第19話

 俯く安野を前に、帆山はなかなか続く言葉を見つけられない。

 いやそもそも、言葉というものが人を救い得るものなのか。それすら怪しいと帆山は睨んでいる。


 しかし、思いの外早く言葉は発せられた。


「瑞樹さんって、勉強熱心だよね」

「え? そ、そうかな」


 今更ながら、勉強中にうたた寝してしまったことに帆山は恥じらいを覚える。


「これって訊いてもいいのかな」

「何? 立己くん」

「瑞樹さんは、将来就きたい仕事ってあるの?」

「うーん、まあ、一応ね」


 再びの無言。いや、正確には違う。安野が帆山と目を合わせて、問いかけ続けているのだ。どんな仕事に就きたいのか、と。

 この組織における第一鉄則、すなわち相手の過去や深い思考について詮索しない、というルールにギリギリ抵触しそうな質問だ。

 だが、帆山はその問いに答えるのにやぶさかではなかった。相手が安野でなかったら、こうは上手くいかなかっただろうが。


「あたしはね、薬学の道を究めたいんだ」

「ほう?」


 もっと聞かせてもらってもいいかな。

 そう言って安野はテーブルを下り、テーブルを回り込んで帆山の隣席に腰を下ろした。


「例えば、人を興奮させる違法薬物、ってあるじゃない? あれとは逆に、人の心を落ち着かせられる薬がないかな、って思ったんだ」

「というと?」

「あたしの家族が亡くなったのも、人が銃を手に取るのも、やっぱり『怒り』とか『興奮』からだと思うんだよね。だからそれを自覚した時に、自分で経口投与できるような薬があれば――」

「自分で負の感情をコントロールできる、と」

「ま、まあ、あたしの理想を述べてるだけなんだけど」


 やや赤面しながら、帆山は顔の前で手を振った。

 

「僕にはそんな高尚な考えは持てそうにないな」


 そう言って視線を外し、自らの左腕を見つめる安野。そして呟いた。


「僕、もう半分化け物みたいなもんだし」

「それは違う!」

「おわっ!?」


 ダン! とテーブルを叩いて立ち上がった帆山。彼女は安野の左手首のあたりをぎゅっと握り、すっと目を閉じた。


「やっぱり安野くんは人間だよ。この義手だって、触れられたら感覚があるわけでしょう?」

「でも骨格は金属だよ? 火薬だって入ってる」

「だから何だって言うの?」


 ずいっと顔を寄せる帆山。先ほどまでの恥じらいはどこへやらだ。


「あなたがこの金属製の腕を捨てて、ちゃんとした義手を手に入れられる日は必ず来る。それまではあたしが、あなたをサポートするから!」


 ぱちぱちと瞬きを繰り返す安野。

 自分が、自分たちが戦わずに済む日など来るのだろうか? 『エンターテイナー』解散の日が?

 それは喜ばしいことではあるのだろうが、人間社会には常に悪という者は存在するし、それを根絶やしにすることはできないだろう。


 それでも、帆山はそれを目指して全力で日々を送っている。その気迫が安野の胸に突き刺さった。それこそ帆山のナイフのように、精確に。


「あっ」


 気づいた時には、安野はそっと、帆山の背中に腕を回していた。少しだけ背の低い帆山の肩に顔を載せる。


「ありがとう、瑞樹さん。自分がこれからどうなるかは分からないけど……。取り敢えず心が楽になったよ」

「え、あ……」


 自分が何をされたのか、ぼんやりとしか感知できない帆山。だが、自分がどう生きるべきかがぼんやりしているのは、安野だって同じだ。


「期待してるよ、瑞樹さん。でも、無茶はしないでね」

「あっ、うん……」

「明日の作戦、必ず決めてみせようぜ」

「分かってるよ、立己くん」


 それじゃあ、僕は夕飯の買い出しに行ってくるから。

 そう言って安野は退室した。


         ※


 翌日。グレープ号奪還作戦決行日。既に皆が配置についていた。

 矢口がグレープ号を見据えて、物陰で屈伸運動。


《そろそろいいか、嬢ちゃん?》

「大丈夫だよ、権田さん」

《了解。射撃を開始する》


 権田は展示会場の死角となる低い丘の縁から最大効果域を見極め、煙幕弾をありったけ叩き込んだ。


 それから安野と帆山が、無痛性のスタンプ状の針を次々に警備員の首筋に刺していく。自分たちは、最新型のフルフェイスのガスマスクを装着している。

 権田は煙幕弾射出用のグレネード・ランチャーを投棄し、扱い慣れた狙撃銃を装備。グレープ号に向かってRPGを構える輩を次々に仕留めていく。


 この間菅原が何をしているかと言えば、他の飛行兵器に対する電磁波攻撃である。

 流石に戦車や戦闘機が出撃することはないだろうから、追撃してくるとすればドローンだ。それを妨害する。


《さて、妨害電波発信まで、あと――五、四、三、二、一!》


 という言葉がヘッドセットに轟いた、まさに次の瞬間。

 上半身を屈めた矢口が、砂塵を撒き散らしながら駆け出した。凄まじい瞬発力に、唖然とする安野と帆山。


 矢口はスピードを殺さずに、立ち塞がった警備員三人に正拳突き、足払い、ヘッドバットを繰り出し、全員を昏倒させる。


 ヒュッ、と短い口笛を吹きながら、権田は監視任務にあたる。


《敵の武器は催涙ガスだ! 総員、ガスマスクを装着して敵勢力を――》

「通信が筒抜けだ、馬鹿」


 権田は矢口の走行速度を見極めながら、警備員の詰め所と思しき建物に狙いを定めた。慌てて出てくる警備員たちを、次々に屠っていく。


 一方の安野と帆山もまた、着々と敵を仕留めていった。

 安野の読み通り、帆山の方が接敵速度も格闘戦術も巧みだった。

 惜しむらくは、今回が非殺傷任務であったがために、ナイフを携行していなかったことだ。


 ナイフ使ってる方がカッコよく見えるんだけどなあ、瑞樹さん。

 そんなことを胸中でぼやきつつ、安野も負けじと長い足を使って敵を牽制、煙幕に紛れて背後を取る形で敵の意識を奪っていった。


《皆、ヤっちゃんがグレープ号に到達したわ。あとは私とヤっちゃんに任せて。三人は互いを援護しながら撤退!》


 全員分の復唱を聞きながら、菅原はセーフハウス内で電子部品に囲まれていた。

 ここの機材をフル活用して、展示場のセキュリティにクラッキング。グレープ号以外のヘリやドローンを操縦不能とする。


 猛スピードで妨害装置の組み立てを完了した菅原は、最後にエンターキーをタンッ、と叩く。


 こうしてグレープ号奪還作戦は見事に成功した。――はずだった。


         ※


「こちら権田、グレープ、応答せよ」

《……》

「グレープ、どうした? 応えろ」

《……》

「おい、一体何があったんだ!」


 権田の上空を飛び去るはずだったグレープ号。だが、その軌道は全く違っていた。

 どんどん遠ざかっていってしまうのだ。ちょうど展示場を挟んで、権田とは反対側に。


「姐さん、グレープ号の機内の状況は把握できるか?」

《離陸直後から無理になったわ。ヤっちゃんからも応答なし》

「安野! 帆山! お前らはどうだ? 矢口から何か言ってきてねえか?」

《酷いノイズだ! グレープ号との通信が取れない!》


 一方、そのグレープ号に搭乗している矢口もまた、混乱に陥っていた。


「誰か応答してくれ! 姐さん、皆との通信が切れちゃったよ! どうしたらいいんだ?」


 どうにもこうにも、このグレープ号は、ヘッドギアだけで操縦可能というのが売りなのだ。そのヘッドギアによる操縦系統を潰された以上、矢口にできることは何もない。

 ましてや、通信不能となっては。


「これじゃあボクが人質みたいじゃないか……」


 さあっ、と頭頂部から血の気の引く矢口。

 できる限り暴れてみるか? それとも、この通信を聞いているかもしれない敵(何者か分からないけれど)との対話を試みるか?


 いや、エンターテイナーに入って日が浅い自分が、下手な動きを起こすべきではないだろう。

 昨日見たところだと、グレープ号の主翼の近くには強力なGPSが取り付けられていた。

 菅原たちが、グレープ号の操縦を取り戻すのは難しかったとしても、どこに飛んでいったかは分かるはず。


 それまでなんとか、生き延びなければ。

 矢口は展示場でちょろまかしたオートマチック拳銃と弾倉数個を確認し、ベルトの後ろと腰元に挟んだ。


         ※


「ほう! 見事なものだな、大倉くん!」

「恐れ入ります。中東派遣時も、自分は情報通信及び妨害を担当しておりましたので」


 初老の男性が声を上げる。

 大倉が先日訪れていた、防衛省のとある組織の会議室でのことだ。


 大倉も既にこの環境に馴染んでいるのか、男性の方に一瞥をくれることもない。代わりに視界の中央に捉えているのは、自前のノートパソコンだ。

 これを使って、現在展示場から奪取されたヘリ、すなわちグレープ号の操縦を乗っ取っている。


「我々防衛省も一枚岩ではありませんからね。志を同じくする我々がこの最新鋭機を手にすることには、大きな意義があります」


 女性が相変わらず淡々と語る。

 

 まあ、自分は居場所を確保してもらっているだけなんだが。内心、大倉は本音を零した。

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