声の人

魚里蹴友

第一章 起

「さようなら」

 学級代表の声で、今日の学校生活の勉強のパートが終わった。そして、ほとんどの生徒が部活動に向かう。僕は弓道部だ。

 練習が終わり、部活の仲間と帰る。家が一番遠い僕は、帰り道に必ず一人になった。友達と別れてから、いつも考えることがある。

 高校三年生になっても、まだ、何も起こらないということ。僕には夢があった。それは、ドラマとかアニメみたいな体験をすること。子どもっぽいかもしれないが、諦めきれずにいた。例えば夕日が沈まないとか。

 僕は本気でそう思っていた。

 ははっ、バカじゃん、とも思うけど。




 家に着いてお風呂に入って、それからご飯を食べる。いつも通りだった。暫くテレビを見て、その後、勉強をする。

 机に向かって、数学を始めた。一問解いて、伸びをした。

―めんどくさい。

 机に一度伏せる。静かな時間が流れる。そして、いつもなら起き上がってトイレに向かう。今日もそのつもりだったが、ここで異常なことが起こった。

 声が聞こえる。

 うちは一軒家、アパートじゃない、だが家族でもない。僕は出どころを探した。

 ようやく分かって、驚いた。

 消しゴムだった。消しゴムから声が聞こえる。手に持って耳に近づけてよく聞くと、誰かの鼻歌のようだった。

「どうなってんだ?」

 僕はそう口に出した。すると消しゴムから高い声が聞こえてきた。

「え、何これ」

 あちらにはこちらの声が聞こえていて、こちらにはあちらの声が聞こえているのを理解した。よくわからないが、電話のように音が繋がっているらしい。

「あのー、聞こえてますか」

 なぜだろう。僕はそう尋ねていた。自分にそんな勇気があるとは。それは消しゴムの事象に負けないほど驚くべきことだった。

「はい。え、これどうなってるんですか」

 反応してくれてよかった。少しの安心感を得た。

「僕もわからないんですよ。いきなり声が聞こえて、どうなってるって言ったら、そしたらこっちの声も聞こえているみたいで。そこまではわかったんですけど、原理とかは僕もわからないんです」

「へえ、不思議ですね」

 僕は初対面の人とうまく話せるタイプではない。こうやってやり取りできているのは、実際に対面していないからだろうか。または、この奇妙な状況に興奮しているからだろうか。僕の口は自然に開く。

「不思議です。でもなんか、面白くないですか」

「そうですね」

「こういうの夢だったんです」

「え、夢ですか」

「僕、高三なんですけど、非現実的な出来事に憧れてたりしてて。自分でもダメな奴だと思うんですけど」

「ああ、その夢。望みの方でしたか、寝てる時のじゃなくて。えっと、私も高三ですよ」

 彼女は素敵な声をしていた。僕は好みの顔を想像している。期待するのは良くないことだと分かっているのにそうする自分は、やっぱりバカだと思った。

「これって明日もできるんですかね。僕、こんなこと初めてで」

「私もですよ」

 彼女は笑いながら言った。

「そりゃあそうですよね」

「明日も試してみますか?」

 正直、嬉しかった。こんなにおかしな体験を逃せるわけがなかった。

 僕はちらりと時計を見た。

「じゃあ明日もこの時間、十時に話してみましょうか」

「良い声していますね」

「え?」

 突然言われて戸惑った。どう反応すればいいか分からない。

「カッコいいです」

「いや、嬉しいけど、何て言えば」

「それだけです。じゃあ、また明日」

「あっ、また明日」

 そして会話が終わった。明日どうなるかは分からない。だけど、また明日も話せたらいいなと思った。

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