第18話【第五章】
【第五章】
翌日。
今度は安野と矢口が見本市に出向くことになった。明日、ヘリを奪還するための下準備だ。
矢口は再び試験飛行を行うためだったが、安野は違う。どこに警備員がいるのかを確認しなければならない。
明日の作戦概要はというと、こんな調子だ。
まず、赤外線バイザーを装備した矢口が潜入し、ヘリに乗り込む。生憎、ヘリの武装は全て取り外されているので戦闘行為はできない。そのため、権田がやや高所から煙幕弾を撃ち込み、警備員たちの動きを止める。
だがこの見本市の性質上、矢口と同様の装備をしている警備員もいるだろう。下手をすれば銃撃を受けるだろうし、最悪、ヘリが地対空ロケット砲で撃墜される恐れもある。
日本でそんなことが起きるとは信じていなかった。――少なくとも矢口は。
「うわ~、昨日は夢中で気づかなかったけど、結構皆危ないものぶら提げてるよね……」
「そうだねえ。SATの装備で規格が統一されているみたいだけど。あとは航空機コーナーに隣接するようにRPG――対物携行用ロケット砲のコーナーがある。いざヘリや戦闘機をパクられそうになったら、叩き落とすつもりなんだろうね」
「マジかあ……。明日の今頃、ボク生きてるかなあ?」
「ま、明日は明日の風が吹く、ってね」
安野の態度があまりに呑気なので、矢口は激怒から一周回って対応を諦めてしまった。
「ヤっちゃんはさっきから何を気にしてるの?」
「いや、ヘリの周りはやたらと警備が厳重だなあと思って……」
「それだけ今回のヘリは、情報漏洩が防止されてるってことさ。一旦奪ってしまえば、あとは同じ型式のやつが正式採用されるまで僕たちは無敵だ。謎の存在として立ち回る――ああいや、飛び回ることができる。美味しい話だよ」
ああ、ところで。
そう言って安野は言葉を繋いだ。
「決めたかい、ヘリの名前は?」
「んー、そんなに重要かなあ?」
「重要だよ。皆の結束を高める効果がある」
「だったら逆に、そんな大切なものをボクが決めてもいいのかい?」
「新しい時代を創るのは老人ではない、って昔の偉い人も言ってるよ」
ふんむ、と唸りながら、矢口は顎に手を遣った。眉間に皺を寄せている。
「じゃあ……グレープ号」
流石の安野も、これにはコケた。
「グ、グレープ? 葡萄かい?」
「うん。エンターテインメントって言ったら踊りだし、踊りって言ったら舞踏だし、だったら葡萄? みたいな?」
随分と飛躍したものである。親父ギャグかよ、とツッコみたくなるのを、安野は辛うじて胸中に留めた。
「まあ、最終決定権を君に託したのは姐さんだからね、僕からは異論はない……というか異論を述べられる立場じゃないんだけど」
「じゃあ、決まりでいいのかなあ?」
「どうぞご自由に」
じゃ、グレープ号で。――そんな無邪気な一言で、世界の最新鋭ヘリの俗称は『グレープ号』となった。コールサインは『グレープ』だろうなと安野はぼんやり考える。
それよりも、安野には為すべきことがある。敵となる警備員の配置の把握だ。うっかり気を抜きそうになったが、注意力が散漫になった気配はない。飽くまで自己分析によるところだが。
明日の作戦時、矢口には真っ直ぐグレープ号に向かわせるとして、権田には煙幕弾を展開してもらう。
自分と帆山は、無痛性の注射器をあるだけ担いでいって、煙幕でゲホゲホやっている警備員たちの首筋に突き刺していくことになるだろう。
銃撃すると、矢口が被弾する恐れがあるからだ。
「まあ、僕なんかよりも瑞樹さんがちゃっちゃと片づけちゃうんだろうけど」
残りの問題はRPGだが、これに関しては矢口の腕前にかかっている。急いで任務を達成し射程外に逃れるべし、ということしか言えない。
「こればっかりは皆で上手くやるしかないかあ」
RPGの並べられたコーナーを遠巻きに眺めながら、安野は呟いた。
※
セーフハウスに戻ると、ダイニングのテーブルに突っ伏しながら帆山が眠っていた。周囲に散らばっているのは筆記用具や大学のテキストなど。
こんな大それた犯罪に加担しながら、きちんと将来設計を立ててる人がいるんだものな。
安野は感心こそしたものの、とても真似する気にはなれなかったし、できるとも思わなかった。
ここはブランケットでも取ってきて、肩に掛けてやるのが思いやりというものだろう。
相対性理論を読解するより、こっちの方がよほど有意義だ。味方を風邪の危険から遠ざけることができる。
帆山にブランケットを掛けてやった安野は、コーヒーメーカーに向かった。二人分の量の粉を淹れ、マグカップも二つ用意。
本来だったら残りの三人の分も用意すべきだったのかもしれないが、安野は必要最低限とされるものしか用意しない。そこまで考えが回らないのだ。
だからこそ、銃撃要員としての注意力を保っていられるのだろう。
コーヒーが出来上がるまで、安野は熱帯魚の住む水槽を眺めていた。
当たり前だが、彼らは完全に生まれたままの肉体を持っている。安野のように機械化されてはいないのだ。細胞の一片たりとも。
コーヒーメーカーがコポコポと音を立て始めた時、安野背後で何かが動く気配を察した。きっと帆山が目覚めたのだろう。
「……あれ? あたし寝ちゃってた?」
「おはよ、瑞樹さん」
「ああ、おはよう、立己くん……」
まだ軽く眩暈がするような感覚に囚われながら、帆山が応じる。
「ちょうど出来たんだ、コーヒー。二人分あるけど、飲む?」
「ん? あー、ありがとー」
目元を擦ってから顔を上げると、ものすごい近距離に安野の顔があった。
「うわあっ!」
「おっと! ど、どうしたの、突然?」
「え? あー、いや、ドラマとかでよくあるじゃん? なんとなーく顔が近づいちゃって、それで――」
この時である。言い訳をしているつもりが墓穴を掘っているのだという事実に、帆山が気づいたのは。
「別に顔が近づいたって、取って食いやしないよ。僕にカニバリズム的嗜好はない」
「いや、食べるよりもっと簡単にできちゃうことってあるじゃない!」
「というと?」
まさか接吻だとは口が裂けても言えない。増してやキスだなんて言葉、言おうとした瞬間に呼吸困難に陥ってしまいそうだ。
安野は帆山のマグカップをテーブルの隅に置き、自分の分に口を付けた。
どうしてコイツはこんなに鈍感でいられるかな……! という帆山の怒りが届く気配は一切ない。
しかしながら、ここで意外なことが起こった。
あの朴念仁の権化たる安野が、自分からこんなことを尋ねてきたのだ。
「瑞樹さんは僕のこと、気持ち悪いと思う?」
「……」
カップから唇を離し、帆山はぼんやりと安野を見つめた。当然話題を振られたことも驚きだが、人前で、しかも自分の前で弱音を吐く安野を見るのはこれが初めてだった。
「気持ち悪いって……。どういうこと?」
「皆には説明したよね、僕の左腕のこと」
「ああ……」
そうか、そのことか。帆山は合点がいった。
「姐さんや権田さんは、僕の腕のことを知った上で……というか僕に選択肢を委ねた上で、エンターテイナーへの所属を許した。それはいいよ、二人共承知してたんだから。でも、でもさ? 瑞樹さんは僕より後に入ってきたんだ。今じゃ立派なメンバーだけど、最初に僕の左腕を見た時は大層驚いていたよね」
「そ、そりゃあ……。突然、彼の腕は特注品です! なんて言われて、がしゃがしゃ変形するのを見せつけられたらね」
「だよなあ……」
安野にしては行儀悪く、よっこらせとテーブルに腰かける。
そのまま、香り立つ液体を覗き込みながら、安野はぼそりと呟く。
「僕のことを心配してくれる人なんているんだろうか」
「はあ!?」
今度は思わず、帆山は素っ頓狂な声を上げてしまった。これには流石に驚いたのか、安野はぴくり、と肩を震わせ、帆山と目を合わせた。帆山は続ける。
「ちょっと立己くん、どうしちゃったの? 今日はいつにもまして挙動不審だよ?」
「そういう気分なんだ。左腕を見下ろしてると時々こんな気分になるし、こんな気分になるからこそ左腕を見下ろす、なんて時もある」
言葉を失う帆山。自分の専攻は心理学ではない。当然自分は心理学者でも臨床心理士でもない。
こういう時、安野に何と声をかけたらいいのだろう?
ええい、思ったままのことを言ってしまえ。
「あたしだって、同じだよ」
「えっ?」
飲み干したカップをテーブルに置きながら、安野は両眉を上げて帆山を見た。
「立己くんと同じように、勧善懲悪って言葉を盾にしながら悪党共を殺してる。その方法が、あたしの場合はナイフと格闘戦術。立己くんの場合は自動小銃と左腕。手段が違うだけで、やってることは変わらないよ」
「……そう、かな」
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