運命(2)

「前世って信じますか?」

 折橋は応接間に入って革張りのソファの上に落ち着くと、挨拶もそこそこに切り出した。


「前世ですか」ローテーブルを挟んで向かい側のソファに掛けたかわは、銀縁の眼鏡の奥の目を少し細めて曖昧に笑った。「厳密に言えば、死んだはずのものがこの世に留まったり、何度もこの世に舞い戻って来るのは良くないことです。けど、大抵の人はそういう意味で言ってるわけじゃなくて、もっと軽いノリというのかな、自己暗示を兼ねたひとつの験担ぎだと思いますが」

「はあ……」

「折橋さんはどうですか? 前世について考えることがありますか?」

「いえ……そういう話はよくわかりません。ただ、兄の婚約者が」

「今度は前世の話を始めた?」

「はい。先週は星座の話も心霊話もまったくしませんでした。ずっと前世の話を」

「なるほど……これは僕の勝手な想像なんですけど、折橋さんはそういう話は苦手で、婚約者さんが前世の話をしだすと、なんとか相槌を打ちながらも内心は困っているんじゃないでしょうか」

「はい。ほんとにそうなんです」折橋は手元に目を落として小さく溜息をついた。

「キリがないですね。そう思いません? 何度、自動化で対応しても、違う話題が出てくる。それがどうしてなのかは、僕にはわかりませんが」

「すみません……」

「いえいえ、責めるつもりじゃないんです。ただ、とにかく前回お伝えした通りで、僕ができることはここまでです。本日は前回分の自動化についてお支払いいただいて、これ以上ほかの自動化はしません。しても仕方のないことで無限にお金を取り続けても、僕が心苦しくなってしまうので」

「はい」折橋はひどく不安そうな目で考え込んだ。


「ちょっとお待ちくださいね、お茶を」瑠璃川はすっと立ち上がり、引戸の向こうにいなくなった。


 数分後、瑠璃川がティーカップの乗った盆を持って戻ってきたのとほぼ同時に、廊下から別な足音が近付いてきて、応接間のドアが開いた。


「わっ」瑠璃川は大袈裟に肩をすくめた。「あかしお君。ご出勤?」


 ドアから顔を覗かせたのは、くたびれたスエットにジーパン姿の、長身の男だった。精悍な顔立ちだが、どこか精気に欠けた陰気な雰囲気がある。歳は三十手前に見えた。

「ああ、お客さんでしたか」赤潮は折橋を見て言った。「お邪魔してすみません」

「うちの社長の赤潮です」瑠璃川は折橋の前にティーカップを置きながら言った。

「は、はあ」折橋は困ったように微笑んだ。

「いや、気にしないでください。この会社は三人しかいないんで、社長も何もないんです。全部俺がやってるというだけです」

「赤潮君、前世って信じます?」瑠璃川はソファに座り直し、赤潮を見上げた。

「前世? さあ……友達で前世の記憶があるっていう奴いたけど」

「マジで?」

「まあ、それが前世の記憶なのかどうかは知らんが。実際に身に覚えのない記憶があるのは本当だったらしい。フランスかどこかの、黒い石造りの城に住んでいて、そこの城主に仕えて、軍人というのか、ガードマンみたいな仕事をしていたとか」

「へえー。すごいな」瑠璃川は気のなさそうな口調で言った。

「え、それでこちらの方も、前世の記憶があると?」赤潮は折橋を見て言った。

「いや、この方のお兄さんの婚約者が」

「お兄さんの婚約者? 遠いな」

「遠いというか、他人だね」

「そうだなあ。他人だなあ」赤潮はとぼけたような調子で言って、首を傾げた。「お兄さんの前世でもだいぶ関係ないのに、お兄さんの婚約者の前世では本当に心底関係ないな」

「そう。その関係ない話をされて、こちらの折橋さんは困ってるみたいで……どうしたらいいと思う?」

「え、お兄さんに、そんな女やめとけって言うしかないんでは」と赤潮は言った。

「まあねえ。君ならそう言うでしょうね」瑠璃川は笑った。

「いや、俺じゃなくてもさすがにそれは言わない? だってそれで困って、ここに相談に来るくらいだから、ちょっとやそっとじゃないわけだろ? そんな、人を選ぶような話題を彼氏の妹に吹っ掛けて、相手が困っててもやめないような人なら、嫁に来たって絶対ろくなことせんぞ」

「まあまあ、それでもね、お兄さんがやっと掴んだ幸せなんだから」

「やあ、やめたほうがいいと思うけど。そのお兄さん、こんなこと言っちゃ悪いが、女を見る目が無いですよ。妹さんから言ってやったほうがいい」

「はあ……」折橋は弱く苦笑を浮かべた。

「どっちにしろ、僕も自動化でやれることはやり尽くして手詰まりなんで」と、瑠璃川は言った。「何か赤潮君からアドバイスがあれば、どうぞ」

「やめとけって言うね。俺なら。妹さんですよね? 妹なら言っていいと思いますよ。親が言うと角が立つが……そのお義姉さんは、前世は誰だったんですか?」

「えっと、紫式部だとか」

「紫式部? あれか、二千円札の人?」

「その覚え方は珍しいね」瑠璃川は呟いた。

「とんだ偉人の生まれ変わりなんだなあ。お兄さんも彼女も、それを信じてるんですか?」

「兄は全く興味ない人です。婚約者の方は、どこまで本気なのかは……ただそういう話が好きみたいです」

「うーん、まあ人の趣味はとやかく言えないけど。だからって彼氏の妹を捕まえてずっと話すようなことですかね。いや、俺はその人を全く知らないけど、なんか話聞いただけでろくな人間じゃない気がしますよ」


 赤潮は言うだけ言って、奥の部屋にするりと引っ込んだ。


「自分の依頼人じゃないってなると急に無責任なんだから」瑠璃川は閉まる扉を振り返って、少しぼやくように言った。


「あの社長さんは、前世とか全然信じないんですね」折橋は呟くように言った。

「そうですね、赤潮君はもともと理系だし。そういう話には疎いというか、冷たいですね」

「少し意外な気がします。こういうお店なのに」

「こういう店だから、というのもありますよ。なまじ知識があると、紛い物や他の流派が気に障るものです。赤潮君は生え抜きというのかな、元々その手の素養が全くないところに呪術の実用的な技術だけをきっちり流し込んでるんで、普通の人が半信半疑で楽しむような占いとかオカルトとかにはかなり冷淡ですね」

「……瑠璃川さんは?」と、折橋は聞いた。

「僕ですか? 僕は何の信念もありませんから」瑠璃川はまた捉えどころのない、ふわっとした笑顔を見せた。「自分の信じるものが何も無いので、他人が何を信じていても気になりません。そこに摩擦が生じないので」

「そういうものですか」

「折橋さんとその婚約者さんとの間に毎回摩擦が生じるのは、折橋さん自身、ご自分の中で大切にされている文化や死生観があって、それが婚約者さんのものと相性が良くないからだと思います。ただ、それとは別の問題として、このたびのお兄さんの結婚を望んでいない人が誰か、いるような気がしますがね」

「えっ。どういう意味ですか?」折橋は不安げに目を見開いた。

「言ったままです。お兄さんの縁談を遠回しに妨害したがっている人がいるように思えます。状況だけ見ると、もっともその疑いが高いのは折橋さんなのですが。現状、婚約者さんに不平不満を表しているのは折橋さんだけですからね」

「そんな、私は」

「もちろん、僕はそうではないと思っています。この状況を引き起こしているのが折橋さんだとすると、折橋さんご本人の払っている金額や労力が大きすぎます。うちの料金は学生さんには安くないでしょう」

「………」

「いずれにしろ、なるようにしかなりませんよ。妨害されるほど燃え上がるカップルもいますし、籍を入れたことがきっかけで別れるカップルも山ほどいます。あまり世話を焼きすぎないことです。僕の掛けた術は、もう使われないかもしれませんが、御守りとして一応残しておきましょう。そのまま使われずに時間が経てば自然と消えます。ただもし、気が向いたらで良いのですが、お兄さんのことに決着がついた頃にまたお越しいただけませんか? 不要になった術はきちんと解いたほうが確実ですし、僕もその後の様子をお聞きしたいです。それについては、料金は掛かりませんので」




 折橋は翌週にまた来た。

 外は寒の戻りで雪がちらついており、日暮れ前なのにすでに日が沈んだような暗さだった。

 瑠璃川は丸いフォルムのマグカップにココアを淹れ、折橋に勧めた。


 折橋はどこか憮然とした表情だった。ココアを一口飲んですぐにカップを下ろし、「術を解いてもらえますか?」と言った。


「そのまま、それを飲んで」瑠璃川はココアのカップを示した。「飲みながら、少しお話しして待ちましょう。だいたい十分くらいで解けるはずです。全部飲む必要はないです」

「えっと」折橋は不安そうにカップをもう一度取り、その中身をまじまじと見た。

「安心してください。それ自体はただの普通のココアです。スーパーで買ってきた粉をスーパーで買ってきた牛乳に溶いただけです」

「はあ……」

「お兄さんのことで何か動きがありましたか?」と、瑠璃川は聞いた。

「それが……別れました」と、折橋は言った。

「それは急展開ですね」瑠璃川は特に驚いた様子も見せなかった。


 折橋は渋い顔で俯き、少し間を置いてから溜息をついた。

「瑠璃川さんは、こうなることがわかっていたんですか?」

「いえ。特に何か予想していたわけではありません」

「そうですか……」

「やはり婚約者さんはこの結婚を望まれてなかったみたいですね。気乗りしない相手だったからこそ、妹さんへの態度も変だったのでしょうか」

「それが、問題は兄なんです」折橋は疲れた表情で言った。「実はここ何週間も、結婚したくなくて、式場が気に入らないふりをしてズルズル話を引き延ばしてたと……」

「おやおや」

「どうりで毎週違う式場を回っていると思ったら。ああいうのって、コーディネーターみたいな人が付いて、式場へのアポ取りとか見学ルートの提案を全部してくれるんですね。見学に行って、何か気に入らなかったとケチを付けると、じゃあ次はこちらの式場はどうですか、こちらもどうですか、と無限に紹介されて。それを全部言われるままに回っていたらしいです」

「なんとまあ、悪いお客さんだ」瑠璃川は笑った。「結婚式は一回数百万からが相場ですからね。大きな買い物だから、コーディネーターも式場側も必死でおもてなししてくれたでしょう。それを全部冷やかして回ってたと」

「ほんとに、恥ずかしい。いい歳して子供みたいで……」

 折橋はまた一口だけココアを飲んだ。


「ご両親は、がっかりされてるでしょうね」と、瑠璃川は言った。

「それが、ふたりとも『どうせそうだろうと思った』とか言うんですよ。あんなにベタベタ距離を縮めて、それこそ必死でおもてなししたのに……兄が色々と言い出しづらくなったのは、親が先走って盛り上がり過ぎたからっていうのも大きいと思うんですけど。それでも父はだいぶ落ち込んでましたね。母は、なんかせいせいした、とまで言って、ちょっとそれもどうかって気がします」

「まあね、酸っぱい葡萄、みたいなことかもしれませんが。けど折橋さんにとっても、たぶんこれで良かったんでしょう。今後は変な話題に煩わされずに済む」

「けど、あの彼女も結局、どうかしてる感じでした。兄が結婚に乗り気じゃないのをだんだん感じていたみたいで、私が嫌がるような話題を次々振っていたのは、兄か私のどちらかに様子が変だと気づいて欲しかったからなんだそうです。わけがわかりませんよ。私が、様子が変だと気づいたからってどうだって言うんですかね? 兄の結婚を、妹の私が止めてくれるとでも思ってたのか……なんでそう思ったのやら。とにかく何もかも、話がめちゃくちゃで」

「うーん、似たもの同士ですねえ。そのまま結婚したら意外とお似合いだったかも」

「ほんとです」

「しかし今回は残念ながら、ご縁がなかったようですね」

「次回なんてもう無くていいです。両親も私も疲れ切っちゃいましたから」


 瑠璃川はいつもの曖昧な笑みを浮かべながら、懐から名刺を取り出し、その余白にボールペンで何かを書きつけた。


「これをお渡ししときますね。一応」瑠璃川は名刺を折橋に渡した。

 電話番号の脇の余白に、縦長の整った文字で「割引」と書かれていた。

「今回は折橋さんにとっては無駄足に近いご依頼になってしまったので。今後もし、また別なご依頼があれば、その名刺をお持ちいただければ少しサービスしますよ。まあでも、使いそうもなければ捨てちゃってください」

「ええ……なんだか、かえって、申し訳ありません」折橋は受け取った名刺を見つめながら、少し首をすくめた。

「いえいえ。これも大事なお客さんへのおもてなしです」

「なんだか……私が余計なことを言わなければ、こうならなかったのかな、と少しだけ思います」折橋は顔を上げ、困ったように眉を下げて瑠璃川を見た。「どうせうまくは行かなかったんでしょうけど。でも、こうして自動化までしていただいて散々気をつけていたのに、私が余計な一言を言ったのがきっかけで全部終わっちゃったので」

「何と言ったんですか?」

「『お兄ちゃんはあの人と本当に結婚するの?』と」

「それは実に、的を射た質問です」

「別に深い意味があったつもりじゃなかったんです。つい何となく、聞いてしまっただけで……けどこれを聞いた途端に、兄の様子がおかしくなって、全部ぶっちゃけたんです」

「まあねえ。結局、全員が疑問に思って、不安になっていた点を、ついに口にしてくれたのが折橋さんだったということですね。ある意味では、折橋さんのその質問がみんなを救ったわけです」

「でも、こんなの嫌ですよ……まるで私が縁談を壊したみたいで」

「まあ、運命だったと思うしかないです」瑠璃川は笑いながら言った。「科学でも非科学でもどうしようもないことが、世の中にはあるものです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る