあそれでも外には出さなかったでしょ」
「学校は十分外だと思うけど……」
「言うてよ。1日ずっといるじゃん。けど、大学はそうじゃないでしょ?」
「まあ。そうね」
と言ったところでわたしは思い至った。
――え?もしかしてそれだけ?開放してたのが止められるようになったから……?
いやいや、そんなバカな。
って言いたいけど、ほのかに限ってはバカな話が割とリアルだったりするから恐ろしい。
「わかったでしょ。そういうこと。今さら節度がどうとか言うつもりはないけど、せめて家の中にしとけって話よ。それがムリならラブホでもどこでも行けばって」
「それでわたし?」
「少なくともウチらよりは詳しいでしょ」
「いやいや」
そんな行動範囲外な場所のことなんて知るわけがない。
わたしは首を振った。
「具体的な場所じゃなくてよ。方向性みたいなのはわかるでしょって話。雰囲気とかさ」
「そんなの調べればわかるでしょ」
「あのヤるだけの2人がそんなことすると思う?最近なんか帰って顔を合わせた瞬間入れてる2人だよ?」
「……」
そう言われると何も言い返せない。っていうか、そんな状態でよく大ごとにならないな、と感心してしまう。
「ってことで麻衣に相談ってことになったわけ。ほかにちょうどいい人もいないし、っと!」
霞はスマホから手を離して起き上がった。
「やっぱいろいろ調べたけどわかんないわ。プロにお任せ~ってことで」
「あ!ちょっと!?霞!?」
ドアを開けて部屋を出ていく霞に声をかけたけど、霞の足は止まらなかった。
……いや、ええ?
「マジで?」
あれ?これってガチの丸投げってヤツじゃない?
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