24 密談
「こんな場所で作戦を練るのか?」
そう言うナザレの声には不平がありありと浮かんでいた。
「ナザレの嬢さん。帝都広しといえど、これほど密談に相応しい場所はありませんぜ」
「アンタが呑みたいだけだろ」
ネイは呆れて言った。馬車を宿に預けてからグクマッツが案内したのは酒場だった。彼ならば当然そうするに決まっているのだから、これはネイの失敗でもある。
「それもありまさァね――お姉さん、いつものォ四つ!」
「あいよ!」
気持ちよい返事で注文を受ける中年の女。グクマッツの行きつけらしい店内は朝からほとんど満席だ。卓に突っ伏している客が何人もいるのを見るに、昨晩から開いているのだろう。ぎりぎり卓上に顔が出るくらいのアイリーが、喧噪にきょろきょろと目を回している。
ネイはため息をつく。
「子どもがいるんだぞ」
「いえ、へへ……。こういう場所のほうが盗み聞きの心配がねェってことでして……」
「もういい」頭をかくグクマッツをナザレが手を振って制する。「まずはどうやって帝城に入るかだが、お前に案があると言ったな」
「へえ」
彼が
ヨルとタニシャは帝城に捕らえられている可能性が高い。
「ネイお嬢さんはご存じですが、あたしは商人以外にも色々とォ仕事を持ってまして……」
「盗っ人だろ」
ナザレが端的に言うと、グクマッツは頭をかく。
「そういう呼ばれ方をされることもありまさァ。にしても、よくお気づきで……」
「牢にいたと言っただろ。
「さすがは『敬虔』の兵士殿だ……悪いことはできやしませんね。まあ、そういうワケで、帝城のほうにも色々とツテがありましてね……へへへ」
「王さまに会ったことあるの?」
「やあ、それはありませんねェ……」
ナザレが身を乗り出し、グクマッツを指さした。アイリーに問う。
「こいつは悪い奴じゃないのか?」
「なんで?」
「盗っ人だぞ」
「ぬすっと?」
「ナザレ」
大人げなくアイリーに絡むナザレをネイはたしなめる。とっさに村で子どもたちと遊んでいたヨルの姿が連想されてしまい、打ち消すように話題を進める。
「案っていうのは?」
「ここんところ、〈燼灰〉の旦那の人間不信はますます異常になって来ているようで、亜竜は勿論、人間の兵士も滅多なことじゃ帝城に入らせないそうでさァ」
「だから警備が手薄だと? 甘いな。ルマンが手を回しているだろう」
ナザレが言う。
「そこで陽動ですよ――そんな状態で帝城に亜竜が突っ込んでくりゃ、〈燼灰〉の旦那が黙っているはずがねェ。自ら腰を上げることはせんでしょうが、警備の連中は全員すっ飛んで来るでしょうや。あっちには亜竜がいねェ。もちろん、ネイお嬢さんみたいな凄腕の竜狩りがいるはずもねェ。後はあたしの仲間が上手く事を運んでくれまさァ」
亜竜は一騎当千の戦力だ。
「その亜竜はどこから用意するんだ」
「勿論、ホーミダル大法院」
「馬鹿――」とナザレは言いかけ、「いや、そうか。奴は法院に戻っていない」
グクマッツが首肯する。門の前でネイが気づいたとおり、ルマンの報告を受けていない法院はナザレの裏切りを知らないのだ。
「『敬虔』の名前で法院から亜竜を連れ出す――できそうなの?」
すこし考えてから、ナザレは頷く。
「可能だ。
ナザレは首にかけた紐をたぐった。紐の先には小さな骨色の笛がかかっている。
『敬虔』の証でもある
「じゃあ決まりだ。その案で行こう。グクマッツの仲間っていうのは?」
「帝城と取引のある商人にちっと貸しがありまして。その荷台に乗せてもらいやしょう。荷物検査はあるでしょうが、その前に亜竜を突っ込ませりゃァいい」
非の打ち所のない作戦とは言いがたいが、十分に可能性はあると思われた。
ちょうどその時、注文が出てきた。先ほどの店員がジョッキを四つ食卓に置く。彼女は豪気な笑顔を客に向けて言う。「食事の方はもうちょっと待っててくれな」
「グクマッツ!」
ネイの叫びに、「へ?」と固まるグクマッツ。
「子どもがいるんだぞ」
陶器のジョッキになみなみと注がれているのは香ばしく泡だった麦酒だった。
グクマッツが「いつもの」と注文した時点で気づくべきだった。ネイは彼を叱りながら、店員に子ども用の飲み物を頼んだ。食卓に身を乗り出して麦酒に手を伸ばしていたアイリーからジョッキを奪い、グクマッツに押しつける。
「あう……」
「私のを飲んでみるか?」
「ナザレも!」
「チッ」
こっそりアイリーの好感を稼ごうとするナザレを叱る。ヨルとは別の意味で手のかかる三人だった。すぐに新しいジョッキが運ばれてくる。単なる果汁とは違うようだが、匂いは酒ではない。ジョッキと一緒に店員が運んできた座面の高い子ども用の椅子――帝都の店ではそういうものも用意しているらしい――に座って嬉しそうにしているアイリーに渡す。
「わあ……パチパチする……」
「どれ、私も」
「やだ」
特に乾杯などはなく、各々が自分のタイミングで口をつけた。グクマッツも両手に持ったジョッキに交互に口をつけるという馬鹿の飲み方をしている。ネイも麦酒に口をつけた。
以前グクマッツが庵に持ち込んだものを飲んで以来だが、悪くなかった。ほどよい苦みの中から香ばしさが立ちのぼってきて、胃の腑が熱くなってぐるぐると動きだした。
腹が減った、と思った。
強行軍で帝都までやって来る間は、干し肉なりチーズなり固いパンなりという簡素な食事だったが、それに自分が飽いていたことにネイは気づいた。まさか自分がそのような感覚を抱くようになるとは思っていなかったので、驚きと共にもう一口麦酒を含む。
舌を流れていく苦みに、ネイは食卓を思い返す。あの村で子どもたちと共に囲んだ食卓。タニシャが並べてくれたバラヌス料理――煮込みのスープに、姿焼き。そしてモツの思いがけない美味さ。臭みの中から旨味があふれてきた時の驚き。
もう一度あんな風に食事を囲みたいと強く思った。口を開く。
「じゃあ、後は二人の居場所だね。帝城だとどこが可能性が高い?」
「そうですねェ。人間を閉じ込めておくなら、十中八九、地下牢でしょうなァ」
「だろうな」
頬をかすかに赤くしたナザレが帝都住人として同意した。
二人の言うには、帝城内には人間が生活できるような場所が乏しいという。〈灰王〉ニスバルドをはじめとした王族すら、ふだんは城とは別棟の居館で暮らしているのだ。
そもそもが他国とは違い、ホーミダルの帝城は執政の場というよりも、狷介で癇症な君主を隔離しておく居城という性質が強い。つまるところ、異質な生活と巨大な体躯、猛々しい気性を持つ不老長命の君主の寝所である。人間が住みよい場所でないのは当然だった。
「だから地下牢ってこと?」
「へえ。ホーミダル側としては、旦那が戯れで罪人をいたぶり殺すまでは生かしておかなきゃならねェ訳ですから。ホーミダルの『
グクマッツは大げさに肩を抱えて見せるが、表情はあながちおどけとも思えない。
ネイは顔をしかめた。「嫌な話だな」
癲狂の君主の無聊を慰めるために、罪人が放り込まれる地下牢。そこにタニシャやヨルが繋がれていると思うと、気持ちだけが急いた。それに気づいてかグクマッツは続けた。
「狂っていようが、旦那は馬鹿じゃァない。ここぞという時に切るまで、手札を無駄にすることはないでしょうや。なんにせよ、あたしも地下牢の場所までは分かりません。そこはお二人になんとかして貰うしかねェかと」
「二人?」
てっきりグクマッツも来るものだと思っていたネイに、彼は首を振った。
「あたしは行けませんよ」
ほら、と言ってテーブルの向かいを見る。少女はジョッキを両手で抱えてその味を楽しんでいる。たしかにこの中の誰かがアイリーの面倒を見る必要があるだろう。
「まあ、二人で帝都観光でもしてまさァ」
そう言って彼はにっこり笑った。
「口の周りの泡がなければもう少し恰好がついたんだけど」
「面目ねェ」
わかっているのかいないのか怪しい返事だった。この男が七歳の少女を連れて歩くことを、はたして帝都の警邏兵は看過してくれるのだろうか。ネイは不安になる。
ともあれ大筋で作戦が固まったところで、食事が到着した。
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