第二章 承
「こんばんは」
夜十時丁度、消しゴムに話しかけた。
「こんばんはー」
その返答にすごくほっとした。昨日だけの短い夢じゃなかった。
「良かった。繋がらなかったら本当にどうしようかと」
「でも私は確信していたかな。こういうことって突然起こって、いつか終わるけど、思うより長いから」
「そうなのかな。あっ、そういえば名乗ってなかった。僕の名前はタケシで、漢字は勇猛果敢の猛」
すると彼女が、ふっ、と笑ったのが聞こえた。
「え、何で笑うの」
「あれ、聞こえてた?」
「ふっ、って聞こえた」
「いや、何でその四字熟語なのかなって」
「でも、間違いないでしょ」
「そうか、間違いないか」
たぷん消しゴムの向こう側で彼女はまだニヤニヤしている。
「失礼かもだけど、そっちの名前は?」
「にゃんこ」
「ええ?」
「いやもちろん冗談で、本当はニコ。漢字も言った方がいい?」
「どっちでもいい」
「じゃあ言わない」
なんだかよくわからなくなってきた。でも、別に気にしなかった。消しゴムに話しかけている方がわからないことなのだから。
「で、どう思う?」
ニコはそう聞いてきた。
「どうって?」
「この現象について」
「そんなのどうだっていいんじゃない」
「解明したいとかは思わないの」
「思わない。僕、文系だし。それより君と話したいな」
「ふっ、そうね、私もそう思ってた。へえ、文系なんだ。ミートゥーだよ。じゃあまずお互いを何て呼ぶ?」
僕はほんの少しの冒険をした。
「ニコちゃんでいい?」
「うん、もちろんいいけど普通だね」
「普段はちゃんなんて言わないんだけど、それが呼びやすいし、試したいから」
「なら私も君を、タケシと呼ぼう」
「結局、普通になったなぁ」
「まあ、いいんじゃない」
そして、会話が途切れてしまった。僕はとっさに考えて、
「次は好きな小説とか話す?」
と聞いた。
「私、あんまり詠まないんだよね」
少し残念だった。
「そうなんだ」
「マンガとかの方がよく読むかな」
「例えば?」
「『ナルト』わかる?」
「わかるけど読んではいないなぁ」
「最近は『よふかしのうた』ってやつ読んでるんだけど。そろそろアニメやるやつ」
「うーむ」
「小説もマンガも話せないね」
「じゃあ、好きな飲み物は?」
「質問攻めはよくないよ。彼女いないでしょ」
それは図星だった。
「図星でしょ?」
図星すぎて何も言えなかった。
「ごめんね。困らせるつもりはなかったけど、わかっちゃったから」
「わかるのかあ」
「まあミートゥーなんだけどね。私が先に殴っちゃっただけ。なんだっけ、好きな飲み物だっけ? その質問は何?」
「焦って変なこと言ってた」
「いいよ、答えてあげる。でも何だろうなぁ」
部屋のエアコンと同じ声でうなって、なかなか彼女が思いつかないから、先に言うことにした。
「僕はサイダーなんだよね」
「ん、そうなの?」
「炭酸ってコーラとかファンタとか他のもあるけど、それよりサイダーの方が好きなんだ。甘いんだけど、甘ったるいだけじゃない、爽やかな感じが、好き」
「うんうん、わかる、なるほどね。私も決まったよ、好きな飲み物。コーヒーかな」
「ああ、コーヒー飲むんだ」
「うん、水より飲んでるかも」
「ふーん」
「タケシは飲める? 飲めない?」
「ブラックだと飲めないから、飲む時はシュガーとガムシロを六ずついれてる」
「多めだね」
「ひかない?」
「ひかないよ。好みだもの」
ちょっと嬉しかった。肯定してくれたのは本当に安心した。
「私はブラックだな」
「僕も飲み始めようかな。甘いやつだけど」
「いいね。……あれ、もう一時間経ってる。ねえ、私は大丈夫だけど、どうする?」
「じゃあ、解散にしようか。これからも一時間トークにする? だらだら喋るより良いと思うんだけど」
「そうしようか。明日も十時から十一時?」
「うん」
「じゃあおやすみー」
「おやすみ」
それから、僕は明日の準備をして、ベットに入った。明日は何を話そうか、考えていた。
大きな楽しみを持っていると、それに到達するまでの時間は短く感じられる。だから、今日の六時間目が終わった時、びっくりした。
そして十時。
「こんばんはー、ニコちゃん」
「こんばんは。今日は何を話す? 今日もタケシのお題でいこう。考えてたでしょ?」
「そうだけど、なんでわかったの」
「私も考えようとしてたから。でも、やめたんだ。そっちが考えてくると思ったから。なんでっていうのは野暮な質問じゃないかな?」
「確かに、どうでもいいや」
ニコちゃんはいつも、一枚上手だ。
「じゃあ、好きなゲームとか話す?」
「おー、それなら私はマリオだな。あれ、マリオメーカー」
「ああ。やってはいないけど動画はめっちゃみてる。僕、ゲームは下手だから、うまいのみてるのが楽しいんだ」
「私うまいよ」
「そうならいいなって思ってこの質問したんだ」
「ならこれは成功だね」
「うん」
それから、二人で飽きることなく話した。僕が「ぽこにゃんさんの動画が好き」と言って、ニコちゃんが「私もみてる。実はぽこにゃんよりもバトルレート高い」と告白した。とにかく、楽しくてしかたなかった。
「うーん、もう十一時だね」
「楽しかったけど、今日はここまでかな。あ、明日はニコちゃんが考えてきてよ、お題」
「オーケー。じゃあ、また明日」
「じゃあね」
一時間が短かった。楽しい時間もまた、短く感じられる。だから、楽しめるだけ楽しんでおきたい。
今日も彼女と話せた。この現象が終わってしまうのではないかという不安は、とっくになくなっていた。
「こんばんはー」
「お題考えてきたよ。あのね、好きな歌手は誰か、っていうお題」
「あー。最近よく聴く、っていうか聴き始めたのは、星野源さんかなぁ。まだ曲数はあまり知らないんだけど」
「んー、星野源かぁ。『恋』とか?」
「うん。その『恋』をよく聴いてる」
「恋したいの?」
「そりゃあ、まあね」
「私に恋してるとか?」
「してるかも。声、可愛いし」
「えっ」
彼女が黙ってしまった。少し待ったが、それでも返ってこないので、僕が喋りだした。
「照れてるの?」
「照れるでしょ」
「でも、ニコちゃんも僕の声カッコいいって……」
「あれは、まだタケシを知らなかったから。今、可愛いとか、言われたら、そりゃ恥ずかしいじゃん」
「わかったよ。あんまりそんなこと言わないようにするよ。でも、つい言っちゃうかもなぁ.」
「いや、嬉しいけど、やっぱり恥ずかしいが勝っちゃうんだよね。言われ慣れてないからかな。期待しすぎないでよ。もし実際に会った時に、がっかりされたくないし」
「あっ、それは僕の方もだな」
「ちょっとちょっと。何の話だっけ?」
「えーっと、歌手」
「ああそうだった。それの話をしよう」
ニコちゃんは照れたのをごまかすように、むりやり話を戻した。そのセリフは少し早口になっていたが、落ち着くための時間か、一拍空いて、それからは元のスピードに直った。
「私はね、スピッツだな。わかる?」
「いや……」
「聴いたことはあるはずだよ、認識してないだけで。それがいいところなんだけどね」
「へえ」
「あれだよ、昔の曲がね、ヤっちゃってるの」
「え、下ネタ?」
「いや、直接じゃないのよ、こっそりエロいの」
「そんなに連発しないでくれない?」
「下ネタだめ?」
「そうじゃなくて。いやむしろ大好きだけど」
「いいね。じゃあたぶんスピッツ好きになると思うわ」
意外だった。けれど、その方が話せる範囲が広くて都合がいいような、そんな気もした。そこまで思案して、自分が気持ち悪くなったが、たまらず次のセリフが出た。
「ニコちゃん、下ネタいけるの」
「うん」
そして、彼女は笑いながら言った。
「何食いついてんの」
「最高だな」
「最低だね。変態じゃん」
「自覚はある」
「そうだ。綿矢りさの『インストール』って知ってる? 知らないなら読んだ方がいいよ」
「マンガ?」
「いや、小説。まあ、コミカライズもあるけど、小説の方がいい」
「ちょっとは読んでたんだ」
「友だちにオススメされてね。高校生の間に読んどけって。いいよ、エッチだよ」
「興奮してきたな」
「やあだ」
「さすがに止めようか」
「時間見て、もう十一時だよ」
あっという間に一時間は過ぎていた。
「明日は下ネタ禁止にしようか」
「私、それ話し出すと終わらないからね。最初から禁止しよう」
「じゃあ、そういうことで。また明日」
「じゃあね」
消しゴムで話せるのも永遠に続くわけじゃ無いだろう。あとどれくらいニコちゃんと話せるのか。急に不安になった。祭りの後と同じ感情で、それは言葉にできなかった。
ただ確かなことは、僕が興奮しているということだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます