第7話 準備

 彼女の妊娠が分かってから7ヶ月が経っていた。


 彼女は産休を取って、近くにある実家と不定期に往復していた。


 そんな時に起こったのは、またソファ事件だった。


「狭いよね」


「うん、やっぱり難しい気がする」


 ふとした夜の会話。赤ちゃんが生まれてくることを考えた時に、ベビーベッドを筆頭にたくさんの物が必要になる。


 それを買う準備はもちろん、置くための準備というか、迎える準備をしなければならない。 


 と考えると、この家では中々に厳しいことが分かった。今思えば計画性がなかったなと思うものの、付き合って半年なんだから仕方ないと自分に言い聞かせていた。


「……よし、思い切って引っ越そうか」


「だね。それじゃあ持っていくのものは、冷蔵庫と空気清浄機と……」


「テーブルとか、あのラックはそのまま使えるんじゃない?」


「あ、そうかも。あとは……あ、ソファ」


 と、彼女が言って少しだけ昔のことが蘇る。何も触れずに。


「ソファ、ね。どうしようか。全然まだ使えそうだし、思い出の場所ではあるけど、新しいのに替える?」


「うーん、確かにもったいない。でも、この二人掛けじゃ、いずれ子どもが大きくなったら使いづらいでしょ?」


 と、彼女が言って、ハッとした。


「……確かに」


「じゃあ、これも買い換えることにしよっか」


「そう、だね」


 僕が釈然としないのを彼女が見ていて、何か言い出すのを待っているみたいだった。


「……隣に」


「うん?」


「あぁいや、なんでもない。確かに3人用欲しいって言ってたし、ちょうどいいんじゃないかな」


「うん。今度こそ私の希望のものを買ってもらうんだ」


 彼女には、言えなかった。こんなにお腹を膨らませて、日々の不便と痛みと、そしてこの先の出産っていうリスクと向き合い続ける。母親になる人間には頭が上がらないと痛感する。これまでやらなかった分の家事を全てこなしたって、割が合わない。


 子どもには生まれたことを後悔して欲しくないし、生まれたからには幸せだよって、僕らみたいに人生を楽しんでもらいたい。それが僕らのエゴだったとしてもだ。


 話が終わって彼女が先にベッドに向かう。暗くなったリビングにポツンと佇むソファ。ここで彼女と沢山の話をしたんだ。


 その間に、新しい家族が増える。喜ばしいことだ。これ以上、願ってもないことだ。


 ただ、ただの一ミリだけ。ほんの一粒の水滴くらいの、僕のわがままが降って湧いた。


『彼女の隣は僕がいいんだ』


 なんて、ふっと首を振る。何を考えてるんだ、僕は。


 彼女がこれだけ頑張ってるのに、あり得ない。


 そう思いながら、やっぱりあのソファに3人で座るイメージが持てないまま、眠りについた。


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