27 帝城

 ネイは初めての飛竜からの景色を眺めながら、ナザレの腹に手を回していた。小型のワイバーンだと二人乗りはギリギリで、ネイは半分尻を浮かせた状態で鞍にまたがっている。そうしないと、すぐ後ろで羽ばたく翼にはたき落とされそうだった。

 首尾よく大法院の亜竜舎にたどり着いたネイとナザレは、警戒されないようにできるだけ小型のワイバーンを選んだ。グクマッツの予想通り、職員や亜竜は〈北鎮祭〉で出払っており、大法院内はホーミダルの信仰の総本山というには閑散とした印象をネイに残した。

 眼下に広がる帝都の町並みが、感慨を抱く間もなく流れていく。

 帝都南西の大法院から北に向かい、帝城を横目に見る。帝都の中心にそびえる〈燼灰〉の居城は、大法院とは異なる暗い色で、ネイの目にも建築様式が異なることがわかった。というより、建築ではなく岩山と言ったほうが実態には近いだろう。

 ぶ厚い石壁に囲まれた帝城には、亜竜のための円塔は当然なく、無骨な見張り塔が岩盤から生えるように立っているだけ。窓も見当たらず、高所のあちこちでは市壁にあったのと同じ竜弩弓が空を睨んでいる。巨大な一枚岩をくりぬいて作った要塞。そんな印象のものが莫大な人口を抱える首都の中心にあることが、この国のいびつさをよく象徴していた。

 帝城を通り過ぎてほどなく、ナザレが口を開いた。

「あれだ」

 見えてきたのは中庭のある大きな屋敷だ。帝城周辺には貴族や大商人の家が集中しているらしい。グクマッツの言うところによれば後者なのだろうが、帝都の中にあって敷地に緑を蓄えておけるのだから、その権勢が分かるというものだった。

「アイツはいったいどんな弱みを握ってるんだ」

「さあな――舌を噛むぞ」

 ぐうん、と浮遊感。

 ワイバーンはほとんど垂直に曲がって急降下をはじめた。世界が尾を引く。胃がひっくり返り、叩きつける風に目が開けられない。亜竜の戦闘機動の一種だが、知識で知るのと自分が体感するのでは大違いだった。

 これもできるだけ目立たないためなのだろう。ネイはそう思いながら内臓の不快感と暴風に耐えた。もしも遠目でこちらを追っていた者がいれば、一瞬で姿が消えて見えたはずだ。

 けしてナザレの嫌がらせではない――たぶん。

 稲妻のような速度で中庭に降下すると、すんでのところで体勢を変え、ワイバーンは暴風をともなって着地した。中庭の植木が軒並み倒れかかっている。ネイが降下と着地の衝撃に胃を落ち着けている間に、ナザレはワイバーンの肩を滑りおりていた。

 彼女はこちらを振り返ってゴーグルを外す。

「鈍重だ」

 舌打ち。

「やはりトロットリードとは違うか」

 失礼なことを言われた気がしたが、奪われた亜竜の名を口にしたナザレの顔を見てネイは噛みつくのをやめにした。そこには一抹の寂しさが混じっている気がしたからだ。

「あのう……」

 おそるおそるといったふうに声をかけて来たのは肥えた男だった。乱れた髪をせかせかと撫でつけている。仕立てのいい服を着ているが、髪と同じく暴風でぐしゃぐしゃになっていた。

 これがグクマッツの「仲間」らしい。中庭で待つように指示を受けたのだろうが、まさかこんな勢いで飛び込んでくるとは思わなかったのだろう。グクマッツのことだから、たいして説明もしていなかったに違いない。

「アンタの想像どおり、グクマッツの紹介で来たんだ。用意はできてる?」

「え、ええ……馬車は屋敷の外に待たせております。ええと……」

「お互い名乗りはよしにしよう。知っても得はないでしょ?」

「あ、はい」

 言葉が通じる相手でよかった、とわかりやすく顔に浮かんでいる。

 よくこんなので商人なんか出来るな、とネイが思っていると、ナザレが口を開く。

「この亜竜はここに置いておく。私たちの邪魔をすれば内臓を抉り出して餌にするぞ」

 そう言って亜竜に指示を出しはじめた。ナザレの口の悪さは、『敬虔』の格好もあって彼女を余計に威圧的に見せていた。連れている亜竜もそれに貢献している。男は酷く青ざめているが、別に好感を持たれたいわけでもないので、放っておくことにする。

 竜笛りゅうぶえを聞き取りやすくするため、ナザレが亜竜を中庭の回廊に登らせるのを見ると、男の顔はさらに暗くなった。屋根がかぎ爪で傷つくからだ。そういう反応だけは商人らしい。

「じゃあ、案内してもらえるかな」

「わかりました……」

 歩き出した男にネイとナザレはついて行く。

 屋敷を抜けて門の前まで来ると荷馬車が駐まっていた。グクマッツのと似た形の幌馬車だが、長距離用ではないからか、あちらよりは一回りほど小さいようだ。

「こちらです」

「わかった、ありがとう。グクマッツにもよろしく言っておくよ」

「ヒッ――い、いえ。グクマッツ様には――」

 商人の顔には恐怖の色が浮かんでいた。

 なるほど、そういう類いの「貸し」であるらしい。

 適当に相づちを打って会話を切り上げると、さっさと乗り込んでいるナザレに続いてネイは荷台にもぐり込んだ。床を叩く。鞭の音がして馬車はがたがたと動き出した。

 帝都までの道中のように、馬車の壁に背を預けた。ナザレと向き合うのも同じだ。

 ナザレのほうを見るでもなく見ていると彼女が言った。

「聞かないのか」

「何を?」

「私がなぜ死ななかったのか」

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