第22話

「それで、結局菜々美ちゃんは……?」

「錠剤を粉末にして、ジュースに溶かして飲んでもらった。用法は効果に影響しなかったからな。あの子の好きなオレンジジュースに溶かしたんだが、それでも自分から飲もうとはしなかったよ。目の前で母親が倒れるのを見ていたわけだし、それ以前に私が拳銃を手にしているのを確認していただろうからな」

「じゃあ、無理やり……?」


 大倉は冷たい溜息をついた。


 それでもずっと、大倉の声が震えることはなかった。一体どれほどの精神力、忍耐力をもってこの独白をしているのか。矢口には想像もつかなかった。


「権田はこの手口を見て、すぐに私が犯人だと気づいたはずだ。だが彼は、私を追い詰めて殺そうとはしなかった。理由は分からん。罪悪感に苦しみながら生きていけとでも言いたかったのかもしれない。いずれにせよ、彼はその後、公的機関を離れて暴力団に入り、幹部にまで上り詰めた。そこで菅原司令の目に留まり、エンターテイナーとやらを結成したのだろう」


 事の成り行きを知って、矢口は黙する外なかった。

 こんな悲劇が、この国で起こっているとは知らなかった。いや、知らなかったで済まされる境界線など、自分はとっくに越えているだろう。殺人の手助けをしているのだから。


 単純に、自分が無知で間抜けな若輩者だった。それだけの話だ。家族のいない自分に察せられたのはここまで。

 矢口はそう見切りをつけた。余計な情けは自分の身を亡ぼす。


 もし、目の前の大男が敵でなかったら、肩に手を遣るなり、ハンカチを差し出すなり、あなたの責任ではないと励ましたりするところかもしれないが……。


「つまらん話を聞かせたな。すまない」

「えっ、いや、そんなことは……」

「矢口さん、君にもいろいろあったのだろう。興味がないとは言わんが、ずけずけと他人の過去に踏み込む勇気は私にはない。我々に協力してグレープ号の操縦士になるか、エンターテイナーの連中からの救援を待つか、自由に決めて――」


 と、大倉が言いかけた、その時だった。

 天井の照明が、微かに点滅した。その間、僅か〇・五秒ほど。


「おいでになったようだな。彼らもグレープ号と君の身柄にご執心らしい」

「それって、エンターテイナーの皆が来た、ってこと?」


 つまりは襲撃か?


 大倉はそっと目元を拭い、立ち上がった。唐突に眼前の床面が隆起したような迫力がある。

 ヘッドセットを装着した大倉は、すぐさま数名の部下の名前を呼んで、配置につくよう命令した。


「ここの責任者は私なんだ。君はここを動くな、矢口さん」


 そう言って、矢口を独房に残して大倉はその場から足早に去っていった。


         ※


 今回の作戦では、エンターテイナーの四人は二組に分かれていた。

 安野・帆山組と権田・菅原組だ。前者が交番に、後者がヘリの格納庫に向かっている。後々合流する予定だ。


 午後八時ジャスト、最初に動いたのは安野組の帆山だった。最も無警戒に見えるからだ。

 交番に詰めていたのは、実際に警官の装備を纏った人物が三人。酔っ払いを偽装して近づいた帆山は、フラついた勢いのまま腹部にコンバットナイフを刺し込んだ。


 何事かと飛び出してきた二人は、安野が拳銃で始末した。

 安野とアイコンタクトを交わした帆山は、通信妨害装置を無造作にデスクに取り付けた。これで敵の増援は防ぐことができる。


 何食わぬ顔で安野と帆山は交番の前で右折し、ヘリの格納庫のある方へと向かった。

 異変に気づいたのは、格納庫や宿舎を挟んだ反対側、狙撃銃のスコープを覗き込んでいた権田だった。


「やっぱり大倉が一枚噛んでるな」

「どうしたの、ゴンちゃん?」


 菅原は膝立ちの姿勢で双眼鏡を目に当てている。


「見えたかい、姐さん? 今宿舎内の照明が点滅した」

「ええ。一秒間にも満たなかったけど」


 ここで照明の配線が不調をきたしたのでは、などと尋ねるほど菅原は呑気ではない。

 

「何の合図かしら?」

「きっと通信妨害がかけられたことを表しているんだろう。時間的にもぴったりだ。そうだな、帆山?」

《はい、権田さんの言う通りです》

「だそうだ」

「つまり、これから敵は臨戦態勢に入るということ?」

「ああ。だが、ここに詰めてる野郎共のほとんどは傭兵なんだろ?」

「ええ、そのようね」

「だったら情け容赦なく殺せる。姐さん、先行してくれ。ここから援護する」

「了解」


 がしゃり、と重苦しい音を立てて、菅原は愛刀の柄を握り込む。

 そのまま姿勢を低くしたまま、一気に坂を駆け降りていく。年齢にはまったく不相応な、慎重かつリズミカルな足さばき。音はほとんど立っていない。


 菅原の攻略目標は宿舎だ。もちろん、敵を皆殺しにするわけではない。

 帆山が準備した二つ目の電波妨害装置を使って、全ての自動ドアを閉鎖。

 その後、安野・帆山組とそれぞれに矢口を探し出し、救出の後、グレープ号に搭乗して離陸。

 最後に権田を回収し、菅原が手配したヘリポートに着陸する。


 そこまで脳内で復習してから、権田は周囲の空気がピシッ、と凍りつくのを感じた。それほどの緊張感。

 宿舎のフェンスや天井に配された非常灯が夜闇を切り裂く。菅原が捕捉されたわけではあるまいが、敵の人数は減らしておかなければ。


 権田は深呼吸を一つ。セーフティを解除し、狙撃を開始した。

 ほぼ同時に、円弧を描くように青白い光が煌めいた。それが何を意味しているのか、考えるまでもない。


 菅原が抜刀したのだ。短い斬撃が繰り返され、敵を薙ぎ払っていく。

 かといって、リーチは銃器には劣る。それを片づけていくのが権田の役目だ。

 隙あらば照明を狙撃し、敵の目を奪う。権田は赤外線スコープを覗いていたし、菅原も暗視ゴーグルを装備していたので、暗くても苦労することはない。

 あとは作戦計画と経験則の合わせ技で、出たとこ勝負だ。


 その時、全員のヘッドセットに通信が入った。帆山からだ。

 

《これから皆さんの端末に宿舎の見取り図と、ヤっちゃんの囚われている場所を送ります》

「待ちくたびれたぜ、帆山」

《そう言わないでくださいよ、権田さん! 交番にあった通信システムからデータを引っ張り出すの、苦労するんですよ?》

「へいへい。こちらは大方、外部の敵性勢力は片づけた。あとは姐さんの援護に向か――」

《それには及ばないわ、ゴンちゃん》

「は? 姐さん、まさか……!」

《そのまさかよ》


 周雷斬を使う気か! そう察して、権田は喉仏を上下させる。

 よっぽど慎重に使わなければ、矢口を死傷させかねない。だが、問題はもう一つあった。


         ※


 交番内にて。


「ちょっと待った、瑞樹さん」

「どうしたの、立己くん?」

「姐さん、一旦退いてください」

《何か問題が?》

「ええ。このまま周雷斬を使うと、姐さんが呼吸を整えるまでの間、無防備になります。権田さんの援護が間に合わないかもしれない」

《つまり、しばらく敵が姐さんに近づかねえようにしないといけないんだな?》

「そうです、権田さん。そのために、今瑞樹さんがパソコンと格闘してます」


 安野たちは二人で籠城していた。交番のパソコンと携帯端末を駆使して、帆山が宿舎の自動ドアを封鎖するためだ。

 防弾・防爆仕様の自動ドアは、各部屋ごとのみならず廊下にも設置されている。その支配権を奪ってしまえば、敵を一カ所に集中させたり、逆にばらばらに散開させたりできる。


「瑞樹さん、あとどのくらいかかりそうだい?」

「あと、ざっと三百秒!」

「了解、っと」


 そう気軽に答えるや否や、安野は銃撃を開始した。今は安野が用心棒の役割を担っている。

 射撃はセミオートにセット。立ったまま肩に銃床をつける体勢で、敵の頭部を撃ち抜いていく。

 

 が、いくら安野の腕がよくても、敵の方が数の上では圧倒的に有利だ。


「瑞樹さん、奥の部屋へ。できるだけ伏せる姿勢で作業して」

「わ、分かった!」


 てきぱきと弾倉を交換する安野。その背中を見ながら、帆山は彼を卑怯だと思う。

 どうして命懸けの場面で、こんなのんびりした口調でいられるかな……。


 蛇に睨まれた蛙が、その蛇の目の前で欠伸でもしているかのような違和感を覚える。

 弾倉や武装にはまだ余裕がありそうだ。しかし、敵がこの交番が怪しいと睨んで一気に攻め入ってきたら、自分たちはあっという間に制圧されてしまう。


「瑞樹さん、あと何秒?」

「えっと、ちょうど百秒」


 冷静であれと自らに言い聞かせながら、帆山は操作を続行した。


「よし、これでオーケ……」


 自動ドアの操作権限を手に入れたのと、マントを羽織った大男が迫ってくるのは、まさに同時だった。

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