26 殺意
路地を出て大通りにたどり着くと、さすが大国の中心というべきか、数えるうちに日が暮れそうなほどの人間が歩いていて、ネイは少々めまいがした。
兵士がいれば、傭兵がおり、魔術師に盗賊、ごろつきとしか表現しようのない荒くれ者。護身用とは言いがたい武器を懐に隠した者もかなりの人数が歩いている。職業柄と言うべきなのか、ネイはどうしても武装した――あるいはそれを隠した人間に目がいってしまうが、そのさらに何倍もの、武装していない市民がいた。
それに加えて、家畜や荷馬車が通りを行き交っている。朝は裏通りを通ったのでさほど人と出くわさなかったが、ここでは、ぼうっとしていれば簡単に他人とぶつかってしまう。
「そろそろいいだろう」
しばらくしてナザレが言った。この頃には、彼女の真後ろが最も歩きやすいことをネイは発見していた。革の飛行服と首から下げた
わかった、とネイは口を開いた。
「まず、私の師匠の話からする。名前はダミデウス。〈殺竜〉ダミデウス」
「〈殺竜〉……二十年以上前に死んだと聞いたが」
それは法院が喧伝した嘘だ。ダミデウスは法院と取引をし、自分が死んだことにしたのだ。取引の詳細はネイにも分からないが、その後キレーネ山地に庵を建てて、史上最悪の竜狩りは歴史の表舞台から姿を消した――
しかし、ダミデウスの隠居はネイを拾った後のことだ。取引と隠居には数年のずれがある。
その数年間、彼が何をしていたのか。
それがあの夜、グクマッツの語った内容だった。
「リウグノッグの大火。アンタはその日のことを話してくれたよね」
「それが何だ」
「アンタは言った。アンタたち姉妹を助けてくれたのは、たまたま同じ宿に泊まっていた老人だったって。彼はどんな見た目だった? 歳にしては背が高くて、痩せていて、灰色の髪に青い目をしていた。右脚をすこし引きずるように歩いていた。そうじゃない?」
まさか、とナザレが立ち止まった。ネイを見る。
「そのまさかだ。師匠は同じ宿に泊まっていたわけでも、偶然そこに居たわけでもない」
「だったら……!」
ナザレに胸ぐらを掴まれながら、ネイは彼女の目を見る。
「道の真ん中だよ」
ナザレは周囲を見回す。人々が遠巻きにしていた。中には帝都の警邏兵の姿も見えるが、ナザレの格好を見て躊躇しているらしい。法院と〈燼灰〉の確執はよく知られたことで、『敬虔』の兵士に手を出したことで問題が生じるのを避けたいのだろう。
舌打ち。
「来い」
胸ぐらを掴んだまま引ったてられる。帝都市民の視線を感じながら、ネイは無抵抗でナザレに従った。細い路地に入ると壁に押しつけられる。
「……話してもらうぞ」
「最初からそう言ってるでしょ。これ、苦しいからやめてよ」
ナザレは無言で手を離す。こうなると分かっていたから、二人きりで話したかったのだ。
「まず先に言っておくと、師匠は死んだ。去年のことだ。信じられないなら、アンタが襲ってきた庵の近くに墓があるから、別に掘り返したって構わない。勿論アンタが既に死んでいる人間を探して大陸じゅうを探し回るのを止めはしないけど」
「お前を拷問してもいい」
ナザレの脅しに、ネイは目を逸らさない。
「次に、アンタの考えてることだけど、それはあり得ない」
「ハッ、どうしてそんなことが言える。〈殺竜〉の野郎が、私たちを連れていくために母さんと父さんを殺したんだろうが。〈大地母竜〉の巫女を手に入れるために」
ナザレの言葉は矛盾していたが、あえて指摘することはしない。代わりに言った。
「アンタは師匠を知らないからそう思うんだろうね」
ネイの言葉に、ナザレは獰猛に大笑した。
「手前のお優しいお師匠サマが、そんなことするはずないってか? やはりお前は甘い――」
「逆だよ」
ネイはナザレの言葉を遮って言った。
「師匠がもし、巫女を――アンタを手に入れようと思ったのなら、何をしてでもそうしてる。アンタの両手両足を切り捨てて、耳を削ぎ、目を抉って喉を焼き、舌を引きちぎってでもそうするよ。もちろんアンタの姉も両親も殺す。〈殺竜〉ダミデウスは必ずやり遂げる。私の師匠は、そういう人間だ」
「は……」
ナザレの口から意味のない言葉が漏れた。
ネイは乱れた旅装の襟元に指をかけた。「何を」と問われる前に、それを下着ごと、二の腕辺りまでずり下げる。ナザレの目が見開かれ、その視線が自分の肩と胸に注がれるのをネイは感じた。
ネイの全身にはほとんど隙間なく、白い傷痕が刻まれている。傷痕の上に傷痕が、熱傷の上に切創が、幾重にも重なり合って、まるで重ね書きされた写本のように見えるだろう。
「私の手足に折れたことのない骨はない。頭蓋骨が砕けた回数も両手ではきかない。目が燃えた時の臭いは知ってる? 肋が肺に刺さった自分のうめき声を聞いたことは? 自分の背中を見下ろしたことはある?」
孤児の少女を最高の竜狩りに変えるための絶え間ない修練。それは少女自身の願いによって始まった。ひとたび決めたことは必ずやり遂げる。ネイの師はそういう男だった。だからこそ人の身で竜を墜とし、だからこそ〈殺竜〉の忌み名を与えられた。
だからこそネイはここにいる。
「師匠は人間を治すのが上手くてね。竜狩りとして致命的な怪我なら全部治してくれた。でもそれ以外は、自分でどうにかしろってわけ。ひ弱な人間の身体で竜に立ち向かうんだ。治療術に長けていなければ竜狩りなんてやってられないからね」
顔の怪我だけはどんな些細なものも傷が残らぬよう治してくれたのは、ネイが少女だからという配慮のようだったが、課した試練の厳しさにそぐわない、妙に保守的で甘ったるい発想がくすぐったかったのを覚えている。もちろん『脳は重要な器官だ』としか言わない男は、そんな配慮の存在など絶対に認めはしなかったが。
だから、とネイは言った。服の襟を戻して整える。
「師匠は殺していない。話の続きをしてもいい?」
二人は大通りに戻った。大法院を目指し、ナザレの先導でふたたび通りを歩く。
老いた巫女の代わりとなる新しい器の選定。ホーミダル大法院を監視していたグクマッツはその動きと同時に、リウグノッグの大火に繋がる帝都の異変についてダミデウスに伝えた。
選定の当日に少女の両親を殺した何者かは、ダミデウスと同じく〈大地母竜〉の巫女候補を目当てにやってきた。その狙いが少女の殺害と誘拐、どちらだったのかは分からないが、暗殺者はダミデウスと鉢合わせし、彼に殺されたのだろう。
だが、計画が変更されたのは少女の両親が死んだからではない。
「師匠は〈大地母竜〉の巫女を殺しに行った。正確には巫女候補、つまりナザレ、アンタを殺しに。だけどそこで大きなイレギュラーに気づいたんだよ。アンタの姉さんだ」
候補と瓜二つの姉。それを見て、ダミデウスはある仕掛けを思いつく。
「巫女の入れ替えか」
「そうだ。アンタはいつの間にか門の外に居たって言ったけど、たぶんそれも師匠がやったことだ。頭に触られたりしなかった?」
「十三年前だぞ。覚えていると思うか?」
「そうだろうね。ともかく師匠はそういう魔術が使えた。精神を操るなんて便利なものじゃないけど、自己再帰型魔術――相手自身の魔素を利用する魔術によって、『意識を逸らす』ような技術だ。暴動を前にして混乱してる六歳の子どもなんて、簡単だったんじゃないかな」
後にそれは別の少女から、怪我の激痛を取り除くためにも使われるようになる。掛けられる側が望んだことであれば、痛み自体どころか痛みの記憶までも消し去ることができた。
かくしてダミデウスは法院の目を盗み、〈大地母竜〉の器の入れ替えに成功した。暴動の中で大法院に逃げ込めば、シアが巫女であることを疑う者はいなかっただろう。それがナザレの信じるように、彼女自ら望んだことだったのかは、今となっては確かめようがない。だが、ダミデウスが
何しろヨルには若いダミデウスと酒を酌み交わした記憶があったのだ。それが先代の巫女の人間としての記憶なのか、『
「単に候補を殺すよりも、間違った器を握らせておく……気づいた時には選定の時間が残っていない。そうなれば、魂を受け継ぐことができない……」
「〈大地母竜〉の魂は失われる」
「なるほど、〈殺竜〉か」
ナザレは聞くに堪えない悪罵を吐いた。
六頭目の竜――〈大地母竜〉ヨルネル。共に酒を酌み交わし、自分の野心を語った相手だ。ヨルネルの方でも、亜竜に追われて真っ先に助けを求めるほど、ダミデウスを信頼していた。
しかし彼はその彼女をも
そしてそのために二人の幼い少女を利用した。
〈殺竜〉ダミデウスは必ずやり遂げる――国崩しの名に相応しい、冷酷で巧妙な一手。
『――残りたった五頭だ』
師の声を思い出す。その言葉通り、彼の打った鬼手は十三年前の帝都大火の日、すでに六頭目の竜を詰ませていたのだった。
「意味がないのは分かってるけど、師匠の代わりに、私が謝るよ。巻き込んでしまって、ごめんなさい。アンタたち二人の人生を滅茶苦茶にしたのは、私の師匠だ」
ネイは立ち止まり、ナザレに向かって頭を下げた。そうしてみて初めて、あの夜からずっと、自分がこうしたかったのだとわかった。ふり返ったナザレはそれに舌打ちで返した。
「馬鹿馬鹿しい。もう終わったことだ。死んだ人間の代わりにお前を痛めつけても仕方ない」
「ありがとう」
頭を上げたネイに、「気色悪い」ナザレはしかめ面で吐き捨てる。「それよりもお前は、どうするか考えるべきだろうが。お前がヨルと呼んでいるのは〈大地母竜〉の魂だ――お前はその男の始めたことをやり遂げるのか?」
六頭目、〈大地母竜〉ヨルネルを殺すこと――。
当然、ヨルをヨルで居させるために姉の身体を奪うというのなら容赦する気はない。ナザレは断固としてそう告げて、だからネイはまた同じ場所に戻ってきてしまう。
あの池のほとり。
頭の中のごちゃごちゃ。
――私は何がしたい?
ナザレは答えを待たずに歩き出し、ネイはまたしてもその問いを繰り延べにする。
「……そろそろだ」
ナザレの声に顔を上げれば、道の向こうにそれはあった。亜竜の発着のためのいくつもの円塔を備えた、巨大な石造りの建造物。水堀の向こうに立つ白い外壁が、ホーミダルの熱い陽射しをここまで照り返して目を焼いた。
ホーミダル大法院。
この国すべての信徒を束ねる巨大な建築からは、陽炎のように魔気が立ちのぼっていた。
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