第25話

 分かりました、と矢口が答える間に、眼下では大きな変化が起こっていた。地面が割れたのだ。


《ああ、あれはシャッタードーム。ヘリの格納庫に通ずる垂直な凹部ね。どう、ヤっちゃん? あそこに降下できる?》

「あっ、はい。大丈夫だと思います」


 まったく、最初は自分の目の方が大丈夫かと思ったぞ。

 そう思いつつ、矢口は今まで通り脳波コントロールでグレープ号を降下させた。


 シャッタードーム内は薄暗く、高さ五メートルほどの間隔を空けて点々と証明が灯っていた。やがて百メートルほど下りたところで、ヘリポートのHの字が見えて、矢口はようやくほっと息をついた。


「はあ……」


 吐息が唇の間から漏れていくのが、やたらじっとりと感じられる。


《お疲れ様、ヤっちゃん。もうエンジンを停止していいわよ》

「了解です」


 回転翼の音がだんだん低くなり、ゆるゆると停止する。それに合わせ、矢口もヘッドギアを取り外す。

 完全にグレープ号が機能を停止したのを確認した矢口は、軽傷だった三人と無傷だった菅原に続き、コクピットから飛び降りた。


         ※


 それから一時間後。皆が各々の傷の手当を終えたのを確認し、菅原は集合をかけた。

 このセーフハウスは、最初のそれと比べて随分無骨である。コンクリート剥き出しで、垂直と直角からなる設計。

 照明は最低限で、一歩廊下に出れば、ぽつぽつと裸電球が天井から光を降らせているだけだ。


 ちょっとくらくらする頭を軽く叩きつつ、矢口は集合場所の会議室に向かった。

 その途中、廊下の壁に背を預け、顎に手を遣っている人物に遭遇した。帆山だ。


「あれ? どうしたんですか、帆山さん?」

「えっ? ああ、なっ、何でもない……よ?」

「そうですか? 随分悩んでるみたいに見えますけど」

「そうねえ……」


 帆山は腕を組み、ふうむ、と唸った。


「落ち込んでる人をすぐに笑顔にできるような、魔法の呪文でもあればいいのにね」

「へ?」

「ああ、大丈夫ですよ、ヤっちゃん。気にしないで。会議にはちゃんと出席するから」

「分かりました」


 こくん、と頷いて、矢口は廊下を進んでいった。

 さらにその途中、今度はうずくまって膝の間に手をぶら提げている人物に遭遇した。安野だ。


「……」


 なんだか構うと面倒なことになりそうだが、このままシカトするわけにもいくまい。

 矢口は嫌な唾をごくりと飲んで、安野とのコンタクトを試みた。


「えっと、安野……さん?」

「んあ……。ああ、ヤっちゃん」

「どうかしたんですか?」

「まあね」


 ふむ。肯定の返事を寄越すとは、よっぽど参っている様子だ。


「もしかして、帆山さんと何かあったんですか?」


 以前の安野と帆山の遣り取りを見ていた矢口は、勇気を持ってそう尋ねてみた。


「ふぇ? 瑞樹さんは関係ないよ」

「じゃあどうしたんです?」


 すると安野は、一旦上げていた顔を再び俯けてしまった。


「リンちゃん……ルンちゃん……。僕がいなくなったら誰も面倒見てくれないじゃないか……」


 ああ、そういえば。矢口は思い当たった。確か安野が飼っていた熱帯魚がそんな名前だった。

 実際、最初のセーフハウスに置き去りにしては、流石に生きてはいけないだろう。なんまんだぶなんまんだぶ。


「もう一回飼い始めたらどうですか、熱帯魚」

「新しく購入するってことかい? いつになったらここを出られると思う?」

「あ」


 そうだ。そうだった。

 ここは地下施設で、水や食料の備蓄もしっかりしている。最初のセーフハウスのように、容易に放棄するわけにはいかないのだ。

 外部でヘリを隠しておけるような場所も見つけなければならない。そのあたりは、きっと菅原が上手く検索や情報操作を行っていることだろう。


 ん? 待てよ。


「これから会議があるって聞いたけど、主催者は誰なんだろう?」

「俺だ」

「うわっ!」


 音もなく背後に歩み寄っていた権田の声に、矢口は跳び上がらんばかりに驚いた。


「ご、権田さん! 作戦以外で忍び足を使わないでください!」

「ああ、悪い悪い。そんなに驚いたか」

「心臓が口から飛び出るかと――」

「おい、安野。しゃっきりしろ。会議だぞ。そんな魚の一匹二匹でくよくよするんじゃねえ。女に捨てられたわけじゃねえだろうに」


 おいおいその発言はデリカシーがなさすぎだろ。

 と、矢口が言ってやろうとした頃には、既に片腕を引かれて会議室に向かわされるところだった。

 まったく、問題の絶えない組織だなあ。


         ※


「これでよし、と」


 会議室で準備にあたっていた菅原は、プロジェクターが正常に作動するのを確かめてから席に着いた。

 最初のセーフハウスとは違い、ここの会議室は整然とデスクが並んだ広めの空間だった。

 それが、菅原に自身の過去を思い起こさせる。


 今日こそは、皆に言っておかなければ。大倉敏也・一等陸尉が亡くなった今だからこそ。


「失礼します」

「姐さん、邪魔するぜ」


 入ってきたのは、背を押される形になった矢口と、その背を押した張本人の権田だ。


「今回の作戦会議は短いぞ。俺が、大倉にあんな任務を与えた連中を殲滅する。そう言ってお終いだからな」

「そのことなんだけどね、ゴンちゃん」

「んあ?」

「最初に十分くらい、時間を貰えないかしら? 私から話したいことがあるのよ」

「ああ、了解だ」


 するりと承諾した権田を前に、菅原はむしろ狼狽えた。彼の態度の軽さと、自分がこれから話す内容の重さが、あまりにも不釣り合いだったからだ。


「失礼します、って三人ともここにいたんだ」

「時間厳守よ、ミっちゃん。あなたは遅刻じゃないけど……タっちゃんはギリギリね」


 菅原は、帆山の背後で呆然と立ち尽くしている安野を見ながらそう言った。熱帯魚の喪失による一過性の鬱症状であることは、菅原にも容易に察せられた。


「さて、皆さん。今日はお疲れ様でした。日付も変わらないうちにこんな話をするのもなんなんだけど……。結論から言うわね」

「え? ちょっと待ってください、菅原さん。ボクには何が何だか――」


 疑問を呈するべく立ち上がった矢口に向かって手を翳し、菅原はすんなりと語り出した。

 自分にはそうするしかない。そんな決意を内に秘めて。


「権田宗次郎・三等陸佐、及びその奥様とお子さんの殺害命令を大倉一等陸尉に下したのは、この私よ」


 会議室の空気が、凝固した。

 皆の頭にあったことは大方共通している。自分の耳が聞き違えたか、菅原の頭がおかしくなったか、はたまた悪い夢でも見ているのか。


 真っ先に立ち直ったのは、権田だった。


「そいつは本当なのか、姐さん」

「ええ。動かしようのない、過去の事実よ。だからこうしてエンターテイナーの長をすることで、少しは世の中をよくしようとしているの」

「敵を騙すには味方から、ってか」

「その通り。現に私は、今も海外赴任中という名目で姿をくらまし、組織の情報を皆にリークしてバランスを取っている。国家による暴力と、それに対抗する勢力の中継ぎ役としてね」

「そうなのか……。よせ、矢口!」


 さっと矢口が拳銃を抜いたのを見て、権田が素早く口を挟んだ。


「今回、嬢ちゃんの誘拐を企てたのもあんたなのか、姐さん?」

「いえ。流石にこんな無謀なことは計画しないわ。私の専門は暗殺任務。兵器の強奪じゃない」

「じゃ、じゃあ、あたしや立己くんをこの組織に招いたのは……?」

「それは合ってるわよ、ミっちゃん。私の判断。だけど、それも終わりになりそうね」

「どういう意味だ?」


 菅原は権田に向かい、そっと目を細めた。


「あなたの意見を尊重するわ、ゴンちゃん。綺麗事に聞こえるでしょうけど、私も一国家組織がここまでするとは思っていなかった。私は自分の身分を捨てて、そして自分が命を追われる立場になるのを覚悟して、権田宗次郎・三等陸佐の指示に従おうと思います。あなたが先ほど述べた通り、我々の手で、その組織を潰しに行きましょう」

「ちょ、ちょっと待って! えっ……えぇ……?」


 挙動不審に陥る矢口だったが、すぐに権田に引き留められた。

 再び沈黙が訪れるかと思われたその時。


「じゃあ、飯でも食べますか?」


 その一言に、全員が安野に振り向いた。


「僕が作ります。瑞樹さん、手伝ってもらっていいかい?」

「あっ、うん。台所の場所は知ってるの?」

「ああ。さっき姐さんから皆に転送されてきた。カレーでいいかな?」

「あたしはいいけど、皆は?」


 すると権田がこう言った。


「十人分くらい作っとけ。俺は今、頭の中がぐしゃぐしゃだ。爆食いさせてもらうぜ」


 頭の中がぐしゃぐしゃ。それは全員に言えることだったが、菅原には食欲がなかった。

 近いうちに、詳細を権田に伝えなければ。

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