第9話
刑事たちの背後では、看護師たちが申し訳なさそうに肩を寄せ合っている。
「さあ、教えてくれ。君たち家族の乗った車と接触事故を起こしたのは、どんな車だったんだい?」
思いの外柔らかな口調に、帆山の意識はするすると事故直後の瞬間へと流れていく。
そして、相手の乗用車に乗っていた運転手たちの言葉や態度、当時の自分の状況が刻銘に浮かび上がってきた。
「……ぅ」
「う?」
「うぅっ……、うあ、うわああああああっ!」
このままでは、あの男たちに轢き殺されると思った。
あいつは両親と弟の命を奪った。理不尽極まりない方法で。
――自分の命まで奪われてたまるか。
「まっ、待てお嬢ちゃん!」
そう刑事に声をかけられた頃には、帆山は立派な武器を手にしていた。点滴の針だ。
「うわっ、ぐっ、はあっ!」
慣れない手つきで、しかし明確な殺意を持って、帆山は針を振り回した。
がたん、と点滴台が倒れ、薄い栄養剤が飛散する。
「お嬢ちゃん、落ち着いてくれ! 俺たちは君の味方だ!」
刑事の一人が喚いたが、そんな言葉が今の帆山の耳に入るわけがなかった。血走った眼で針を振り回す帆山。やがてベッドに飛び乗り、背を壁につけて周囲を見回す。
呼吸は荒く、しかし闘争の意志にはまったく衰えが見られない。
膠着状態か。
そう思われた時、唐突に看護師たちの群れが二つに分かれた。振り返った刑事たちのうち、若い方が短い悲鳴を上げて後ずさる。
年嵩の刑事も驚きを隠せない様子だったが、辛うじて敬礼した。
「おっ、お疲れ様です、玄馬さん!」
「おう。これが噂の嬢ちゃんか。随分殺気立ってるな。事故に遭った時のことを思い出してるんだろう」
皆が恐れおののく中、玄馬(本名・権田宗次郎)はゆっくりと帆山の様子を見つめた。
その間、約五秒。
「なあ、帆山瑞樹。俺はお前の復讐を手助けすることができる。一緒に来るか?」
その言葉は、しかし当時の帆山にはまったく通用しなかった。そしてあろうことか、帆山はベッドの上から跳躍し、思いっきり玄馬の胸に突き刺した。
と思ったものの、その針の先端は玄馬の厚い胸板に至ることなく、右腕で握りこまれて食い止められてしまっていた。
ミシミシと音がして、ガラス製の点滴針は握り潰され、ぽつぽつと血が滴る。玄馬の掌の表面が切れているのだ。だが、そんなことにはお構いなしに、玄馬は一本のナイフを取り出した。
「お前さんにはこれが向いてるようだな。俺の専門じゃねえが、基本は教えてやる。ついて来い」
「あっ、あの、玄馬さん……」
年嵩の刑事が追いすがるように声をかけるが、玄馬は意に介さない。
そんな玄馬の言動に惹かれ、帆山はゆるゆると脱力した。ぺたん、と尻餅をつく。
「行くぞ、嬢ちゃん」
シャツのポケットに負傷した右手を突っ込み、左手を掲げる玄馬。振り向きもしない。
これでついて来なかったら、帆山瑞樹という少女は使い物にならない。玄馬はそう思っていた。
しかし、その背中にぶつけられたのは、思いの外はっきりした声だった。
「行きます。復讐させてください。お願いします!」
それを聞いて、玄馬は僅かに頬を緩ませた。いい返事じゃねえか。
「よーし、ついて来な、嬢ちゃん。親御さんから相続できるぶんは、全部換金してお前さんの口座に入れておく。後処理は任せな」
そう言う玄馬の背中を引っ張るようにして、帆山は彼に同行した。
※
「そ、それでどうなったんですか?」
勢い込んで尋ねる矢口に、帆山は自分で自分を抱くようにして静かに答えた。
「復讐は果たしたよ」
矢口にしてみれば、どんなふうに? と尋ねたいのは山々だった。だが、無理に帆山の悪夢のような記憶をこれ以上掘り起こしたくはない。
いや、それ以上に、自分が帆山の所業を知るのが恐ろしかったのか。
そんな矢口の心配をよそに、帆山は語り続けた。微かな笑みを浮かべて。
「その頃、『エンターテイナー』のメンバーは、姐さんと権田さん、それに立己くんの三人だった。ヤっちゃんを除けば、あたしが一番新米だったのよね。その初仕事が、自分の過去に自分でケリをつけること」
「つまり、事故を起こした犯人を……?」
「処刑すること。できるだけ苦しませてね」
矢口は、自分の目が見開かれるのを自覚した。帆山のように垢ぬけた、活動的で健康的な女性が、ケリをつけるという名目で凄惨な行為に走ったとは。
しかも、矢口の得物は銃器ではない。ナイフだ。いくらでも残虐な殺し方ができてしまう。
そんな矢口の懸念を察したのかどうかは定かでない。ただ、帆山は落ち着いた口調で続けた。
「標的は三人。運転手は権田さんの狙撃で即死、助手席の奴は敢えて生かしておいてもらって、あたしがコンバットナイフで頸動脈を斬った。最後に後部座席にいた奴だけど――」
「だけど?」
「そいつはあたしが痛めつけて殺した。どうやって殺したかを話したら、きっとヤっちゃんに嫌われちゃうから言わないけどね」
「そ、そうなんだ……」
矢口は自分の視線が定まらなくなるのを感じた。こんな温厚そうに見える帆山瑞樹なる女性が、今までどんな目に遭って、どんな生き方をしてきたのか。
それを知ってしまった衝撃は、矢口の胸中をがしゃがしゃと揺さぶった。
「さて、あたしからの話はお終い。今はゆっくり休んでね、ヤっちゃん」
さっぱりとした笑顔を見せて、帆山は医務室を出ていった。
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