第10話【第三章】

【第三章】


 医務室のある廊下の向こうからやって来た帆山。どこか疲れた様子の彼女に、真っ先に声をかけたのは安野だった。といっても、その視線は水槽に注がれたままだ。


「大丈夫かい、瑞樹さん? なんだかぐったりしてるけど」

「ねえ立己くん、あたしのことちゃんと見てる?」

「見てるよ~、リンちゃんルンちゃんの次に」


 すると、帆山のいるのと違う向きから、安野の頭頂部に手刀が振り下ろされた。権田だ。


「ちゃんと人の目を見て話せ」


 権田は安野にそう言いながら、椅子を引いて帆山に座るよう促した。


「ほれ、コーヒーだ。ちっと冷めちまったけどな」

「ああ、ありがとうございます」

「それにしても……。おい安野!」


 権田は安野の着ているシャツの後ろ襟をぐいっと引いた。


「あいたっ! さっきから何なんですか、権田さん!」

「だ~か~ら~、お前はちゃんと人の話を聞け!」

「聞いてますよ! 熱帯魚は目で見て、人の話は耳で聞いてるんです。感覚器官が違うでしょ?」

「俺は礼儀の話をしてんだよ!」


 今度は拳骨が見舞われた。


「おら、てめえも席に着け」


 礼儀や人情というものに、権田は強い信念を持っている。周囲から意外に思われるほどに。

 これもまた権田の過去に関わることなのだが、帆山と違って権田は自らの過去をひけらかそうとはしない。


 それを聞き出そうとする人間も、エンターテイナーにはいない。

 だからこそ、権田はこの組織の運営に協力的なのだろう。


「ひー……。で、何ですか、権田さん。テーブルに腰かけて、何をしようってんです?」

「作戦会議だろうが、間抜け」

「あっ、でも姐さんがいないようですけど……」


 疑問を呈したのは帆山だ。


「ああ、姐さんはもうじき情報の解析を終えるそうだ。いいタイミングで戻ってきてくれたな、帆山」

「いえ、話のキリがよかったものですから」

「嬢ちゃんには話したのか? その……」


 口籠る権田の言葉を継いで、あたしの過去ですか? と尋ね返す帆山。

 権田は無言で頷いた。


「ええ、話しましたよ。玄馬さん――いえ、権田さんがあたしを導いてくれたことも、それからあたしが復讐を果たしたことも」

「帆山さん、キレると容赦ないからねえ」


 相変わらず安野はのんびりとした口調を崩さない。


 じゃあ今からあんたを斬り刻んであげようか?

 普段の帆山ならそう言いかねない。だが、相手は誰あろう安野である。流石に自分の野蛮さを露見させるのは気が引けた。


 帆山は、あぁあああ、と呻いて頭を抱え込み、自分は愛憎ドロドロ人間ではないと言い聞かせる必要に迫られていた。

 いや、ドロドロするほどの関係でもないような気がするな。いずれにせよ、安野に暴力的な言動を取るのは避けなければ。


「これより我々エンターテイナーは、戦闘態勢に移行します」


 朗々と言って隣の情報統括室から出てきたのは、菅原だった。

 これが明るい話題だったら安野がボケ役を買って出て、よっ、待ってました! くらい言うところだ。


 だが、そんな雰囲気でないことは皆が承知している。理由はあまりにも明確。

 菅原の宣言に緊張感がみなぎっていたからだ。


「姐さん、戦闘態勢の種類は?」

「敵地侵攻、及び妨害勢力の殲滅です」


 権田に対する短い返答。それだけで、権田を含む三人は状況を理解した。

 逃走や防衛ではなく、こちらから攻め込む。それが敵地侵攻だ。


「ってことは、敵の拠点が分かった、ってことですか?」

「そうよ、ミっちゃん。ここからそう遠くない、暴力団の事務所。というより、テロリストの根城ね」

「作戦はいつも通りですか?」

「まあまあタっちゃん、そう慌てないで。今から説明しますから」


 すると、菅原はホワイトボードを引き寄せ、プロジェクターを起動して地図を表示した。

 レーザーポインターのスイッチを入れ、地図の一点を指す。


「ここが、今我々のいるセーフハウスです。敵の拠点はここ、やや海沿いの、なんてことはない雑居ビル」

「なあんだ、じゃあ発破解体でぶっ潰してやればお終いじゃねえのか?」


 射るような目で画像を見ながら、権田はパキポキと指を鳴らす。


「それがそうとも行かないのよ。このビルのテロリストの潜伏先なんだけど、防弾・防爆仕様なのよね」

「あっちゃー、マジか」


 権田はぱちん、と掌を額に当て、顔を天井に向けた。


「じゃあ、狙撃手としての俺の出番はねえってことか」

「そうでもないわよ、ゴンちゃん」

「んあ?」


 菅原が画像を切り替える。そこには、ビルの詳細な外観が映し出されていた。


「屋上を見て。アンテナみたいなものが建ってるでしょう?」

「ああ、本当だ」

「これが、今回の電波障害対策用の装置。ゴンちゃんには、皆が突入する前にこのアンテナを破壊してもらう。対戦車ライフルを手配したから、間違いはないはずよ。あなたの腕が鈍っていなければね」


 茶化すような笑みを浮かべた菅原に、権田はふん、と鼻息も荒く目を逸らした。

 誰が鈍っているものかよ。


「まあまあ、そんな不機嫌そうな顔しないでよ、ゴンちゃん。アンテナを潰すだけでも、相手の戦力の多くを割くことができるのよ?」

「あン?」

「敵は雑居ビルの一階に陣取ってるんだけど、それだけだとあまりに無防備でしょう? そこで、ドローンを飛ばしてるのよ。機影を確認できただけで六機。実質稼働しているのは四機で、二機は充電に回されてる」

「つまりドローンの司令塔であるアンテナを潰すってことは、相手の目を潰すことに等しいわけか。安野と帆山の突入はずいぶん楽になるな」

「そうそう、僕たちの突入に関しては?」


 欠伸を噛み殺しながら安野は尋ねる。


「まずはこれを」


 そう言って菅原がテーブルに広げたのは、この雑居ビルの見取り図だった。


「結構複雑なんだな」

「その割に人数は少ないわ。きっと最近までテロリストの本部として使われていたんでしょうけど、移転したのよ。あんまり大きな火器は使えないけど、私たちだって少数精鋭。矢口さんの初陣にはちょうどいいと思うけれど」

「ああ、ボクのことはヤっちゃんで構いません」


 どわあっ! と菅原以外の三人が悲鳴を上げた。矢口がテーブルに身を乗り出して地図に見入っていたことに気づいていなかったらしい。


「ちょっとヤっちゃん、驚かさないでよ……」

「ごめんごめん、皆が真剣そうな顔で話してたから。でもさ、ボクだけ仲間外れにするのは酷くないですか?」

「ああ、申し訳ないわね、ヤっちゃん」


 軽く手を合わせたのは菅原だ。


「後でちゃんとあなたにも説明しようと思ってたんだけど、今は休んでるのかと思って」

「ボクはもう大丈夫です。戦えます」

「了解。期待してるわね」

「ほいほーい、質問だ」


 割って入ったのは権田だった。


「テロリストの拠点を潰すのはいいが、目的は何だ? 何かあるだろう、姐さん」

「ええ。お金です」


 菅原のあまりの即答ぶりに、残り四人は、がくん、という珍妙なリアクションを取った。


「それ、ただの強盗じゃないですか……」

「悪い奴らは悪いお金しか持ってないの! 真っ黒な紙幣ばっかりだわ! だったら、私たちの方がまだ有効活用できるじゃない? 紙幣の漂白よ、ひょ・う・は・く」


 指摘した自分が馬鹿みたいだと、帆山は額に手を遣った。


「マネーロンダリングでもするつもりですか?」

「まあ、その辺は任せてもらって大丈夫よ。ただ、この見取り図の話に戻るけれど――」


 五人が再び地図に視線を戻す。


「私も出ます。ゴンちゃんには、最初のアンテナの破壊任務に続き、皆の援護を」

「おいおい、このビルがガラス張りならともかく、鉄筋コンクリートなんだろ? それ越しに敵の姿は見えないぜ? 援護とはいえ、そこでライフルぶっ放したら突入する四人が危険だろ」

「大丈夫。ちょうど預かってきたから、ちょっと待ってね」

「預かってきたって、何を?」

「じゃじゃーん!」


 菅原が得意げに取り出したのは、フルフェイスのヘルメットのようなものだった。ヘッドギアと呼ぶべきか。


「これを被っていれば、衛星経由で真上から敵と味方の区別がつきます! あ、ゴンちゃん以外の皆はこのバッジ付けておいて。敵だと思って誤射されたら大変だから」

「おお」


 権田が短く感嘆の声を上げる。


「なるほど、これなら雑居ビルの中身を丸裸にできるな」

「今回、ゴンちゃんにはそれを装備して戦ってもらうわ」

「となると、自然と権田さんが指揮官になるわけですか」


 ややげっそりした態度の安野。


「なんだ、文句でもあんのか?」

「だって権田さん、この前似たようなことやった時、敵が水族館に逃げ込んだから溺れさせようって言って、水槽を割りまくったじゃないですか。罪もない熱帯魚たちを散々殺しておいて……。忘れませんよ」

「ありゃあ悪かったよ。でもあの時の犯人は――」

「はいはい! 昔話はお終い! ヤっちゃん、料理は得意?」

「えっ? は、はい、それなりに……」

「じゃあお昼ご飯、頼んでもいいかしら? 冷蔵庫にあるものは好きに使っていいから」

「分かりました~」


 ぴょこんと椅子から下りて、矢口はキッチンに向かった。

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