第24話


         ※


「うわああああああっ!?」


 独房にいた矢口は、後ろ向きにごろごろ転がりながら壁に頭をぶつけた。

 やたらと騒がしくなっていたこの宿舎の中でも、とびきりの衝撃が彼女を襲ったのだ。


 いや、それには語弊がある。この衝撃は菅原の周雷斬によるものだが、人質の矢口までをも巻き込むほど、菅原の日本刀捌きは稚拙なものではない。

 矢口が吹っ飛んだのは、あまりの爆光と轟音に怯んだからだ。


「なっ、ななな何だ!?」

「この宿舎に侵入した敵の攻撃じゃないのか!?」


 見張りの戦闘員が言葉を交わしている。そしてそれが、彼らにとって最期の声となった。

 ずばん、と隔壁が袈裟懸けに斬り開かれ、そこから人影が現れたからだ。言うまでもなく、菅原美智子である。


「さて、この区画ね。ヤっちゃん、生きてる?」


 言葉を失ったままの矢口。見張りは腰を抜かしたまま、悲鳴を上げながら自動小銃を撃ちまくる。


 が、そんなものが通用する相手ではなかった。青白い光を帯びた日本刀で、弾丸はものの見事に弾かれていた。あっという間に弾が尽きるが、最早見張りたちに弾倉を交換する余裕はない。時間的にも、精神的にも。


 見張り二人は、あまりにも呆気なく脳天から垂直に斬り下ろされ、あたりに血と臓物の破片を撒き散らした。


「ヤっちゃん、ここにはいないのかしら?」

「あっ、菅原さん! ボクならここに……」

「あらあら、どうしたのよ、そんなところでうずくまって」


 あんな化け物のような斬撃を見せつけられて、縮こまらない方がどうかしている。

 そう言ってやりたいのは山々だったが、矢口は素直に、すみません、と応えるに留めた。


「さて、ヤっちゃんも無事身柄を救出できたし、脱出しましょうか」

「あのっ、ほ、他の皆は……?」

「他? ああ、まあ上手くやってるんじゃない? さあ、こっちよ」


 再度隔壁を斬り払う菅原に、矢口は素直について行くしかなかった。


         ※


 周雷斬の影響が及んだのは、宿舎だけではなかった。

 交番で向かい合っていた権田の背後から大倉に向け、凄まじい雷光が発せられたのだ。


 宿舎まで五百メートルもありながら、これほどの光量が生み出されるとは。

 そして、こんな形で目くらましを喰らうことになるとは。


 その両方が、大倉にとっては信じがたいことだった。

 それは権田にとっても同じだ。大倉を相手に、これほどの好機が訪れるとは想定外だった。


 権田は軽く跳躍し、今度こそ大倉の側頭部に左の爪先を叩き込んだ。


「がっ!?」


 頭蓋の中で、大倉の脳が揺れる。平衡感覚が麻痺し、一歩、二歩と後退する。

 それに追随し、今度は権田が距離を詰めた。ジャブと短いストレートを大倉の顎に打ち込み、どんどん空間認識力を奪っていく。


 大倉が仰向けに倒れ込むまで、そう時間はかからなかった。

 すかさず権田は大倉の頭部をもたげた。救うためではない。首を捻って殺害するために。

 しかし、権田はそうしようとはしない。少なくとも今すぐは。


「……どうした、権田……? 何故とどめを刺さない……?」

「質問したいのは俺の方だ、大倉。どうしてお前ほど正義感溢れる男が、自国民の殺害に加担した?」


 この場合の自国民とは、無論権田の妻子のことだ。


「……上層部の命令に従うのと、自分の感情に流されるのと……。どちらが正義か、即答できるのか、権田?」

「やはりお前に無理やり任務をやらせた奴らがいるんだな? そいつらはどこのどいつだ? お前がいるということは、そいつらはこの一件にも関わっているのか?」

「け、警視庁公安部と、防衛省の外郭組織が一体となった特殊情報機関だ……。俺は、そいつらの命令で……」

「分かった」


 知りたいことは聞き出した。後は軽く腕に力を加え、肘を曲げるだけだ。

 だが、権田は逡巡していた。エンターテイナーという組織の一員としてではなく、大倉の旧知の仲の人間としてだ。


「何故一人で交番に来た? 仲間を同伴させれば、安野も帆山も、俺だって苦戦しただろうに」

「私は、昔から単独行動が過ぎる癖があってな……。分かるだろう?」


 ああそうとも。俺には分かる。権田は大きく頷いた。


「だから通信兵のお前を守るために、俺は隊長でありながら、危険なポジションに就かざるを得なかった」

「……そうだ。だが、あの砂と泥に塗れた土地では、通信可能な場所が極めて限られていた。進軍中、私が孤立しなければならない事態は、たくさんあったんだ。しかし……。私はお前を、部隊の皆を頼ることができた。……いや、甘えさせてもらったと言う方が正しいな」


 だから。だからこそ。


「この国に戻ってからも、私は単独任務を所望した。まさか……お前のご家族を殺める命令が下されるとは思いもしなかったが」

「……」

「詳しいことは、あの矢口という若いのに訊くといい。生憎、後ろで伸びてる二人も、俺たちよりはだいぶ若いがな……」

「そうだな。さて、そろそろ別れの時が来たらしい」

「……ああ……。私の部下たちが大挙して押し寄せてくるようだ。相手できるのか? たった、三人で」

「なんとかやってみる。だからお前は安らかに眠れ」

「……了解した、権田宗次郎・三等陸佐」


 ごきり、という鈍い音と共に、大倉の身体はただの肉塊となった。


 結局、この時大倉が涙を流すことはなかった。だが、権田にとってはそれで十分だった。大倉がどんな気持ちで生きていたのか、その鱗片が見えた。満足だ。矢口にも訊けることだし。


 問題は、今さっきから聞こえてきたガサガサという無数の足音。宿舎方向から交番の方へ、多くの敵が向かってきている。さて、どうする?


 その時、唐突に銃声が湧き起こった。が、放たれた弾丸はこちらではなく、上空に向かっている。こちらを狙っているのではない。

 権田が気づいた時には、敵が狙っていた物体――グレープ号が飛来するところだった。


「グレープ号? 矢口の救出に成功したんだな!」


 伏せながらも、なんとか視界の端にグレープ号を捉え続ける権田。

 小回りを利かせたグレープ号は、交番の上空で滞空し始めた。


「っておいおいおいまさか!」


 権田は慌てて後頭部に手を遣り、改めてうつ伏せになった。

 そのやや後方、高度四十メートルほどのところで、グレープ号の前部に装備された三連装ガトリング砲が火を噴いた。


 バルルルルルルルッ、という唸りを上げて、無数の二十ミリ徹甲弾が森林地帯に浴びせられる。最早、人間相手に使う代物ではない。間違いなく、今はこの掃射が一段落するまで大人しくしているべきだろう。


 地面に当たって跳ね返った薬莢で火傷しそうになりながら、権田はさっさと終わってくれと祈るばかりだった。


         ※


 敵の掃討を確認した矢口は、ゆっくりとグレープ号を着陸させた。

 最早、自分の手足になってしまったかのように扱うことができる。必要なのは、外部との遣り取りだ。


《こちらグレープ号の矢口! 皆さん、無事ですか?》


 ヘッドギアの内側には、交番から出てくる三人の人影が映っていた。

 帆山と権田、それに権田に肩を支えられた安野だ。

 足早に駆けてくる三人。緊急離陸にも備えて、矢口はエンジンを切らずに待機する。すると、菅原がガンナー席から降り立って三人の下へ駆け寄っていった。一番意識が明瞭だった権田に、何某か尋ねている。きっと、三人の負傷の度合いだろう。


 ヘッドギア越しにではあったが、菅原が大きく片腕を掲げ、サムズアップするのが見えた。どうやら皆、重傷を負ってはいないようだ。


 菅原が三人をキャビンに乗せ、自らの身体をガンナー席へと滑り込ませてヘッドギアを装着する。


《ヤっちゃん、今から送る座標に向かって飛んで頂戴》

「それって、どこのことです?」

《第二セーフハウスよ。あんまり気分のいい場所じゃないけどね》


 矢口のヘッドギアの内側に写ったのは、ここから五十キロほど離れた山岳地帯だった。


「こんなところに何があるんです?」

《行ってみれば分かるわ。それよりこのヘリのGPS、まだ機能してるんでしょ? どこかの組織に狙われる前に、さっさとここを離れましょう》

「了解。皆さん、シートベルトは?」

《大丈夫だぞ、嬢ちゃん》


 権田の声が耳に響いた。矢口は再び、了解、と告げて勢いよく離陸した。


         ※


「ここが、第二セーフハウス?」

《ええ、そうよ。あんまり来たことがある人はいないけれど》


 菅原にそう言われ、矢口は再びディスプレイの下方を見遣った。

 そこにあったのは、広大でまっさらな土地だ。山岳地帯が急に開けたかのような感覚を与える。

 四隅には、何らかの球体が埋め込まれている。電波妨害装置だろうか。


《ああ、あれはミっちゃんが作ってくれたの。あれでしばらくはGPSを遮断できるから、その間にグレープ号からGPSを剝がしちゃいましょう》

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