25 約束と呪い

 並べられたグクマッツの「いつもの」は骨付き肋肉のステーキだった。焼きたての肉の表面では脂がまだ弾けている。鮮やかな黄色のソースがそこに絡まる。

 皿には加えて、ネイの見たことがないものが盛られていた。葉を敷いた上に丸く盛られているのは大量の細長い粒状の何かだ。小麦の粒にも似ているがうっすらと茶色がかり、湯気を立てている。ネイの視線に気づいたグクマッツが説明する。

「米でさァ――帝都のこの辺で育ててる穀物で、水を入れて炊くんです」

 彼はそれだけ言うと、我慢できなくなったように骨をつかみ、ステーキに食らいついた。ナザレやアイリーもさほど抵抗なく――さすがに手づかみではないが――食べはじめた。ネイもナイフで肉を切り分ける。断面から湯気が立つ。

 肉を口に運ぶ。焼きたては熱く、口の中ではふはふと転がす。

 それから噛む。パリッと焦げた表面を歯が突き破る。奥からあふれ出してくるこってりした脂にソースの酸味、香辛料の刺激が合っている。うまい。

 朝食には重いのではないかと思ったが、味付けによってそれを感じさせない工夫がされているようだ。さらにそこに麦酒を流し込めば、なるほど、グクマッツが「いつもの」と呼ぶわけがよくわかった。びりびりした刺激にぐっと背筋が伸びる。

 次は、と皿を見る。グクマッツが米と呼んだそれを、ネイは他の三人を真似ながらおそるおそる匙ですくい上げた。奇妙な穀物をまじまじと見つめたあと、思い切って口にする。

 噛む。味わったことのない食感。芯を感じる粒立った歯触りがいい。噛んでいくととほのかな甘みが出てくる。何か香りづけがされている――閃いて、肉を口にした。

 予想通り二つの調和は素晴らしかった。ひとつの皿の上に計算づくで配置された料理。これはたしかにパンではダメなのだと思った。ネイはジョッキを呷った。

「美味そうに食べるようになりましたねェ……」

 いつの間にかグクマッツがこちらを見ていた。口につけたジョッキ越しに、彼が笑みを浮かべているのが見えた。ネイはなんとなくバツが悪くなってジョッキを置いた。

「ダメかな」

「あっ、いえいえ。逆でさァ……」グクマッツは手を振って否定する。「なんでしょう、こう言っちゃまずいのかもしれねェけど、お嬢さんはあの頃よりもずっと幸せそうだ。ダミデウスの叔父貴にも、見せてやりたかったと」

「……師匠は私のこんな姿を見ても喜ばないよ」

「そんなことはねェでしょうや……」

 そう言いながらも、グクマッツは自分の言葉を信じていないように見えた。ネイと視線を合わせない彼の表情には後ろめたさが覗いていた。あの夜、銀河の下で彼が告げた事実が、彼にとってもまた尾を引いているのだとネイにはわかった。

「ネイ、お前」

 気まずい沈黙を破ったのはナザレだった。やや赤らんだ目がネイを見る。

「さっき門の前で何かを言いかけたな」

 やはり気づいていたのか。ネイはちらりとグクマッツを見る。

「そう、それだ。お前ら二人とも私に何を隠してる?」

「それは……」

 口ごもったネイにグクマッツが尋ねる。

「あたしが話しましょうか」

「いや、いいよ。私が話す。私が話すべきだ」

 ネイはそう言うと、「少しだけ待ってくれ。大法院に行きながら話そう」と提案する。ナザレはじっとこちらを見た後で、「いいだろう」と残りの食事に手をつけはじめた。

 全員が食事を終えると、四人は酒場の外に出た。会計はツケにしようとしたグクマッツの代わりにネイが出した。空を見上げると日は高くなってきており、薄暗い路地にも日がさしはじめていた。宿まで戻ると、各自着替えを済ませてしまう。

 ネイはいつもの旅装に、ナザレは例の革の飛行服だ。馬車に乗っている間じゅう磨いていた甲斐あって、こびりついた血はかなり綺麗になっていた。

「それじゃァ、あたしは知人に連絡を取りますんで。合流場所は……そうですねェ。ナザレお嬢さん、ちょっと来てくだせえ……」

 帝都の地理に明るくないネイに代わり、ナザレがグクマッツから詳細な予定を聞く。二人の会話をぼんやり眺めていると、ちょい、と裾が引っ張られる。アイリーだ。

「どうした?」

 もじゃもじゃ髪の少女はネイを見上げ、

「タニシャおねいちゃんと、ヨルおねいちゃん。たすけに行くんだよね」

「ああ。そうだよ」ネイは路地にしゃがみ込むと、アイリーの頭を撫でた。ん、と少女は目をつむる。「だけど、ごめん。アイリーは連れて行けないんだ。せっかくいっしょに助けに行くって言ってくれたのにな」

「知ってるもん。わたしじゃ、あ、足てまとい、だから……」

 そう言ってうつむくアイリー。ネイは彼女の頬に手を添えて、顔を上げさせる。うっすらと涙の浮かんだ目と向き合って、「そんなことはない」と首を振った。

「そんなことはないよ。アイリーは、自分が思っているよりもずっと強い力を持ってる」

 確信を持ってネイは言い切る。

「私は知ってるよ。だから――私たちのことを応援しててくれ。アイリーのお姉ちゃんは、私たちが必ず助け出すから。な?」

 すん、と鼻をすすったあと、少女は目元を袖で拭う。

 それから顔を上げた彼女の目は、血のつながりなどないはずなのに、タニシャのまなざしにそっくりだった。ネイは少女をまじまじと見返した。

「わかった。やくそくだよ」

「ああ……」

 とっさに小指を差し出そうとして、ネイは苦笑する。

『これは呪いをかける方法でしょ』

 それはまるで、はるか遠い出来事のように思えた。ダミデウスの墓前で絡めた小指――あの何気ない、馬鹿馬鹿しい呪いこそが、ネイをここまで連れてきた。

 だからあるいは、約束と呪いは、同じものだ。

 だったら、もういちど呪いをかけよう。

「うん。約束だ」

 小指の代わりにもう一度少女の頭を撫でる。

「そろそろ行くぞ」

 ナザレが声をかけてくる。返事をして歩きだそうとした時、もう一度裾を引かれる。

「どうした――」

「これ」

 差し出されたものを見て、ネイは言葉を失った。

「……必ず届けるよ」

「まったく。グズグズしてると思ったら。何しみったれてんだ」

 いつの間にかナザレが隣に立っていた。彼女はアイリーを見下ろして言う。

「おいガキ。私には何か言うことはないか?」

「ばか!」

「はあ?」

「ナザレはわるいやつだから行っちゃダメなのに」

「悪くないし、なんでそうなる」

「わるいやつだから……あぶないんだ。しんじゃうんだから!」

 アイリーが叫ぶ。

「死ぬ? 私が死ぬって?」

 ナザレは鼻を鳴らす。皮肉げな調子は変わらないが、その口元には珍しく笑みが浮かんでいた。彼女はぐい、とアイリーの方に顔を突き出す。必死で睨み返す少女。

「心配要らねえよ。私は死なない。私は不死身の女だからな」

「し、しんぱいしてない!」

「あっそう。行くぞ」

 そう言って歩いて行くナザレ。相変わらずどっちが子どもなのか分からない、と思いながらネイも彼女を追いかける。「ナザレのばか!」という少女の声が追ってきた。

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