静寂

 我々の世界は、常に音に囲まれている。今私の体にぶつかる「音」は、同僚の話し声、タイピング音、仕事場を行き交うの靴の音、トイレ掃除の作業音、車の走行音、である。では仮に今私の体に飛んでくる音を全て消し去ったとしよう、そこに残るのは無論、静寂である。だが静寂は真に「何も聞こえない」状態ではない。そこには「静寂という音」が残る。経験者も多いだろうが、ワーンという雰囲気の音を感じる。加えて、ああ何か今すぐにでも音が欲しい、何か物音がしてくれないものかという謎の焦燥感と、空気の圧迫感とでも言うべき謎の恐怖感がなだれ込んでくる。

 たまに、「俺ってマジで静かな空間じゃないと集中できないんだよね」と言う人がいる。彼が想定している「マジで静かな空間」はおそらく図書館とか学習室的なものであろう。ところがその空間は全くマジで静かとは程遠い。ページをめくり、ペンを走らせ、キーボードを打ち込み、あるいは夢の世界に旅立ち、いろいろな音が蔓延っている。だだっ広い空間に、話し声とかスマホの音とか、場の目的に適わない音がない状態を「静か」と言っているに過ぎない。逆にそういった音には「雑音」というレッテルを貼って親の仇よろしく目くじらを立てる。それは周囲に漂う音たちの中に、彼が安住しているが故なのである。

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