第3話


         ※


 同時刻、件の薬物製造施設近辺の山道にて。

 一台の高級乗用車が、随分と幅の狭い道路を走っている。無論、天候は最悪だ。

 向かう先に何があるのか。それは運転手にも知らされていない。とにかく目的の座標で『お客様』を降ろせということ以外は、何も情報を与えられていない。


 その『お客様』はと言えば――。


「アクション映画みたいだなあ、これ」

「どうされました、矢口殿?」

「その『殿』ってつけるの、やめてくれない? ボクだって可憐な女子中学生なんだけど」


 だったら一人称くらい女の子らしくしたらどうだ、と運転手は思う。男女平等とその多様性が叫ばれて久しい今日、時代錯誤もいいところだが。


 そんな運転手の葛藤などには考えも及ばず、再び手元の小型ディスプレイに目を戻した少年、いや、少女――矢口由香は興奮を隠し切れずにいた。


 大雑把なウルフカットの黒い髪に、愛嬌のある大きな目と小さな鼻。体躯は小学生と間違われてもおかしくないほど小柄だ。

 だが、それが戦闘において不利な要因となるとは限らない。


 これが実戦なのだ。そして、こんなところで自分の力を存分に発揮できるんだ。


 さて、戦闘は一段落した様子。

 矢口が観ていたのは、これから自分が入る予定の組織、エンターテイナーの作戦中の映像。リアルタイムで受信している。

 どうやら銃撃を得意とする人物のボディカメラの映像だったらしく、小さな画面では距離感を測るのに苦労した。


 ただ一つ確かなのは、この銃撃手(安野のことだ)を始め、エンターテイナーには様々な戦闘のプロが集っているということ。他に狙撃やナイフ戦に特化した人物がいると聞いている。


「さあ、早く生でお手並み拝見といきたいな~」


 そう言いながら、ふっと窓の外に視線を投げる。そして、慌てて頭を下げた。

 ピシリッ、という鈍い音がする。


 これは、単なる耳障りな音ではない。むしろ貴重な音だ。何故なら、そのお陰で矢口はこの車が狙撃されていることに気づけたのだから。


「さっきのはマズルフラッシュか。雷かと思っちゃった」


 二発目が、ほぼ一発目と同じ場所に銃痕を刻む。これではこの偽装特殊車両、すなわち要人防護車でもどうなるか分からない。


「運転手さん、代わって! あなたはダッシュボードの下で、頭を守って!」

「はっ、はい?」


 矢口は思わず舌打ち。この運転手も、この乗用車を手配した人々も、まさか銃撃戦に巻き込まれるなどとは思っていなかったに違いない。矢口だって制服姿である。


「いいから急いで!」


 前席に移り、半ば運転手を蹴とばすようにしながら叫ぶ矢口。

 ハンドルを握り、アクセルを踏み込んで一気に加速する。狙いの逸れた三発目の狙撃弾が、乗用車のトランクを掠める。


「しつこいッ!」


 しかも狙いがいかに精確かも把握できてしまった。逃げるしか能がないとは、まったく情けない。

 それから数発の銃撃を受け、乗用車はサイドミラーを飛ばされ、窓を破砕され、ついにパンクするところまで追いつめられてしまった。


「畜生!」


 ゆるゆると減速する乗用車。

 ああ、せっかく憧れのエンターテイナーに入れると思ったのに、ここまでか。


 次に敵が狙いを定めているのを感じる。今度こそ仕留めるという気迫が、矢口の胸を圧迫する。


 やがて乗用車は完全に停車し、格好の的となる――はずだった。

 矢口は頭上に殺気を感じた。自分たちに対してではない。敵と思しき狙撃手に対してのものだ。


 雷鳴が轟いた、次の瞬間。


《こちら権田、生きてるか、嬢ちゃん?》

「えっ?」


 勝手にディスプレイが喋り出した。


《あんた、矢口由香だろう? 俺たちの仲間に入ろうなんて酔狂なガキは。取り敢えず無事か? 怪我人は?》

「いない、けど」

《よし、車の陰に入れ。迎えに行く。後は安野と帆山に任せるぞ》


 そう言って、ディスプレイは再び沈黙した。

 代わりに見えるようになったのは、窓の外からでも分かるマズルフラッシュ。ただし、狙撃銃のそれとは違い、小刻みに連続して輝いていた。


 その煌めきは、山道の谷を挟んだ向こう側の山中から発せられている。


「向こうの山の中で誰かが戦ってるんだ……」


         ※


「うひぃ、権田さんもやるなあ。眉間に一発か」


 矢口を狙っていた狙撃手の死体を見つけるなり、安野は呟いた。


「ちょっと立己くん! ぼさっとしてないで!」

「はいはいっと」


 矢口の想像通り、山中で安野と帆山は戦闘中だった。

 先ほどの戦闘で右腕を痛めた帆山。彼女を援護するように、安野は三発ずつ発砲して短い弾幕を作っている。


 その合間を縫うようにして、帆山は接敵して相手の関節を捻り、次々と行動不能にしていった。

 予備のナイフを携帯していたのは、我ながら英断だったと思う。


 実際のところ、安野と帆山の二人は、急行してきた味方のヘリには乗っていなかった。ヘリに乗ったのは権田だけ。

 権田はヘリのキャビンからの狙撃で、矢口を救ったのだ。


《しっかし、姐さんの読み通りだったな》

「な、何が……?」


 通信端末を耳に押し当て、矢口が権田に尋ねる。


《お前が狙われるって情報だよ。俺たちの基地に着く前にな》

「そんな! エンターテイナーの基地の位置情報は極秘だって言われたのに!」

《ご愁傷様、そいつぁ二十五分ほど前までの話だ》


 あまりにも流動的でリアルな状況展開に、矢口は唖然とする。

 だが、心のどこかが熱を帯びるのを、彼女は確かに自覚していた。

 そうこなくては。敵だって強くあってもらわなければ。でなくちゃ、ボクの出番がない。


 ごくり、と唾を飲むと、まるで示し合わせたかのようなタイミングで視界が真っ白になった。


「うっ……」


 真上からハイパワーライトで自分が照らし出されている。ヘリだ。

 それを確認した矢口は、さっと腰のホルスターから拳銃を抜いた。が、しかし。


《馬鹿野郎、助けに来たんだろうが!》


 雨音と回転翼の騒音を押し退け、ヘリのスピーカーから大声が轟いた。端末から聞こえていたのと同じ人物――権田の声だ。


《少し待ってろ!》


 待たされたのはほんの十秒程度。ロープが上から伸びてきて、するりと一人の男性が降りてきた。


「無事か、嬢ちゃん?」

「あ、あんたが権田宗次郎?」

「おいおい、出会って早々に年上の人間を呼び捨てにするもんじゃねえぞ。怪我はねえか?」

「無事だってさっき言ったじゃんか!」

「じゃあ、そっちの運転手は?」

「え?」


 振り返ると、ボロボロになった乗用車が雨に打たれて鎮座していた。

 助手席のドアを開け、矢口は運転手の首筋に手を当てる。


「無事だよ、目立った負傷もない」 

「そいつは何よりだ。お前らを狙ってた狙撃手は俺が片づけた。間もなく所轄の警察やら消防やらがわんさかやって来るはずだ。ズラかるぞ」

「あれ? でもさっき皆が施設を攻撃してた時は誰も介入して来なかったじゃん? だったら――」

「生憎、帆山の作る通信妨害装置も万能じゃなくてな。強力なジャミングをかけられるんだが、それに反比例して有効範囲は狭くなる。お前の乗ってたその車が銃撃されたのと、反対側の山で――あー、やってるな。あの戦闘なんかは、隠し通せるもんじゃねえ」

「そうなんだ……」


 矢口の胸中では、いつのまにか興奮が心配に切り替わっていた。ここから拳銃弾が届くはずもないし、狙いもつけられない。とても援護などできない。


「とにかくここから退避して、セーフハウスに向かう。そう言ったら安野は相当凹むだろうが……」

「何かあるの?」

「ま、あいつの趣味だよ。ほら、早くロープに掴まれ」


 矢口は慣れた動作でロープに掴まり、両膝で挟み込んだ。


「ようし、上げてくれ!」


 権田が端末に向かって叫ぶと、矢口の身体はするすると引っ張り上げられていった。その先は人員輸送ヘリのキャビンになっていて、ヘルメットを被った人物(自衛官だろうか?)が矢口の手を引いてくれた。


 すぐさま二本目のロープが下ろされ、気づいた時には権田がわきに運転手を抱えながら上がってくるところだった。


「運転手さん、連れていくの?」

「ああ。取り敢えず安全な場所までな。よし! 安野! 帆山!」

《ほいほい権田さん、そちらの首尾は?》

「問題ない。そっちこそどうだ?」

《今、瑞樹さんを援護してる。敵はある程度追い込んだ。座標を送るから、機銃掃射でまとめてやっちゃってよ》

「了解だ」


 するとヘリは九十度旋回し、腹の部分を反対側の山に向けた。


「耳を塞げ、嬢ちゃん」


 そう権田が言い終えるや否や、ヘリに搭載されていたガトリング砲が権田の手中で火を噴く――はずだった。


「ん? おい、弾が出ねえぞ」


 セーフティを確認する権田。異常はない。ということは、まさか。

 一瞬、ヘリの中の照明が点滅した。


「本機の火器管制システム、乗っ取られました!」

「はあ!? んだとコラァ!」


 権田が怒号を上げた。いや、狼狽えただけかもしれないが。


「飛行に支障は?」

「ありません! しかし、これでは援護射撃は困難かと……」

《あれ? 権田さーん、撃ってくれないの?》


 無線の向こうの安野は気易い調子だが、その奥で焦りが生じているのを権田は察していた。どうする?


 その時だった。


「私が出ます。もう少し機体を目標座標に寄せてください」


 物陰からすっ、と立ち上がった人物がいる。今の今まで、そこに人がいるとは矢口は思いもしなかった。気配がなかったのだ。


「姐さん、いいのか? あんたは司令官だぞ?」

「現場指揮官です。臨機応変に動きます」


 その堂々たる立ち居振る舞いに、驚く矢口と呆れる権田。


「ま、俺がどうこう言える筋じゃねえ。やっちまってくれ、姐さん」

「了解」


 これが、矢口が始めてみる姐さん、エンターテイナー司令官・菅原美智子の出撃だった。

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