31 竜殺しの武器
「……だからさ、ヨル。アンタは今、確かに〈大地母竜〉ヨルネルなんだ」
「最初からそう言うておったじゃろ」
きょとんとしたヨルに首を振る。
「いいや。アンタは自分が不完全だって言った。二回目の儀式が必要だって」
「それはそうじゃろ。記憶が足りないんじゃから」
「それも違う」ネイはまた首を振る。「亜竜を生み出すためだけの道具に、以前の記憶なんて必要だと思う? 〈大地母竜〉の、『
そして実際に、一回目の儀式だけでヨルは権能を取り戻しているのだ。
ナザレが同意する。
「ああ。むしろ邪魔でさえあるだろうな」
「そうだ。じゃあ、
平和と均衡。法院の掲げるそのお題目は、今のネイが口にするにはいかにも唐突に響いただろう。ナザレが眉をひそめる。
「何が言いたい」
「師匠は失敗したってことだよ」
ネイは答えながら、自分の唇が歪んでいくのを自覚する。
「〈大地母竜〉の魂を今の、不完全な形で引き継ぐのは、法院が掛けた保険だった。『
ネイはヨルを見る。シアーシャ・ハートレイク。〈大地母竜〉の巫女に選ばれなかった少女。『呪い憑き』でも『顕鱗者』でもないただの人間のむすめ。だから彼女は、他の魂に阻害されることなく、〈大地母竜〉の権能を振るうことができる。
「師匠は〈大地母竜〉の魂を滅ぼすつもりで、むしろその魂を目覚めさせてしまったんだ」
だから、ネイの前に立つのは〈大地母竜〉ヨルネル――六番目の竜そのものだ。
「お前――」
ナザレの目に理解の色がよぎる。
「『
その手がナイフの柄に触れるよりも早く、三方から岩の四角柱が伸び上がって、彼女の身体を拘束した。帝城が岩盤をくり抜いた構造でなければ、こうも簡単にはいかなかっただろう。怒声と悪罵を上げるナザレの口を、さらにせり上がってきた岩が塞いだ。
ネイはヨルの前へと歩み寄り、腰に下げた柄に手をかけた。抜き払う。ランプの明かりを白く照り返すその武器は、一振りの白い槍に見えるだろう。
「これは骨だ」
神代において竜と死闘を演じたもう一者。
――巨人の骸が。
「巨人の指骨から削り出した槍は、あらゆる竜の魔術を打ち消し、どれほど硬い
銘を、
「『
『いつかはな。俺か、お前が。お前が弟子を取ればそいつが殺す。それで足りなければ、その弟子が殺す。何百年かかろうと、誰かが成し遂げる』
師の懐かしい声が耳の奥によみがえる。
ヨルの白い喉に、ネイは骨色の切っ先を突きつける。
「ひとつだけ疑問が残ってる。アンタの記憶が、どうして失われているかだ」
「んむ。ぬしの言うとおり、
必殺の武器を突きつけられてなお、一切の動揺を見せずに〈大地母竜〉はのたまう。
その姿は不遜で、尊大で、いつもどおりのヨルだった。
「ぬしのことじゃ。もう答えを出しておるんじゃろ」
「うん」
自己再帰型魔術。相手自身の魔素を利用するその魔術は、ダミデウスがネイの怪我の痛みを取る時や、帝都大火の日にナザレの「意識を逸らす」のに使ったものだ。
おそらくその応用によって、ダミデウスはヨルの記憶をねじ曲げた。
ヨルと巫女との記憶は混じり合っている。それは巫女という器を通じて、〈大地母竜〉の記憶をも改ざんすることが可能だということだ。おそらくは先代の巫女の時にかけられた巧妙な魔術は、シアの肉体に魂が移されることをトリガーとして発動した。
ヨルがあの場所で意識を取り戻したのもそのせいだろう。ナザレというイレギュラーがなければ、本来、彼女を追っているのは法院の運び手と護衛たちだったのではないか。いま思えば、庵が建っている位置も都合が良すぎた。目覚めたヨルが庵を目指してやって来ること自体が、最初からダミデウスの仕込みだったに違いない。
すべては十二年前から仕組まれていたこと。
つまり、
「私はこの槍と同じだ。今度こそ〈大地母竜〉ヨルネルを殺すために、〈殺竜〉ダミデウスが作り上げた竜殺しの武器だ」
ネイはそう告げて、『
一歩。あと一歩だ。
あと一歩踏み出せば、白い魔槍は竜の咽を貫き、鮮血と共にその命を終わらせるだろう。
ネイはヨルを見つめる。まっすぐにこちらを見返す金色のひとみ。
「それがぬしの選択なのか?」
「選択じゃない。約束だ」
反射的にそう返した時、ネイは舌の上に苦味を感じた。
まるで――そう、
初めて『
約束。
ダミデウスが、血塗られた生涯の終わりに、十二年の歳月をかけて、鋼を打つように、骨を削るように、鍛え上げた最後の武器。それこそがネイだった。
ならば、この槍こそが彼の望みだ。
あの日、あの庵で、私が唯一持っていたものだ。
私たちの約束なのだ。
――
一歩を踏み出す。
びゅう、と槍の穂先が鳴る。
そして沈黙の後、
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