アフター34 「暑いのに震える夏のはじまり」

夏――。


暑いなんて言えるレベルを遥かに飛び越え、それでも暑いしか言えない日々が続く夏休みのとある1日。


身なりをいつも以上に整えて、バッグを手に取った。


よし。いくぞ!


と気合を入れて玄関のドアを開けたわたしに、夏のムワッとした空気が顔に貼り付いてきた。


「あっつ……」


まだ一歩も外に出てないのに、もう身体中から汗が出そうなくらいの暑さ。


「……」


エアコンで涼しくなってる部屋からひんやりサラサラの空気が足元を撫でる。


――どうしよ?やっぱ止める?


一瞬そんな言葉が頭をよぎる。


わたしは軽く頭を振ってそんな考えを振り払う。


パン!


さらに両手で頬を叩いて気合を入れ直し、一歩を外へと踏み出した。


マンションのエレベーターのボタンを押して1つ上の階に移動。エレベーターから出て右に2つ目のドアが今日の同行者が住む部屋。


同じ部屋じゃないけど、同じマンションに住んでるって便利だわ。


カツカツとヒールを鳴らして廊下を歩いてると、ドアが開いた。


「うわあっつ」


ドアの向こうから聞こえてきた言葉がわたしと同じで少しだけ頬が緩む。


しばらくすると、部屋から男子が出てきた。


「よ。早いな」


わたしと視線が合うと、彼から声をかけてきた。


イケメンでもなく、だからと言ってカッコいいわけでもない。いつも眠そうで、スカートの中に顔を突っ込んだり、お尻を触ってくる手癖の悪い男子。


――そして双子の彼氏。


「よ。ちゃんと寝れた?」


そんな彼にわたしは手を振って応えた。


こんな冴えない男子をわたしとほのか以外全員が「食った」なんて信じられない。まあ、ほのかはちゃんとした彼氏がいるからカウントしない方がいいんだけど。


ふと、「そう考えると、わたしって常識人?」って思ってしまう。けど、そもそもウチらがマトモな人の枠に収まってないことはウチらを知ってる人であれば周知の事実。


「ないない」と頭を振ってそんな甘い考えを捨てる。


「一応な」


そう言って彼――創司くんはわたしのところまで来ると伸びをした。


「ん。ホントに行くの?大丈夫?」


部屋のドアの向こう側から双子の姉、雫が顔を出した。


寝起きそのままで来たようで、綺麗な長い髪は寝癖であっちこっちに跳ねていて、長く使ってるらしい部屋着のワンピースは肩からズリ落ちそう。


「行くよ。今日しかないし」

「ん。それはそうだけど」


わたしは雫に近づいてそのままにしてるとストンと落ちてしまいそうなワンピースを整えてあげる。


それから雫のおでこにわたしのおでこを当てる。わたしよりひんやりとした雫のおでこは気持ちいい。


「それにさ――」


雫のおでこから耳元に移動してぽそりと一言。すると、雫の目の色が変わった。


「ん。なら行ってきて。霞にも言っとく。事情聴取が必要」

「ほどほどにね」

「ん。それは本人たち次第」


クスリと2人で笑い合ってから抱き合う。


「そういえば霞は?」


いつもなら霞の方が出てくるのに、雫が先に出てくるなんて珍しい。


部屋の奥を覗き込んでも霞が出てくる気配はない。部活あったっけ?しばらくなかったはずだけど。


「ん。昨日わからせたからしばらく起きない」


雫がわたしの身体から離れて言った。


「わからせたって――待った。わかったから言わなくていい」


霞のヤツ……相変わらず懲りないなあ。


「相変わらず懲りないね」

「ん。ようやく歯応えが出てきた。今後のがんばりに期待」


妹の情事をそんな風に評価する雫にわたしは苦笑するしかない。


「ん。麻衣も」

「わたし?」

「ん。ソウくんは麻衣が思ってることなんか気にしない。麻衣ならわたしはウェルカム。一緒に霞をいじめよ?」

「言い方。もうちょっとマシにならないの?」


雫は「ん……」としばらく考えたけど、首を振った。


「ん。出てきたけど朝には刺激が強すぎる。深夜34時って考えるなら言ってもいいけど」

「ダメに決まってんでしょ」


誰もいないことをいいことになにを言おうとしてるんだろう。この正妻は。


「ん。行くなら気をつけて。ソウくんも。今日は帰ってこなくても大丈夫」


雫はそう言い残して玄関のドアを閉めた。


「なんかあったのか?」


エレベーターのボタンを押した創司くんが近づいてきた。


「お嬢様ズにお仕置きが必要かなって」

「ああ、そう。アイツらなあ。まあ、しょうがねえか」


創司くんと一緒にエレベーターの前まで来ると、エレベーターのボタンを連打しはじめた。


全然来る気配がなかったのに突然ピンポンとエレベーターの到着音がした。


「ねえ。あれ、みんなやってるけど、なんかあるの?」


ドアが開いたエレベーターに乗り込んだわたしは創司くんに思わず聞いてしまった。


「あれ?」

「ほら、ボタン連打してるの。涼なんか両手でやってるんだけど」

「ああ」


トンと肩が触れる。


別にそんな気はなかったのに、ふとした瞬間に触れると内心ドキッとする。


中学、高校って付き合った男子はそれなりにいたけど、そのときとはまったく違う感覚に戸惑ってしまう。


「少しだけ早く着く……んだと。涼が気付いたらしい」


創司くんはそんなわたしのことを気にもせず答えた。


「涼が?」

「なんかやってみたら早く着くんじゃないかなーって」


涼らしいというかなんというか……。


「で、俺もやってみたんだよ」

「ええ?」

「涼がやってみてってうるさくてな。乃愛も知ってたらしくて一緒にやってって」

「そんな子どもみたいな……」


まあ、あの2人は子どもといえば子どもか。大人になったのは身体だけで、中身がまったく伴わないのはどうしたらいいんだろう?


「そしたら早くなったって?」

「多少な。言われてみればってくらいの気休めみたいなモンだけどな」


1階に着いたチャイムが鳴ると、創司くんはわたしの手を引いた。


「で、どこに行くんだ?」


そのままエスコートしてくれるのかと思ったんだけど、そこは創司くん。ノープランを隠しもしないでマンションの自動ドアが開く手前で聞いてきた。


「アイツらはいつもんとこだったけど」


アイツらとは言うまでもない、わたし以外のいつもの面々。


ホントはみんなで一緒に水着を買いに行く予定だったんだけど、わたしだけ試験の返却が重なってしまったのだ。


別にサボってもよかったんだけど、それはそれでテストの結果を後で取りに行かないといけなくなるから買い物の方をパスした。


おかげで突発的にデートになったから結果オーライなんだけど……それはそれで別の問題がある。


「みんなどんなの買ってたかって覚えてる?」


そう。みんながどんな水着にしたのか問題。


昨日、女子だけのグループメッセージで聞いてみたけど、返ってきたのは双子だけ。


一緒に住んでる乃愛のも見たけど、思ってたより攻めてない印象なんだよね。


とはいえ、ウチらのグループにはそんな前提をぶち壊す薫がいる。


そういえば、今回は薫もいたんだっけ。いつもなら参加しないのに。


不穏というには十分すぎる気配を感じて鳥肌が立ちそう。


ってことで実際に見てきた創司くんに聞いてみた――んだけど、創司くんも首を傾げた。


「わかんねえんだよなあ。てっきり連れていかれるかと思ったら、今回は別行動って言われてさ」

「そうなの?珍しい」

「な。しかも雫も何も言わなかった」

「雫も?」


創司くんがいるところに雫ありと言えるくらいべったりな雫が創司くんと別行動……?怪しい。怪しすぎる。


あのメイド、なにを考えてるんだろう?


「じゃあ今回はなんにも知らないんだ」

「ああ。薫さんが一緒だったってのが恐ろしくてしょうがない」


2人で震えてしまうけど、こうしてる時間はあまりない。


暑さで出かける気力がなくなる前に出かけないと、わたしだけ水着なしで海に行くハメになる。


それだけならまだいい。もしそれを薫が知ったらどんな水着を着させられるかわかったもんじゃない。万が一、薫が選んだのが面積が少ない水着だったら――!


選択肢のない未来にさらに身体が震えた。


こうしてはいられない。今度はわたしから創司くんの手を引いて、湧き上がってくる暑さに立ち向かう。


「とりあえず行こっか。いつものとこ」

「はいよ」


こうして水着探しの1日がはじまった。

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