第6話
「ッ!」
血飛沫が自分のブーツの爪先に飛んできて、矢口は思わず息を飲んだ。
悲鳴を上げなかったのは、あらかじめエンターテイナーの任務内容を知っていたからだ。
「残り二人か。こっちから打って出るぞ。いっぺんに叩きたい。矢口、お前は左車線に入った奴を迎撃しろ。右車線の奴は俺が潰す」
口早に、しかし淡々と告げる権田。
「おい、分かったのか? 返事をしろ、矢口!」
「はっ、はいっ! 左車線に入ったオートバイを迎撃します!」
「よし……。初陣にしちゃあ厄介な話かもしれんが、頼むぞ」
言うが早いか、権田は右車線(向かって左の道路)に入っていく。矢口は手元のオートマチック拳銃を眺めてから、思い出したかのように弾倉を交換した。
撃ちきったわけではないが、念のためだ。最初の弾倉は、コンバットスーツの空きポケットに収納する。僅かでも証拠を減らせるように。
「……」
ほんの僅かな間だけ、矢口は一人目の敵の死体に目を留めた。
いやいや、こいつは完全に死んでいる。助けようがない。
待てよ? 今ボクは、敵を助けたいと思ったのか? 何故だろう。何らかの義理があるわけでもないのに……。
これだから自分は甘いのだと思い、矢口はぶんぶんとかぶりを振った。
すると、右側から銃声が聞こえてきた。権田が戦っているのだ。
これだけ派手に銃声を立てていては、きっと周囲の住民に気づかれる。どうやって誤魔化すのだろうか。そのあたりは菅原に任せておいていいのだろうか。
おっと、今は考えている場合ではない。頭ではなく身体を動かすべきだ。
矢口は軽く腰を折り、オートバイが入ってこられなさそうな裏路地を選んで、左車線へと身体を滑りこませた。
と、その直後。
裏路地の前方を真っ直ぐにオートバイが横切った。間違いなく敵が乗っている。さっと拳銃を構えたものの、一瞬でその姿は見えなくなった。代わりに見えたのは、こちらに向かって飛んでくる小さな球体。
って、これは手榴弾じゃないか!
「ヤバッ!」
普通の人間ならば、ここで背を向けて逃げ出すだろう。そして背後から爆風に突き飛ばされて、最悪死亡する。
だが、矢口の取った行動はまるっきり逆だった。手榴弾に向かって、勢いよく駆けだしたのだ。
「ふっ!」
軽く跳躍し、前転しながら足を突き出す。足の裏で、手榴弾を真っ直ぐ向こうの車線へと蹴り返した。
数秒の後、手榴弾は起爆。その頃には、矢口は電柱の陰に身を潜めていた。爆風が髪を撫で、爆光が微かに網膜を白く染める。
「ふざけた真似しやがって!」
そう叫んだ矢口は、拳銃を構えながらがばりと振り返った。その先には、さっきのオートバイが停まっている。どうやら、矢口を仕留めたかどうかを確認したいらしい。
が、その思惑は見事に外れた。標的――矢口が、猛スピードで突進してきたからだ。
今度はオートバイの敵の方が慌てふためく番だった。一旦離脱しようと試みるものの、エンジンがかからない。
手榴弾の破片が予想外の広さに展開し、エンジンを潰されていたのだ。
それに気づいた時には、矢口の強烈な空中回し蹴りがヘルメット側面に打ち込まれるところだった。
ビシリ、と嫌な音を立てて、ヘルメットが陥没する。
「住宅街で何やってんだ! 関係ない人が死んじまうだろうが!」
感情的になった矢口の勢いは止まらない。拳銃をヘルメットとライダースーツの隙間に捻じ込み、ダンダンダンダン、と連射した。
しかし、何故か出血がない。
「あれっ? ってこれって……非殺傷用のゴム弾か!」
どうしてこんなものを自分は撃っているのか。ああ、そうか。実弾の弾倉と勘違いしてゴム弾の弾倉を叩き込んでしまったようだ。
状況が読めなくなった矢口は、殴り殺した方が早いと判断した。
負傷した敵を殺すくらいのこと、権田は易々とやって見せたのだ。自分にできないはずがない。自分だってエンターテイナーの一員なのだから。
左腕で敵の胸倉を引っ掴み、右腕を思いっきり振りかぶる。それを振り下ろそうとした、まさにその時だった。
「そこまで!」
聞き覚えのある声がした。そちらを見ると、真っ黒い小型のバンが近づいてくるところだった。
念のため拳銃を構える矢口。だが無防備なことに、バンの運転手は運転席の窓を開けてぶんぶんと腕を振り回した。帆山だった。
「おーい由香ちゃん! そいつは殺さないでおいて! 貴重な情報源だから!」
「へ?」
※
セーフハウスに戻った面々。菅原はまだ帰投していない。
「つまり、矢口を試すための襲撃だった、ってのか?」
権田が壁に背を当て、腕を組みながら唸るように言った。
「そうみたいっすね、権田さん。コイツが白状したところによれば」
そう言いながら安野が爪先で小突いたのは、矢口が殴殺しようとしていたオートバイの襲撃者の一人だ。
今は床にあぐらをかかされ、後ろ手にロープで縛られている。ヘルメットは外され、その無精髭の生えた馬面を晒していた。首に包帯を巻かれているのは、矢口にゴム弾を連射されて負傷したからだ。
呼吸するのも大変そうな様子だったが、なんとか皆はこの犯人から言葉を引き出した。
ちなみに権田が相手をした敵は、高威力の大口径弾丸を胸に喰らい、さらにオートバイの燃料タンクを撃ち抜かれて爆死した。
「ねえ権田さん、最初に車で轢いた敵を生かしておけばよかったんじゃないですか? コイツの代わりに人質にできたんじゃ?」
「まあそう言うなよ、帆山。あの時は、他の二台のオートバイがどこから攻めてくるか分からなかったんだ。それに――」
権田は矢口を一瞥した。
「新入りに俺たちの流儀を見せておく必要もあったしな」
「えっ? 流儀って?」
ずいっと顔を寄せる矢口。微かに眉間に皺を寄せながら、まっすぐ前を見たまま権田は言った。
「いかなる相手であろうと、敵には全勢力を以て対処し、確実に殲滅する」
「せ、殲滅?」
この流儀だって、矢口は知っていた。知っていたはずだった。
だが、目の前で無防備な人間が殺されるのを実際に見てしまうと、心の奥にある何か――信念、とでも言うべきか――、それを強く揺さぶられるように思った。
「ね、ねえ権田さん? この人質は、殺したりしないよね? ボクたちに情報提供してくれたんだから」
「そうだな。俺は殺さねえよ。なあ、安野?」
腕を組んだ安野が、やれやれとかぶりを振った。
「今日の担当は僕かい?」
「そうみたいね」
無感情な声で、帆山は肯定した。と、その時。
この会話が聞こえたのか、目隠しをされた人質は急に慌てだした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 金を出す! 俺のボスからだ、大金だぞ! 二千万はくだらない! どうか命だけは……」
「ちょっと静かに。はい、こちら帆山。ああ、姐さん?」
おもむろに携帯端末を取り出した帆山が、菅原と話をしている。
それからくいっ、と安野に向かって顎をしゃくった。
「あ、そうなんですか。分かりました。こっちの対処はあたしたちに任せてください」
「な、なあ、どうしたんだよ!?」
「僕が誘導するから、ちょっと来て、人質さん」
「来て、って……。俺をどこに?」
「あのね、人質さん」
安野の反対側から帆山が人質の肩に手を載せた。そのまましゃがみ込み、言葉を続ける。
「今日のあたしたちの武器取引だけど、あれ嘘だったんだね? あたしたちを一カ所に集めて、一網打尽にする作戦だったんだよね?」
ごくり、と人質が喉を鳴らした。
「でも気づかれたみたい。あたしたちの司令官にね。こんなこともあろうかと、司令官は――菅原さんは、一人で取引現場に向かったんだよ。あの人、ぶっちゃけ人間辞めてるくらい強いから」
「そっ、そそそそれがどうしたんだよ? 俺の命とは関係ないんじゃ……」
「お生憎様、あんたは僕たちを殺そうって作戦の一翼を担ってた。これはね、許されることじゃないんだ」
安野は言った。まるで、学校に誤って飴玉を持って来てしまった小学生をたしなめるような声音で。
「それじゃ、立ってよ人質さん」
「あ、ああ、あぁあ……」
よく分からない呻き声を上げながら、目隠しもそのままに人質は引っ立てられた。
脅しのために突きつけていた拳銃を仕舞い、安野は愛用の自動小銃を手に取った。
そのまま人質を、安野と帆山が廊下の奥へと連れていく。
日の差さない、コンクリート剥き出しの廊下。そこ先に、地下へと続く階段がある。
矢口ははっとした。きっとこれから、あの人質を処刑するつもりなのだ。確かに、このセーフハウスの場所を知っている人間は、当然少なくあるべきだ。だが。
「ちょっ、待ってください! 安野さん、帆山さん!」
気づけば、矢口も廊下を駆け出していた。
そんな彼女を、権田も止めようとはしない。やれやれを肩を竦めるだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます