30 生まれ変わり
ネイの『
やがて目的地が近づいてきた。
岩壁が途切れ、豪華な浮き彫りと金細工の扉が現れる。突貫で作り付けたように周囲とちぐはぐな扉。やはりその前にも、道中と同じく歩哨の姿はなかった。
「ここか?」
「うん」
久しく聞いていなかった気のするナザレの声。両開きの扉は抵抗なく開いた。
そうして踏み込んだ部屋は、この城で見た中で最も帝城の名に相応しい居室だった。壁は表面が整えられ、剥き出しの岩ではない。天井には豪奢なシャンデリア。調度はネイの目から見てもわかるほど一級で、床には厚い絨毯が敷かれている。奥には天蓋付きの寝台と、そしてついぞ城内では見ることのなかった大開きの窓がある。
外はすでに日没間際で、ネイとナザレが城内を彷徨っていた時間の長さを伝えた。
窓際の椅子に腰掛けて、その女は帝都に沈む日を眺めている。
彼女がふり返る。インクを流したように青みがかった黒い髪。白い肌。夕日の逆光の中でこちらを見る、黄金めいた淡い色のひとみ。
「久しいのう。母がおらず寂しかったか。
にい、と笑うヨルだった。何一つ変わらない姿に、ネイの腹から怒りがこみ上げる。
「下着くらい履き替えろ。いつまで私の使ってるんだよ!」
「これのことか?」
そう言ってヨルがぶらん、と取り出したのはネイの下着だった。
「履き替えはしたんじゃが、勿体のうて取っておいたんじゃ。寂しいときには枕元に置いておくと、ぬしの匂いがしてよく眠れるというわけじゃ……」
「この……ッ」
ネイは部屋を大股で突っ切ると、ヨルの手からそれを奪い返す。鞄に突っ込む。
「くっくっく。初のう、初のう。冗談じゃよ」
ケタケタと笑うヨルに、ナザレが近づく。
「ぬしは?」
その問いを皮切りとして、ナザレのこと、〈燼灰〉のこと、そしてタニシャのことを含め、二人がここまで来た経緯について、ネイとナザレは交互に話した。二人がすべてを話し終える頃には空には星がのぼっていた。
「なるほどのう……」聞き終えたヨルはつぶやいた。「あの
「感心している場合じゃないだろ」
「なぜじゃ」
純粋に疑問に思っている目に、ネイは苛立つ。
「〈燼灰〉のやろうとしていることだ。
「なるほどのう」
それからヨルは何気なく言った。
「じゃが、力は使えるぞ」
「は?」「え?」
ナザレとネイが共に声を上げた。
「じゃから、母は力が使えないと言った覚えはないんじゃが」
ほれ、とヨルは手のひらを床にかざした。その手が淡い金の光に包まれたと思うと、ボト、と何かが床に落ちた。落下の衝撃で一瞬きょとんとしたように顔を上げた後、それはすばやく部屋の隅へと逃げていった。腕くらいある大きな青いトカゲ――
それは〈大地母竜〉の第一にして最大の権能。
「『
ネイは呆然とつぶやく。
「言うたじゃろ。使えるんじゃって」
「どうなってる」ナザレがネイを見る。「今のはなんだ」
「私にもわからない。どういう……。ヨル、なんで最初に言わなかったんだ」
「訊かれなかったからのう」
詰問しながら、しかしネイは何かが自分の中で弾けるのを感じていた。
ヨルが最初から〈大地母竜〉の権能を使えたのならば。
だとしたら――
私はすべてを逆に考えていたのではないか?
「……ナザレ。私は言ったよね。アンタで『顕鱗者』に会うのは二人目だって」
「なんだ急に」
ナザレは知らない。ネイは戦争で孤児となり、師匠に拾われて庵で暮らしはじめた。だからあの日あの時が来るまで、ネイは庵を遠く離れたことがなかったし、ゆえに『顕鱗者』と出会ったこともなかった。
「一人目は、アイリーなんだ」
「あのガキが? でもアイツは七歳だろ。鱗が顕れるには早すぎる」
「そうだ。鱗が顕れるのは十歳からのはずだ。でも、私は鱗の有無で『顕鱗者』を判断しているわけじゃないんだ。言ったでしょ? 感じたのは匂いだって。ほんの少しだけどあの子からは竜の匂いがした。アンタと出会って、比べてみて確信したよ。あの子は『顕鱗者』――まだ鱗が顕れていない『顕鱗者』なんだ」
ナザレは困惑しているようだった。なにが、と言いかけた彼女をヨルが制した。
「ぬしが巫女に選ばれた時もそうじゃったと、そう言いたいんじゃろ」
「そうだ。アンタもその時、まだ鱗が顕れていない『顕鱗者』だった。だから〈大地母竜〉の巫女になるために必要な条件は『顕鱗者』であること。それも、鱗が顕れる前であることなんだ。たぶん法院も私と同じように匂いか、もっと別の方法で判別してる」
ネイが匂いで分かるくらいだ。法院には専用の方法があってもおかしくない。
あるいは竜――〈至善〉アルカイッテ。匂いがしないはずのシアに彼女が気づかなかったのは、ダミデウスが「戦利品」を持たせていたからだろうか。そもそも法院にあまり寄りつかない彼女が、入れ替えに気づける機会は乏しかったはずだ。
「私が選ばれた理由がそうだとして、それとこいつが力を使える理由に何の関係がある」
「こいつとは失礼な。相変わらず母への敬意がない奴じゃ」
ヨルの戯れ言を無視してネイは続ける。
「覚えてる? 〈燼灰〉は、『呪い憑き』のことを『巨人還り』って言ったよね。私はそれがどうしても引っかかってた。〈完全言語〉が間違うとは思えない。だとしたら、『呪い憑き』よりも『巨人還り』のほうが正しいってことになる」
「なぜ急にタニシャの話になるんじゃ?」
「なるんだよ。ナザレ、思ったことはない? 『呪い憑き』と『顕鱗者』はほとんど同じだ。人間の中に現れて、特別な力を使うことができる者たち。しかも、タニシャが
ネイはなおも言い募った。
「〈大地母竜〉の魂は戦場から逃がされた。肉体が滅びても魂は不滅だったから。でも、ヨルネルだけが例外だと考える理由はどこにもない。竜の魂はみな不滅なのだとしたら? そして、巨人もまたそうなら? それが『呪い憑き』であり『巨人還り』の原因だとしたら?」
「ちょっと待て」
ナザレは圧倒されたように手をかざし、ネイを遮った。
「魂が不滅で、それが還るっていうのは……」
その目にジワジワと理解の色が広がり、同時にまなじりが開かれていく。
やがてナザレは、途方に暮れたように問う。
「……私が、竜の生まれ変わりだって言うのか?」
「そして『巨人還り』――タニシャは巨人の生まれ変わりなんだ」
法院が『呪い憑き』を極刑で遇するのも当然だった。彼らは邪悪な巨人によって呪いをかけられたのではなく、巨人の魂そのものの生まれ変わりなのだから。古竜信仰にとって『巨人還り』とは、まさに不倶戴天の敵に他ならなかった。
「だからアンタは巫女に選ばれた。前に言ったよね。人間では竜の魂の器には弱すぎるんだって。でもそれはすこしだけ違った。大事なのは器の強度じゃなく大きさ。数なんだ」
「ひとつの身体の中に二つの竜の魂が入ることはできない」
「そうだ」
同じ器に二つの料理を盛ることができないように、二頭の竜が一人の人間を器として生まれ変わることはできない。だから後から入ってきた魂は拒絶されることになる。
「巫女は、魂が適合した人間が選ばれるわけではない……」
ネイは頷いた。
「巫女は、不適合者なんだ」
そうして魂を間違った器にそそぐことで、〈大地母竜〉の権能を歪ませ、『
「だから鱗が顕れれば間に合わない。鱗が顕れる前、魂は存在するけど、まだ目覚めていなくて、完全には他の魂を拒絶することのできないタイミング。その時に器は、法院の目的にとって最高の状態になる」
ネイはようやく結論にたどり着く。
たどり着いてしまった。
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