第5話【第二章】
【第二章】
翌朝。エンターテイナー第一セーフハウスにて。
「あーあ、ついて来てくれたのはリンちゃんとルンちゃんだけか……」
と、謎のぼやきとも悲嘆ともつかない音声を発する人物がいる。安野だ。
「ちょっと、立己くん! いつまでもウジウジしてないで、武器弾薬の確認に協力してよ!」
「ねえ瑞樹さん。そりゃあ、アジトを転々としなくちゃならないのは分かるけど、それにしたって連れてこられたのがたったの二匹ってどういうことさ?」
安野は視線を目の前の水槽から逸らそうとはしない。
その先にいるのは、二匹の小型の熱帯魚だ。
安野にとって、命(他メンバーのものも含む)の次に大事なのが、熱帯魚観賞だった。
昨日まで使っていたアジトには巨大な水槽が二、三槽も並び、多くの美麗な魚たちがその姿を惜しげもなく披露してくれていた。
にもかかわらず、昨日から今日にかけて連れてこられたのが、たったの二匹とは。
安野は怒りも悲しみも通り越して、ただ茫漠とした視線を、その二匹に注ぐしかなかった。
今、安野と帆山がいるのは、いわばダイニングのようなところ。食堂と言ってもいい。
が、それは飽くまで便宜上の話。このセーフハウスに来るのは、菅原以外の皆は初めてだから、適当にそれぞれの部屋の使い道を模索していくことになるだろう。
昨日までの豪雨の気配はどこへやら、六月にしては珍しく、からっと晴れ渡っている。
カーテンを開きながらそれを確認し、新築そのままといった屋内の空気を吸いながら、帆山は再び安野に言葉を放った。
「ちょっと! 今更嘆いたって、お魚さんたちが生きてここまでやって来るわけがないでしょ! 元のアジトからの搬出貨物は銃火器が最優先だったんだから!」
帆山の言うことはもっともである。
この組織『エンターテイナー』が非合法の裏組織である以上、正義のための活動を行っているからといって、そのメンバーたちが大手を振って歩ける道理はない。
武器を運ぶとなれば猶更だ。他の諸々の備品(筋トレマシンや保存食糧など)であれば、入手は安易だ。それに比べれば、武器弾薬は極めて貴重である。
もちろん、個人の趣味的観賞物である熱帯魚など、真っ先に搬送リストから切り取られても文句は言えないのだ。
その武器・弾薬であるが――。
「へえ~、いろいろな銃があるんだねえ、ゴンちゃん」
「ゴンちゃんと呼ぶな。拳骨喰らわせるぞ」
すっかり打ち解けた様子の権田と矢口が、個室の並んだ廊下からやって来た。
矢口は前もってメンバーに関する資料を与えられていたから、権田の厳つい顔にも早々に馴染めたのだろう。
「でもさあ権田さん、こんなにたくさんの銃とか爆弾とか、どうやって手に入れてんです? もし昨日相手をしたような連中と同じルートなら、ボクたちだって犯罪者ですよ?」
「心配はいらん。そのへん、政府や警察機関に根回しはしてある。姐さんのお陰だな」
「ふうん……。あっ、おはよー、安野さん、帆山さん」
この期に及んで、ようやく安野と帆山は振り返った。
「ああ、あなたが矢口由香さんね。あたしたちの名前、もう覚えてくれたの?」
「うん、バッチリ」
「矢口……?」
ぼんやりと呟く安野を、ジト目で帆山が小突いた。
「立己くん、彼女の資料見てないの? 失礼でしょ」
「ああ、ごめん。魚の世話が大変でさ」
「んなわけあるか!」
べしっ、と帆山の掌が安野の頭頂部を打つ。
「いてっ! 酷いなあ瑞樹さん、手加減してよぉ」
「まったく、作戦中はあれだけ銃弾かわせるのに……」
このアホな遣り取りの中でも、帆山は微かに安野を意識していた。
これは、もしかしたら恋心になっていくのではないか。最近薄々思っていたことだ。
そんな気持ちを頭っから否定するほど、帆山は子供ではなかった。もちろん、それを安野に悟られまいとするくらいの分別は持ち合わせていたけれど。
「まあいいじゃねえか。覚えるのに時間がかかりゃあ、それだけしっかり頭に残るってもんだ。名前なんてもんは」
珍しく微かな笑みを浮かべながら、権田がフォローに入る。
「おおっと、いけねえ。時間だ」
「時間?」
「ん? なんだ、安野も帆山も、聞いてなかったか? 昨日はだいぶ武器弾薬を使ったからな、専属の密輸業者からそれを受け取りに行くんだ」
「矢口さんも一緒に?」
「はい!」
帆山の問いに、矢口は勢いよく答えた。
確かにその格好を見れば納得である。昨日着用していた中学校の制服ではなく、コンバットスーツに身を包んでいる。
「えっ、大丈夫なんすか?」
「大丈夫か、とは何事ですか、安野さん!」
矢口は唇を尖らせ、ずいっと胸を張った。
「ボクだって、ちゃんと戦えるって見込みがあったからエンターテイナーに入れることになったんですよ?」
「そうだ。それに誰しも危険な物事に関して、初めてってのはあるもんだ。姐さんは現場で監督しているし、俺だって警備の一端を担うことになってる。心配すんな」
まあ、確かに権田も菅原もついているのなら。
それは、安野と帆山の二人にとっても大きな安心材料だった。
「よし、そろそろ姐さんと合流する。行くぞ、嬢ちゃん」
「はい!」
こうして権田と矢口は、早々にセーフハウスを後にした。
※
権田が運転する乗用車は、するすると住宅街を抜けていく。
セーフハウスがこんなところにあってもいいのか、と矢口は疑問に思ったが、すぐに考え直した。
敢えて日常的な場所に自分たちの身を置くことで、犯罪者の目を眩ませるのだ。まさかこんなところで銃撃戦など起こるまい。
「なあ、矢口」
「何ですか、権田さん?」
「拳銃は扱えるか?」
「突然何です?」
「いいから。リボルバーとオートマチック、二つあったらどっちがいい?」
「オートマチック、かな」
「分かった。後部座席にバックパックがある。取ってくれ」
「あ、はい」
シートベルトを外し、身を乗り出す矢口。すると権田は勢いよくアクセルを踏み込んだ。
「どわあああっ! ちょっ、何すんですか権田さん!」
「後部座席に移れ! それからシートの下でうずくまってろ! 狙われるぞ!」
「ね、狙われる……?」
誰に? どうして?
半信半疑でバックパックのチャックを開いた、その時だった。
バリバリバリバリン、と、車体後部の窓ガラスが破砕された。これは、明らかに銃撃だ。
「セーフハウスの近くなのに、どうして!?」
「俺に訊くな!」
権田は必死に頭を巡らせた。エンターテイナーが秘密組織である以上、わざわざ活動拠点を移したその日に襲撃を受けるとは考えられない。
もしかして、無関係の個人または組織による、まったく偶然の襲撃なのか? そうなると、ますます敵の狙いが分からない。金をせびるような輩だったら、返り討ちにするだけの自信はあるが……。
権田は矢口から手渡されたリボルバーの初弾を装填しながら、窓を開けてサイドミラーで後方を確認した。
追って来るのはオートバイだった。三台。搭乗者は、片手で扱える程度の小型の自動小銃を手にしている。
何か金目のものを持っていると疑われたんだろうか? しかし、そんな気配は見せなかったはず。
もしかして、金融機関のデータを何らかの形で読まれた? アジトを移すにあたり、かなりの金銭が動いたのは事実だ。
どうやらこの街には、随分と血と金に飢えた連中がうろついているらしい。
「矢口! 適当でいい、撃ちまくれ!」
「りょ、了解!」
パンパンパンパン、と軽い発砲音が連続する。
再びサイドミラーで確認すると、追手は一台に減っていた。
やったのか? いや、脇道に逸れたのだ。ここからは三方向から攻め立てられることになる。敵の方が地の利はあるようだ。
こうなったら……。
「何かに掴まれ!」
「え? どうわあっ!」
狭い一方通行の道路で、権田は勢いよくハンドルを切った。後部座席はぐわんと振り回される格好となり、矢口は車外に放り出されそうだった。
続けて、権田は思いっきりアクセルを踏み込む。
「ちょっ、権田さん! そんな乱暴な運転したら――」
敵と衝突事故を起こしかねない。そう言おうとして、矢口は悟った。
それこそが、権田の狙いだと。
「歯ぁ食いしばれ! 舌を噛むなよ!」
慌てて急停止しようとした敵のオートバイは、しかし既に権田の眼前にあった。
ぐわしゃん、と金属部品のひしゃげる音と共に、オートバイは宙を舞ってアスファルトに叩きつけられた。
「矢口」
「は、はいっ!」
「ああいや、お前に任せるにはまだ早いな。俺がやる」
そう言って権田は拳銃を抜き、運転席から降りた。車体後方へ向かう。そして、呻き声を上げるオートバイの運転手に容赦なく弾丸を叩き込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます