第14話【第四章】

【第四章】


「えー、それでは! 銀行……じゃなかった、テロリスト強盗の成功を祝して! 乾杯!」


 矢口の言葉に、皆が一斉にグラスを掲げた。乾杯、という歓喜の声が弾け飛ぶ。

 だがどうして矢口が音頭を取ることになったか? と言えば、この中で最も若いからだ。


 こうして、若さに上塗りされた『捻じれた正義感』を引き剥がしていく。その下にあるのは直感に基づく勧善懲悪の精神であり、このエンターテイナーに所属するにはどうしても必要なものだ。

 でなければ、人質や捕虜の口止め、すなわち殺害などできやしない。


 それに、食欲に素直かつ貪欲に従うことは、命の駆け引きを終えた後のストレス発散にも繋がる。少なくとも現メンバーはそうだし、菅原の経験にも一致するものだ。

 まあ、菅原ほど自分の過去を巧みに隠蔽しているメンバーは他にいないのだが。


 本人から話し出さない限り、他メンバーの過去に言及しない。

 これは、『エンターテイナー』における最も重要な約束事であり、これを反故にした場合にどんな罰が下されるのか、菅原以外に知っている者はいない。

 というか、知った者は皆死んでいる。


 それはさておき。

 現在テーブルには、帆山が腕によりをかけた料理が並んでいる。厚焼きステーキだの、大盛り海鮮丼だの、トリュフを添えたクリームパスタだの。


 皆が思い思いに、小皿に目当ての料理を掴み取っていく。

 自然と笑みの輪が広がり、作戦とは無関係の話題で盛り上がる。


 そんな中、余計に一枚皿を用意している人物がいた。権田だ。


「姐さん、念のため許可を取っておきたいんだが」

「許可? ええ、どうぞ」

「今回の人質……大倉敏也に少しくれてやってもいいか? ここの料理」


 思案する菅原の前で、真っ先に反対の挙手をしたのは矢口だった。


「ちょ、ちょっと、何言ってるんですか、権田さん! あいつは権田さんの奥さんや子供さんを殺したんでしょう?」

「黙ってた方がいいよ、ヤっちゃん」


 俯いたまま帆山が制するが、矢口は効く耳を持たない。


「そんな奴に、こんな美味しい料理を食べさせてやることないよ!」


 しかし、この喧騒は一瞬にして静まった。権田が矢口を睨みつけたのだ。

 そこに込められていたのは、怒りではなく懇願。今は静かにしていてくれ、という、権田には非ざる要請だった。


「う、あ」


 一瞬で言葉を失い、矢口はすとん、と自分の椅子に腰を下ろした。


「そういうことなら、僕も同行します」

「いいのか、安野?」

「ええ。人質に食事となれば、少なくとも二人は必要でしょう? 付き合いますよ」

「悪いな」

「いえ」


 早速といった風で立ち上がった権田に従い、安野もまた腰を上げた。


         ※


「邪魔するぞ、大倉」

「何のつもりだ?」


 牢屋内で囚われていた大倉は、明らかに困惑していた。自分がまだ生かされていることが信じられない、といった様子だ。


「おかしいだろう、権田。俺はクライアントから、お前たちに捕まったら間違いなく処刑されると聞いてきたんだぞ」

「何事にも例外はある」


 権田がそういう間に、安野が大倉の拘束を解いていく。権田はよっこらせとあぐらをかき、右手から皿を一枚、左手からワインボトルを一本置いた。


「何を考えてる? ここで宴会でも始めるつもりか?」

「そうだ。大倉、お前が主賓だ」

「……」


 ぐっと口元を引き締める大倉。困惑を隠すつもりなのだろうが、あまり上手く行っていないなと安野は思った。ちょっと動いてみるか。


 どこからともなく、安野はワイングラスを取り出した。三つだ。そのままジャグリングを始める。


「あっ、お前、それ今どうやって……?」

「やっぱり気になりますよね、まあ、いろいろやりようはあるんですよ」


 安野のマジシャン顔負けの技量に驚いたのか、大倉は目を見開いた。

 一体どういう原理なのか? そんな興味が大倉の顔に出たのを、権田は見過ごさなかった。


「俺にも分からん。というか、こいつが教えてくれんのでな」

「まあ、ネタを見破られたら、同じネタは二度と使えませんからね」

「それで俺の足も?」

「ま、実際はちょっと違うんですけど。痛みますか?」


 今は鎮痛剤が効いているはず。感覚がないのか、大倉は肩を竦めてみせた。

 すると唐突に、すぽん、という音がした。権田がワインボトルの栓を抜いたのだ。


「安野、確か以前、皆の前で過去を語ってくれたな」

「ええ」

「もしよかったら、ああいや、こんな言い草はねえと思うが……」

「大倉さんにも教えてあげろってことですね?」

「大丈夫か?」

「ま、過去は変えられませんから」


 そう言って、安野は背筋を伸ばした。


         ※


 十五年前。安野立己、八歳の冬。


「じゃあ立己、すぐ戻って来るからな」

「外に出ては駄目よ。ちゃんとあなたの好きな唐揚げ、買ってきてあげるからね」


 そう言って店舗に向かっていく両親に、安野は無言で頷いた。近所のコンビニの駐車場でのことだ。

 

 安野が大人しくしていられたのには理由がある。お気に入りの手品の本だ。数年前に父親が気紛れにプレゼントしてくれたものだが、安野は大いにハマり、その手の本を既に十数冊も持っていた。


 誰にも真似できないことをすること。それを通して人を驚かせること。それから笑顔にして、ハッピーエンドを演出すること。

 それが自分の進むべき道であり、いわゆる生き甲斐というものであると、幼いながらに安野は信じ切っていた。


 しかし、両親はなかなか帰ってこない。流石にどうしたものかと、安野は訝しく思い始めた。

 車外に出てみようか? いや、それは駄目だと母親に言われている。それに寒いのは苦手だ。


 安野は退屈まぎれに、両手を組んで伸びをした、まさにその瞬間だった。

 パパパパパパパパッ、と目の覚めるような閃光と破裂音がした。


「んっ!」


 思わず腕を引っ込め、シートの上でうずくまる安野。自分の手に、あまりにも奇妙な違和感がある。

 幸いだったのは、すぐに姿勢を下げたことで、続く災難――紛れもない銃撃だ――から身を守ることができたことだ。


「うぅ……」


 左腕に走る不快なぬるりとした感触。足元に散らばるガラス片。少し視線を上げると、前のシートに穴が空き、クッション素材が飛び出していた。


 この期に及んで、安野はようやく自分が負傷していることに気づいた。鮮血と思しき液体が滴っていたからだ。

 痛みはない。というより、痛みを感じられるほどの余裕がない。手の違和感と関係があるのだろうか?


 安野が思ったこと。それは、今の自分に為す術はないということだ。

 どうやら左手を負傷したらしい。そこからどくどくと血が出ている。

 確か人間は、体内を巡る液体のほんの僅かでも失えば死んでしまう。これは、いわゆる致死量に匹敵する量だろうか?


 しかし、そんな風に頭を回転させていられたのはほんのわずかな間のこと。

 単なる心理的ショックで、安野は気を失ってしまった。


 それでいて、正気に戻るのは早かった。雪が微かに舞う駐車場で、安野は担架に載せられていた。と思ったら、バランスよく持ち上げられ、そのまま救急車に搬入された。


「えー、子供一名、生存確認。輸血準備します」


 淡々と無線機に声を吹き込む人物がいる。奇妙なのは、その人物が医師や救命隊員ではなく、黒っぽい防弾ベストを纏った機動隊員だということだ。

 首を捻って周囲を見遣る。すると、同じような格好をして、透明な盾を構えた隊員がざっと三十名近く、このコンビニの駐車場に展開していた。

 まるで、新たな銃撃に備えるように。


 結論から言えば、これ以上の襲撃はなかった。というより、このコンビニに機銃掃射を加えたのは、武装集団側の誤射だった。

 そいつらが名だたる反政府系のテロリストの一派であることを、後に安野は聞き知った。


「はい、はい――。了解。空きスペースがありますので、遺体をこの車両で搬送します」


 安野はゆっくりと車両の手前、キャビンの奥へと担架のまま移動させられた。

 遺体……。亡くなった人の身体。あまり見たくはないなと思い、安野は壁際に目を逸らそうとした。

 

 が、しかし。

 ビニールシートがかけられた遺体の担架からぶら下がった部分が目に入り、安野ははっと息を飲んだ。あの腕時計は……!


 現時点で、安野が正気を取り戻していることに気づいている大人はいない。もちろん、彼が注目した腕時計を着けているのが、安野の父親だということにも。

 これは安野が貯金をはたいて、父の日にプレゼントしたものだ。


 息が詰まる。苦しい。逃げ出したい。目を背け、現実という名の魔手から脱出したい。

 だが、次に運び込まれてきた遺体は、安野を絶望の淵から突き落とすものだった。

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