第2話
※
「敵襲! 敵襲だ!」
「人数は? 場所は?」
「さっきの爆発で対電波妨害装置が潰された! この施設全体がジャミングを受けていて……!」
がちゃがちゃと不慣れな手つきで武装を施していく警備員たち。それを陰から眺めながら、帆山瑞樹は白衣を脱ぎ捨てた。
「はあ、やっと脱げた……」
その下に纏っているのは、権田や安野が身に着けているのと同じコンバットスーツだ。黒と灰色を基調にしており、関節部にプロテクターを装備。
そのゴツい服装とは対照的に、帆山自身はさっぱりとした化粧っ気のない顔をしている。
切れ長の瞳に引き締まった体躯、凛としたポニーテール。これらが実にスタイリッシュな印象を与える。
惜しむらくは、そんな彼女の魅力に惹かれるほどの余裕が、周囲の男衆になかったことだ。
慌てふためく研究員や警備員の列から離れ、帆山は得物の調達に向かう。
潜入時(今から二日ほど前だ)に施設内で用意しておいた小振りのコンバットナイフを自室から持ち出し、音もなく警備員たちの背後についた。
これは帆山にとっても驚くべきことだったが、この施設にいる研究員や警備員は、全員が罪意識を共有していた。それは、悪事だと知って薬物を製造していたということであり、つまりは一人残らず悪党だということ。
その繋がりは、暴力団や政府関係者、海外の密売組織にも及んでいた。だからこそ、帆山はリーダーである姐さんに一報を入れたのだ。ひたすら派手にやって構わない、と。
お陰で私の仕事もやりやすくなったわね。
そう内心で呟きながら、最寄りの警備員に背後から接近。
左腕で後ろ襟を引っ掴み、ぐいっと引き寄せる。それからナイフを握らせた右腕で、喉仏をすっと一閃。
ぷしゅっ、と鮮血が舞い上がり、狭い廊下を真っ赤に染めた。
異変に気づいたのか、警備員が一人こちらに振り返った。
「おい、何やってるんだ! てきしゅ……う?」
「敵ってあたしのことかな?」
あざといにもほどがある。今が平時なら、誰もがそうツッコミをくれただろう。
だが、この施設にとって今は立派な緊急事態である。ここの警備員の練度は低いらしく、反応が鈍い。
帆山は勢いよくダッシュし、振り返った警備員の防弾ベストの隙間、すなわち脇腹にナイフを捻じ込んだ。
「がはっ!?」
「おい、どうしたんだ!」
「おおっと」
流石に二人も仕留められれば、誰もが異変に気づく。がしゃり、と自動小銃がこちらに向けられるが、帆山は構わず駆け出した。ただし、深手を負った警備員の身体を盾にして。
「くっ!」
ここは狭い廊下だ。並んで自動小銃の発砲ができたとして、せいぜい横並びで二人。この配置では、立派な盾を担いだ帆山を狙うことはできない。
かといって、帆山も敵を放っておくことはできない。この施設の機密データは全て姐さんの下に送信済み。つまり、捕虜を確保する必要がないのだ。
選択肢は、皆殺ししかない。
「邪魔っ!」
盾にしていた警備員を突き飛ばす。それから帆山は呆気なく敵に背を向け、廊下を逆走。角を折れて逃げ去った。――かのように見せかけた。
「あいつだ! 追って射殺しろ!」
警備員たちが帆山の背中に向かって駆け出す。しかし廊下は複雑で曲がり角が多く、なかなかその後ろ姿を捕捉できない。
日頃からほとんど人の出入りがない、危険物廃棄区画。そのうちの一室に帆山は飛び込み、そこに仕掛けておいたスイッチを押し込んだ。
直後、廊下の上方で爆炎が広がり、同時に降ってきた無数の瓦礫が警備員たちを骨の髄から圧殺した。
※
ドォン、というくぐもった爆発音と共に、安野の足元は揺さぶられた。
安野は無理に姿勢を維持せず、敢えて転倒することで敵の射線から逃れる。
「瑞樹さん、上手くやったみたいだな」
そう呟きながら、今日五つ目の弾倉を自動小銃に叩き込む。
転がるように移動し、ほとんど身を晒すことなく、的確に警備員の眉間を撃ち抜いていく。
確かアメリカ海兵隊では、最初に胸を狙うのだったか? ふと、そんなトリビアが頭をよぎる。胸に二発、頭に一発というやつだ。
ま、いいや。僕はいきなり眉間を狙えって言われてもできちゃうし。
そう胸中で呟いてから、安野は素早く前進を再開。
《あー、立己くん、聞こえる?》
「おっと、瑞樹さん。調子はどう?」
《心配されるほど悪くはないよ。携帯端末に私の現在位置を追いかけるアプリ入れといたから、助けに来てね》
「りょーかい」
プツッ、と切れる通信。傍から見たら呑気なもんだと言われそうだが、それが彼らにとっての日常である。
一階の制圧を確認した安野に、地下一階を爆破して大方の敵を始末した帆山。通信設備と、外に飛び出してきた敵を始末していった権田。
これで食っていけるなら何の問題もないというのが、彼ら三人(姐さんを含めて四人)の共通見解だった。
しかしまさか、これほど派手にドンパチをやらかしていたのに、第三勢力が介入してくるとは組織『エンターテイナー』の誰もが思っていなかった。
自らを生き埋めにして、地下を制圧した帆山。彼女は微かな殺気を覚え、慌ててバックステップした。すると、一瞬前まで帆山がいた場所の天井に大穴が空き、それに見合った大男が降って来るところだった。
「な、何?」
味方……ではないな。権田とも安野とも図体が違いすぎる。
その人物も黒っぽい格好をしていたが、その上からでも全身が屈強な筋肉で覆われているのは分かる。
そして防弾機能でも兼ねているのか、マントを羽織っていた。これでは相当動きにくかろうに。何だかRPGのラスボスみたいだ、と帆山が思った直後。
床にひびが入るほどの勢いで、大男は帆山に向かって駆け出してきた。
「くっ!」
慌てて身を翻し、尻餅をつきながらも体当たりを回避。
ゆっくりと振り返った大男の顔は、意外なほどさっぱりしていた。鼻筋はすっと伸びていて、やや日本人離れした青い瞳をしている。戦闘者というより、一流アスリートのような姿だ。
一体どれほどの死線をくぐり抜けてきたのか? いや、考えるのは後回しだ。
こちらにのっそりと足を向ける大男に向かい、即座に体勢を立て直した帆山は、ナイフによる連撃を繰り出した。
しかし、そのほとんどが最小限度の動きでかわされる。または軽く防がれる。
突きも、払いも、袈裟懸けも。連続した、ばしっ、という打撃音が、瓦礫で封鎖された廊下に響く。
それも長くは続かなかった。焦って動きが鈍った帆山の手首に、強烈な手刀が打ち込まれたのだ。
「がっ!」
これにはたまらず、帆山はナイフを取り落とした。
それを拾い上げた大男は、ナイフを手袋越しに掴んでぐにゃり、と折り曲げた。これでは最早使い物にならない。
この組織で、近接戦闘では十分な経験を積んでいる帆山。その彼女が明らかな劣勢に追い込まれている。
敵の動きは相変わらずのっそりしているが、格闘戦にでもなったら間違いなく自分は殺される。そんな考えが浮かんだ。
しかし、相手の素性も知れないままに死んでしまうのは誠に不本意だ。せめて一矢報いてやろう。
そう思った帆山が柔術の構えを取った、その時だった。
《瑞樹、逃げろ! それから伏せろ!》
権田からの通信。考えるより先に身体が動き、帆山は背後に跳躍した。狭い廊下にありながら、出来得る限り大男から距離を取る。
そして、『それ』が目に入った。手榴弾だ。権田が投げ込んだに違いない。
先に危険を知らされ、廊下を折れて回避する帆山。大男は、突然の手榴弾の登場に虚を突かれたのか、微かに動きを止めた。
連続する爆音。発せられる熱。周囲に散開していく金属片。
通常の防弾装備では防ぎきることは困難であるはずだ。
「はあっ!」
短く息をつき、帆山は物陰から顔を出した。しかし、そこにあったのは信じられない光景だった。
大男はうずくまり、マントを被るようにして、その手榴弾によるダメージを無効化してしまったのだ。
なっ、何なのよコイツ!?
そう困惑する帆山の視界に、もう一人の人影が入ってきた。
権田だ。どうやら、大男が天井に開けた穴から自分も降り立ったらしい。
権田の姿を認めたのか、大男は戦闘態勢を解いたかのように見える。権田の方も、狙撃銃は背負ったままで、予備の拳銃にも触れようとはしない。
口火を切ったのは、権田だった。
「久しぶりだな、大倉敏也。名前に似合わず、また随分とのっそり仕事しているな」
「権田宗次郎、そういうお前こそここで何をしている?」
「積もる話が合ってな。昔のバディだからといって、安易に受け答えすることはできないぜ」
「確かに私も、今それを明かすのは少々場が悪い。だが、ここにいる人物の中にお前の仲間がいるのなら、全員の安全は保証しよう。今日は喧嘩はナシだ」
「そうだな。あとで少しばかり、お前の最近の動向について調べさせてもらう」
「構わん。自分の口から話すのでは信用されんだろうからな」
それだけ言うと、大男――大倉敏也は、ワイヤーガンで勢いよく天井から脱出した。
「権田さん、今のは……?」
「まあそのうち話す。だが今は任務中だ。帰りの足になるヘリを待たせるのも悪い」
そう言い終えた瞬間、二人のヘッドセットに安野が割り込んだ。
《こちら安野、地下二階の薬物精製プラントを制圧。流石にもうじき警視庁の偵察ドローンが飛んできます。皆でさっさとトンズラしましょう》
「こちら権田、及び帆山。了解した」
こうして三人は、帰り支度をすることとなった。
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