第23話【第六章】

【第六章】


「んっ!」


 権田はスコープ越しに捉えていた。マントを羽織った大男が、宿舎を出て駆けていくのを。

 同伴する者の姿はない。単身でどこかに向かっている。


「まさか、交番か!」


 今の位置から大男――十中八九、大倉だろう――を狙撃しようとした権田だが、大男はすぐに格納庫の陰に入ってしまった。


「くっ! 安野、帆山! そっちに大倉が向かってる! 警戒しろ!」


 すぐに返ってくるはずの応答がない。


「おいどうしたんだ、二人共? 大倉だ! 大倉が今にも――」

《私と話したいのか? ならもう現着したぞ、権田》

「ッ!」


 権田はじわり、と額から汗が滴るのを感じた。今のは大倉の声だ。安野のヘッドセット越しに聞こえてくる。

 安野と帆山の二人は、とんでもない化け物を相手にしていると見ていい。

 いや待て。冷静になれ、俺。大倉は安易な殺戮を肯定するような人間ではない。自らの任務と思われることをこなすだけだ。


 安野と帆山は、突然殺されるようなことはあるまい。最近になって遭遇した際、大倉は俺に対して申し訳なく思っている節があるように見えた。だからこそ、自らの手で俺を仕留めようとしてくるに違いない。


「狙いは俺のはずだ……」


 そう判断した権田は、すぐさま菅原に連絡を取った。


「姐さん、進行状況は!?」

《こちら菅原。自動ドアは全て封鎖されたから、斬り分けながら宿舎内を進行中。ヤっちゃんの位置も確認したわ》

「分かった。俺は交番に詰めてる安野たちの援護に向かう。姐さんはそこから周雷斬で、一気に矢口の救出に向かってくれ」

《了解。もし敵に生き残りがいたら、とどめは任せて頂戴》

「了解だ」


 こうして権田は狙撃銃を放棄した。散弾銃を背後から取り出し、一気に坂を駆け下りる。

 大倉には先手を打たれてしまったが、何もしないよりはマシだ。


「安野、帆山、持ちこたえてくれよ……」


         ※


 がしゃがしゃと音を立てて、安野は自らの左腕を展開した。

 すっと大倉に向ける。が、発砲はしない。大倉は件の防弾・防爆マントを羽織っていたからだ。

 狙えるのは頭部だろうが、大倉が何の対策もしていないはずがない。かわす自信があるのだろう。それに、安野は一度、自分の左腕の散弾銃を大倉に見せつけている。自分の装備を確認させてしまっているのだ。


 奇をてらった攻撃は難しい。だが、最も効果的な武装が左腕であることを、安野は自負していた。

 きっと大倉は防弾ベストくらい装着しているだろう。しかし密着して銃撃すれば、拳銃や自動小銃を遥かに上回るダメージを与えられる。


 安野は振り返ることもせず、さっと右腕を払った。帆山に下がっているようにと指示を出したのだ。

 が、背後の人影が引き下がる気配はない。それどころか、キチリッ、という音を立てて何か、いや、間違いなくコンバットナイフを構える気配を放っている。


「勇敢だな、安野くん。女性に代わって自らが盾になろうとは」

「お褒めにあずかり光栄ですよ、大倉敏也・一等陸尉。ですが、この場所をあなたに明け渡すわけにはいかない」

「宿舎の送電をコントロールしているから、かね?」

「それもあります。でも、それ以上にあなた自身を守らなければならない」

「私を? どういうことだ?」

「これ以上、あなたの手を血で汚すわけにはいかない。当のあなただってそう思っているはずだ」


 安野はごくり、と唾を飲み、敢えて眼鏡の位置を直して見せた。そんな隙を見せているのに、大倉は得物を構えようとはしない。それどころか、何も武装していないのではないかと思われるほどだ。


 権田さんや菅原さんが来るまで持ちこたえられればいい。だが、今の僕にそれができるか? たとえ相手が丸腰でも?

 

 自分の命と大倉の殲滅。それを心の天秤にかけていた、その時だった。

 

「ふっ!」


 安野を突き飛ばし、勢いよく大倉に迫る影があった。帆山だ。


「瑞樹さん、よせっ!」


 だが、瑞樹に退くつもりは毛頭ない。

 自分だってナイフの使い手だ。安野の散弾銃には劣るだろうが、今まで何人もの敵をそのナイフで屠ってきた。

 リベンジマッチだ。今度こそ大倉を仕留めてやる。


「ッ!」


 一瞬呼吸を止めた大倉が、大きくバックステップする。

 それに追随して突き出されたのは、帆山の右腕のナイフ。大倉はこれを呆気なく叩き落とす。


 が、帆山の本領が発揮されたのはその直後。目にもとまらぬ速さで、左腕に予備のナイフを握らせたのだ。

 ただし、突き出してくる気配はない。全身で、大倉にタックルを仕掛けてくる。


 飛び退いた直後の、不安定な腰元。そこに思いっきり抱き着くような姿勢で、帆山はぶつかった。僅かに左腕を引き、ナイフを大倉の脇腹に捻じ込む。――はずだった。


「んっ!」


 左腕に違和感を覚える。大倉の脇腹に到達するまでは、まだ余裕があったはずだ。それなのに、ナイフの先端は止まっている。


 次の瞬間には、帆山は自らの敗北を悟っていた。

 ナイフは軍用グローブ越しに、大倉にその刃を握られていたのだ。


「惜しかったな、お嬢さん」


 言うが早いか、大倉は帆山の左腕を無造作に両手で掴み、投げ飛ばした。


「がはっ!」


 交番内のロッカーに背部を打ちつけられ、帆山は全身が弾かれるような感覚に囚われた。

 だがこの時、大倉は決定的な隙を見せてしまっていた。


 帆山は権田にとって、大切な仲間だ。できれば重傷を負わせるようなことはしたくない。その気持ちゆえ、手加減してしまったのだ。適度に気を失ってくれればと。


 そしてその狙いは見事に成功した。自分の反対の脇腹を、安野に晒すという形で。


「うおらあああああっ!」


 見た目からは想像のつかない雄叫びを上げ、安野は跳躍。がしゃり、と左腕の先端を大倉の左脇腹に押しつけ、容赦なく発砲した。


 ズドン、ズドン、ズドン、ズドン。計四発。


「がはっ!?」


 大倉の身体は発砲の度に痙攣し、その一発ごとが軽傷でないことを示していた。

 それでも、大倉は意識を失わなかった。身体各所に移植した特殊カーボン繊維の皮下組織と、何より本人の、常軌を逸した忍耐力のお陰だろう。


 だが、安野の方にも問題は起こっていた。左腕の散弾銃が、ジャミングを起こしたのだ。


「なっ、なんだ? くそっ、くそっ!」


 この隙を逃す大倉ではない。

 自分に馬乗りになっていた安野を、脚部の関節と右半身の腹筋を駆使して蹴り飛ばしたのだ。


 流石に今度は手加減する余裕はなかった。

 安野が段ボール箱の山に突っ込んでくれたのは、不幸中の幸いと言える。


「ぐっ! はあっ! はあ、はあ……」


 左脇腹を押さえながら、大倉は辛うじて立ち上がった。

 本当なら使う予定のなかった小振りの拳銃を取り出し、安野と帆山にとどめを刺しに向かう。


 まさかここまで自分が追い込まれるとは、大倉は自分の油断を恥じた。

 呼吸が荒い。出血もある。すぐに処置しなければなるまい。

 

 ふとした気配に振り返ると、ちょうど額に何かが突き付けられた。軽い火傷のような感覚がある。

 間違いなく、拳銃だ。


「ウチの若いのが世話になったな、大倉」

「権田……」


 その時の権田の姿を見て、大倉は笑い出しそうになった。

 何せ、彼も彼でズタボロだったのだ。大倉の部下たちが精鋭ぞろいだったことの証明だ。ちなみに権田は、弾切れを起こした散弾銃を放棄している。


「お前、安野を殺して……はいねえようだな」

「ああ。帆山も命に別状はない」

「悪いな」

「いや、権田、お前の施した訓練の賜物じゃないのか? 少しは驚かされたぞ」

「そいつあ光栄だぜ。それで、お前はこれからどうするつもりだ、大倉? 出頭するつもりは……ないだろうな」

「そうだ」


 短く答えた大倉から、権田は銃を離した。眉間に狙いをつけたまま、ゆっくり三、四歩後退する。


「大倉、今度ばかりはお前を生かしてはおけねえ。お互いケリをつけようじゃねえか」

「奇遇だな。私も同じことを考えていた」


 それを聞くや否や、権田は拳銃を下げて弾倉を外した。カバーをスライドさせ、初弾も取り除く。

 大倉もまた、非常用装備だった拳銃を放り捨てた。


 すっと顔の位置に拳を上げ、ボクシングのポーズを取る権田。

 対する大倉は、一見無防備に立ち尽くしている。まずは一発、権田から貰うつもりらしい。


 先に動いたのは、やはり権田だった。右足を大きく踏み出して一回転、素早い左回し蹴りを見舞う。

 それを、上背のある大倉は右腕を上げることでガード。このガードを想定していた権田は片足立ちのまま、第二撃で大倉の右側頭部を狙う。

 大倉はすっと右半身を引き、これを回避する。


 次は自分だと言わんばかりに、大倉は一瞬で権田に接敵した。土埃が巻き上がり、巨体が弾丸のように権田に迫る。シンプルに右腕を引き、権田の胸部を狙う。心臓や肺を潰すつもりだ。

 権田は辛うじてこれを避け、突き出された大倉の右腕に組みついた。が、大倉は全身を回転させて権田を振り払い、再び距離を取った。


 瞬発力のある大倉に分がある。そう判断した権田は、敢えて交番に向かうように、そして宿舎に背を向けるようにして、ボクシングポーズで立ち塞がった。


 宿舎から雷光が迸ったのは、まさにその瞬間だった。

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