第26話
※
会議ではその後、二つの方針が立てられた。いずれもグレープ号に関することだ。
まずは、GPSの取り外し。いくら迷彩を施しても、人工衛星から位置を捕捉されては意味がない。だがそれも、大倉たちがある程度システムを解除していたようで、あと数時間もすれば解除可能だった。
もう一つは地中貫通型爆弾、通称バンカーバスターを装備すること。
大倉の属する組織は、『エンターテイナー』同様に秘匿されていなければならないはず。地上に司令部を設けている可能性は低い。
機密性を維持して組織を存続させるには、やはり地下数十メートルの深みに主要施設を設けるだろう。
これらのこと、特に二つ目に関しては、菅原の証言が有力となった。
「安野、帆山、それに矢口。悪いが、明日になったらグレープ号の面倒を見てやってくれるか? 俺も時間が空いたらヘリポートに向かう。今日はもう休め」
「了解っす、権田さん」
そう言って安野が振り返ると、帆山と矢口は神妙な表情で頷いた。
これから権田と菅原が何を話すつもりなのか、察しているのだ。
矢口がちらりとこちらを一瞥しながら、軽く頭を下げて退室した。それを見届けた権田は、テーブルに足を載せ、無防備な格好で菅原に向き合った。
「姐さん、これはあんたが自分の過去を語るつもりだと判断していいのか?」
「ええ。ただ……皆の前で話すには勇気がなくってね」
「勇気がない? 姐さんらしくもねえ言葉だな」
ふっと息をつき、頬を緩める菅原。そんな彼女を、権田は感情のないビー玉のような瞳で見つめている。
「じゃあ、早速お話しましょうかね。私の過去を」
※
菅原家は、いわば日本の陰の立役者だった。江戸時代末期の動乱の時代から、絶大な情報収集能力を活かして暗躍。数々の暗殺・誘拐など、裏仕事に従事してきた。
そんな中、いざという時に戦えるようにと備えられた伝統がある。剣術だ。
圧倒的破壊力を秘めた剣術と、百年以上前から続いてきた情報収集能力。これらが菅原に目的を与え、同時にその人生を縛りつけてきた枷だ。
周雷斬に関しては、その技術の高度さゆえに伝承は困難を極めたが、なんとか今の菅原が継いでみせた。
それに、緻密かつ広大な情報網は百年以上前から健在だ。その集積地と考えられているのが、現在で言うところの東京都千代田区・霞ヶ関である。
そこに菅原が滑り込まないわけがない。ここ十年あまりは、情報統制官の一人として防衛省と警視庁の中継ぎをしてきた。
身分を隠すうちに、むしろ逆にそれが評価され、暗殺すべき標的の選定を任されるまでになったのだ。
しかし――。
権田一家暗殺事件の案件が持ち上がったことで、彼女の意志は大きく揺らぐこととなる。
今までの暗殺対象は、国内外に潜伏しているテロリストや過激派と呼ばれる人種だった。しかし今回は、何の罪もない一般市民を殺せと言う。
菅原とて、暗殺対象選定の権限を完全に掌握していたわけではない。これは『高度に政治的な案件』として扱われることとなった。
すると、権田一家の他に、芋づる式にある自衛官の名前が出てきた。その人物こそ、大倉敏也・一等陸尉である。
彼は独り身だし、権田一家とも縁がある。油断させ、隙を突けるはずだ。というのが、上層部の判断だった。
当時の菅原は、権田とも大倉とも面識はなかった。それでも、一般市民を標的とするという作戦内容は、とても菅原にとって耐えられえるものではなかった。
たとえ自分が、この国で代々続く暗殺一家の末裔であるとしても。
そうして数年後、菅原は慎重に慎重を期して、武装組織・エンターテイナーを結成するに至る。いざという時、政治的組織をピンポイントで潰すために。
※
ご質問は?
そう目で促しながら、菅原は権田を横目で見た。
権田はテーブルから足を降ろし、肘をついて黙り込んでいる。まるで石像にでもなってしまったかのようだ。
「姐さん、一つ訊かせてくれ。あんたが所属していたその組織とやらだが、今は俺たちを狙っているのか?」
「ええ。間違いないわ」
組んだ手の上に額を押しつける権田。
「一般市民、任務、暗殺、家族……」
ぶつ切りにされた言葉たちが、権田の口から漏れてくる。そんな彼の前に、菅原は立った。
「ゴンちゃん、拳銃を」
何のことかは分からずも、権田は素直に従った。デスクに置こうとしたそれを、菅原は権田の手ごと包み込む。
「あなたには、私に復讐する権利がある。もしその気があるなら、私を撃って」
僅かに権田の瞳に光が戻った。
それを見て、菅原は自らの胸中で繰り返した。彼には私に復讐する権利がある、と。そして自分は罰を受けなければならないのだと。
菅原は待った。権田と目を合わせながら、ひたすらに待った。自分の眉間に拳銃が突きつけられ、自分の脳が破砕されるのを。
「悪いな、姐さん」
その言葉の直後、発砲音が鳴り響き、自分は後方に吹っ飛ばされる形で頭を貫通された。――というのは、菅原の勝手な妄想だった。
悪いな、と繰り返された権田の言葉に続いたのは、拳銃をホルスターに戻す静かな音だった。
「あんたの事情は分かった。いやそもそも、何の事情もなくこんなことをやってるとは思っちゃいなかったがな」
「何故撃たなかったの? 私はあなたのご家族のみならず、かつての戦友までをも手にかけたようなものなのよ?」
「気にするなとは言わねえ。だが、俺だって同じ穴の狢だろうよ。俺だって中東で、命令のままに人を殺してきた。一番若かった標的は四歳。テロリストの娘だ。両親共々始末した。あの時の、血と砂と火薬の混じった臭い……。忘れられるもんじゃない」
「……」
「帰国してから、俺は随分厚遇された。だがそれで、あの女の子が生き返るはずがない。だから、俺はあんたに同情する。と言ったら気は休まるか?」
「待って頂戴」
菅原はくるりと背を向けて、二、三歩進んだかと思うとその場にがっくりと膝をついてしまった。
「権田宗次郎元三佐……。私を軽蔑するの?」
「まさか。同じ地獄を見てきた。そう言ってるだけだ。ま、大倉にしても同じだろうがな」
かくかくと人形のように首を曲げる菅原に向かい、権田はじっと目を向けた。さっきとは異なる、冷徹さを伴った視線を注ぐ。
正直、菅原は許されたのだと思った。無感情なのではなく、無干渉。そういったところだろうか。その上で、自分をエンターテイナーの長と認めてくれているのだろうか。
「明日は俺たちもグレープ号の整備をすることになる。俺はもう休むぞ」
その言葉が菅原に理解されたのは、権田が退室して五、六分が経過した頃だった。
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