第21話


         ※


 そんな会話が為された日の夕刻。

 矢口はグレープ号を降ろされてから、ずっと独房に監禁されていた。


 といっても、扱いはやはり丁重だった。出された夕飯のおにぎりはコンビニのそれより美味しかったし、ペットボトルの烏龍茶も貰えた。

 それに、手足の自由を束縛されてもいない。独房だから束縛されていようがいまいが関係ないのかもしれないが、それでも精神的には大きな違いがある。


 少なくとも、手足の先端が壊死していくという想像に囚われずに済む。

 これは監禁される側にとっては大きな安心感に繋がることだ。

 まあ、矢口は監禁されたことがないので、その安心感というものを得る機会には恵まれなかったのだが。


 矢口の独房は、非常に衛生的であることを除けば、いかにも刑務所といった風情だ。廊下側には縦に鉄格子がはめられ、その隙間を縫うようにLED照明が差してくる。

 入口廊下側には戦闘員と思しき男性が二人、自動小銃を手に立っている。


 しかしながら、それは矢口に対して緊張や恐怖を喚起させるものではなかった。

 人生経験上、この程度の武装なら見慣れている。だからこそ矢口はエンターテイナーに招かれたのだし、その要請を快諾したのだ。


 自分が何故特別に招かれたのか?

 その理由は、矢口本人が誰よりもよく知っている。そして、誰よりもよく実感した。脳波だけで軍用ヘリを操縦するという離れ業をやってのけたことで。


         ※


 十年前、矢口が四歳の頃。

 両親が別々に不倫相手を作ってアパートを出ていった。矢口は殺されもせず、かといってまともな世話をされることもなく、置き去りにされた。

 児童相談所の職員が頻繁に訪ねてくれたお陰で、命拾いをしたようなものだ。


 そんな彼女が小学校に上がる年の一月。


「ねえ先生、ボクはどこに行くの?」

「それはね、由香ちゃん。世界の皆に貢献できるところだよ」


 何じゃそりゃ? というのが率直な印象だった。当然だ。矢口は一度、両親という一種の絶対的な世界から隔絶されている。


 それにコウケンしろ、と? 確か、役に立つとかそういう意味だったろうか。

 あまり気乗りはしなかった。だが、矢口の世話係は、それでも彼女の手を引いて行った。とある非合法実験施設へと。


 そこで矢口は、数回に渡ってヘッドギアを被らされ、電気ショックを浴びせられた。もっとも、苦痛を伴うものではない。電気ショックが走るのは二次的な作用で、本来は脳の反応を測定するものだ。少なくとも、実験前はそう思われていた。


 しかし、数回の実験を経た結果、いつの間にか生存者は矢口だけになっていた。

 最初は五、六十人の被験者がいたはずなのに。痛くなんかなかったはずなのに。


 まさに次の実験が行われようとしていたその時、非合法実験の情報を掴んだ警官隊が施設に乱入してきた。もしまた同じ実験を繰り返されていたら、矢口は絶命していたかもしれない。


 それから矢口は、自分の脳が特殊な構造をしていることを知らされた。かといって、学校で特別優秀な成績を収めたわけではない。


 自分が得てしまった能力とは、一体なんなのだろう? それが電子機器への脳波コントロールを行う能力であると知らされたのは、一ヶ月前、権田宗次郎に出会った時だった。


 先天的とも後天的ともつかない能力。それを使って、違法な実験をしている連中を殺して回らないか。


 そう告げられ、矢口は心が燃え立つのを感じた。

 あれだけの人間を平気で殺せる連中が、この世には存在する。止めなくては。


 この時点で人の死というものに慣れきってしまっていたのは、矢口にとって幸か不幸か――。


 取り敢えず今は権田さんたちの役に立ってるみたいだけど。


         ※


 独房の中央であぐらをかき、むすっと唇を尖らせて感慨に耽ることしばし。視界の隅に、ぬっと大きな影が現れた。人影だ。


「矢口由香に話がある。場所はこの独房内で構わん」

「はッ、開錠します」


 すると、戦闘員のうち一人が振り返り、鉄格子をがらがらと開けた。そこから入ってきた人物の顔は、要注意人物として配られた顔写真の中にあった。それに、グレープ号から降りた自分を出迎えた人物でもある。


「大倉敏也・三等陸佐……?」

「ほう? よく知っているな。そういう君は、矢口由香さん、でいいのだろう? 最近、菅原美智子の私兵団に入ったばかりの期待の新人だ」


 ううむ、やはりそこまで知られてしまっているか。


「で? 人質に何の用だい、三等陸佐殿?」

「君を開放……というよりリクルートする手続きの申請に来た」

「は?」

「君には我々の在り方を知ってほしい。そして同意してくれれば、我々は君の安全を保証する」


 すっと背筋を伸ばして正座し、礼儀を慮る大倉。対する矢口はあぐらをかいたままだ。が、お互いそんな些末なことにこだわりはしなかった。


「私は十分ほど前まで、君が乗ってきたヘリ――コールサイン『グレープ』の調査を監督していた。そして判明したんだよ、矢口くん。君のような脳を有する人間は極めて稀だと。逆に言えば、グレープ号の真価を発揮させられる人間はそうそういないだろうとね」

「だからボクを抱き込んで、自分たちのために戦わせよう、と?」


 無言で頷く大倉。


「なるほどね。乗っ取られた時は死ぬほどビビったけど」

「そうだろうな」


 大倉が再び頷くのを目の端に捉えながら、矢口は烏龍茶を飲み干した。


「ほれ」


 どこから取り出したのか、大倉は二本目の烏龍茶を矢口に投げ渡した。


「あ、ありがと」

「いいや」


 短く否定してから、大倉は話を続ける。


「既に気づいているとは思うが、我々は陸上自衛隊内の、空対地攻撃システム構築のために結成された組織の者だ。しかし、別な組織に先を越されてしまった」

「それがあのグレープ号?」

「そうだ。だから強奪させてもらおうとしたんだが、調べてみると、その操縦は基本ヘッドギアで脳波を測定して行われるという。しかも、極秘裏に行われたその選抜試験の生存者が一人だけだったとは……」

「一人だけ? って、ボクのこと!?」

「その通り」


 大倉も足を崩し、同時にふーーーっ、と深呼吸した。


「えっ、待って待って。じゃあ、ボクたちが受けさせられた電脳化の治験って……?」

「我々が実施したものだ。もちろん名乗りはしなかったがね」


 次の瞬間、矢口の顔面が怒りに歪んだ。燃え盛るような熱気が、大倉をも呑み込もうとする。


「貴様! それであんなに身寄りのない人々を犠牲にしたのか? 親類がいないのをいいことに? ふざけやがって!」


 矢口は無理やり上半身を伸ばして大倉に掴みかかろうとした。が、その手はあっさりと大倉に取られ、矢口の身体はぐるんと一回転。したたかに背中を床に打ちつけた。

 受け身を取れたのは僥倖だ。


「ふむ、反応は悪くないようだな」


 矢口はぱっと立ち上がり、後退して大倉から距離を取った。


「悪かった悪かった、じゃあ代わりに、昔話を聞かせてやる。私と権田が中東に派遣されてから、どうして私が権田の妻子を殺害しなければならなかったのか?」


 気にしてたんじゃないか? その大倉の一言で、矢口は自分の頭頂部から戦意が抜け出ていくのを感じた。


「事の発端から顛末まで、きっちり聞いてもらう。まずは質問なしで、私に喋らせてくれ」

「……」


 矢口は無言で、肯定の意思表示とした。


         ※


 十年前。

 権田と共に中東某国より帰還した大倉は、個人的なアプローチを受けた。相手は警視庁公安部の人間だと名乗った。


 独り身だった大倉に失うものは何もなかったし、派遣された部隊の中では権田に続く一等陸尉の階級だったことから、大倉はまた危険な任務を与えられるものだと思った。


 上等だ。どんな任務もこなしてみせる。

 防衛省ではなく公安の人間が絡んでいることから、きっと隠密性の高さを求められる任務なのだろう。


 そう思いながら、警視庁に出頭した大倉。しかし、そんな彼を待ち受けていたのは、あまりにも壮絶な、過酷すぎる任務だった。


「権田宗次郎一家の殺害……!?」

「そうだ」


 呆然と辞令を読み上げる大倉に、公安の接触者は頷いた。


「どういうことです? まさか日本の公的機関が、自国民を標的にするなんて!」

「権田奈津子博士とは顔見知りだったな? 大倉一尉」

「は、はッ、権田三佐のご家族とは親身に――」

「だから君に頼むのだ」


 接触者は短く言い切った。


「油断させ、始末しろ。一人も生かすな」

「なっ……なんで、どうしてそんな酷いことを!」

「君が知る必要はない。これは高度に組織的な作戦なのだ。でなければ、警視庁公安部の私が、陸自の外郭部隊員である君に直接接触したりはしないだろう」

「……」

「幸い、標的は集合住宅ではなく一軒家に居を構えている。消音器をつければ、周囲の住民にバレる恐れはないだろう。できるな? 大倉敏也・一等陸尉?」


 命令。

 相手の言葉を借りれば、高度に組織的な作戦。


 それらの言葉が大倉の頭蓋を揺さぶる。

 同時に、戦場での権田の姿が脳裏をよぎった。

 

 後続の隊員のために、命がけで地雷除去をする権田。自ら囮となって、敵の攪乱を試みる権田。撤退時に、最も危険なしんがりを務めた権田。


 これらは全て、通信兵である自分を守るための行動だった。

 そのために、権田は失明しかけたのだ。額から鼻先にかけて、大きな斬り傷を負いながら。


 そんな仲間思いの権田を裏切り、彼にとって命より大切な家族を奪うのか。

 いや、権田本人も人思いに仕留めてしまえば――。


         ※


「その日からだな。私が毎晩悪夢にうなされるようになったのは」


 そう言いながら、大倉は掌を額に押しつけた。

 

「作戦決行の日の夜、権田は一人で近所の洋菓子店に行っていた。娘の菜々美ちゃんの誕生日だったからだそうだ。それを知らずに、俺は権田の家に踏み込んだ。しかし驚いたよ」

「何があったの?」

「権田の奥方――奈津子さんは、自分は殺しても構わないから娘だけは助けてくれと言ったんだ。それも、銃を手にした俺の前で礼を尽くし、三つ指をついてお辞儀をしながらな」

「……」


 吸った息が吐息と相まって、矢口は咳き込みそうになった。必死に胸元を拳で叩き、呼吸を整える。


「無理は承知、あなたには迷惑をかける。だがそれでも、菜々美だけは助けてくれと告げられてね。騒ぎ立てられたわけじゃない。飽くまでも凛とした態度だったよ、奈津子さんは。俺は引き金を引くに引けなくなった。そこで、別な方法を取ることにした」

「別な方法?」

「毒殺だ」


 僅かに悲鳴を上げる矢口。そんな彼女を上目遣いに一瞥してから、大倉は言葉を繋いだ。


「菜々美ちゃんは助ける。だからあなたには死んでもらわなければならない。私はそう言った。所詮ハッタリだ。しかし、奈津子さんは躊躇いなく、俺の差し出した錠剤を飲んだ。即死だった。何せ、俺たちが戦場にいる時に、自決用に配られていたものだったからな。だが……」


 すると、大倉の指の隙間から、ぽろぽろと水滴が零れ落ちた。


「その時に限って、菜々美ちゃんはその錠剤を飲もうとはしなかった。彼女の命は助けると言った俺の嘘を、見抜いていたみたいだった。今まではよく私にも懐いてくれていたのにな……」

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