21 同乗者

 幌馬車の荷台には、木箱や布袋入りの商品が乗せられている。商品といっても大半が食糧だ。荷を軽くするため商品を丸ごとネイが買い取り、不要な分は村に置いてきたからだ。

 奥の半分に積まれているのは馬用の飼い葉だ。辺境には集落が少なく、場合によっては一年後に訪れると放棄されていた、ということも少なくない。そのための予備として、グクマッツは村を訪れると必ず飼い葉を買い込むらしい。

 風体と言動の割には堅実な商売人だとかつては思ったものだが、人の寄りつかない庵に向かうためには、それだけの準備がいるのだと今ではわかる。今回は強行軍のため補給も出来ないので、グクマッツの習慣は都合が良かった。

 けして乗り心地がいいとは言えない荷台に腰掛けながら、ネイは向かいのナザレを見た。彼女は馬車の背後に流れていく景色をぼんやりと眺めている。

 村を出発してから一時間ほど。グクマッツによれば最低限の休憩で二晩という話だったが、それで儀式に間に合うのかはわからなかった。

 ――タニシャの処刑もだ。

 暗澹たる気持ちになるが、ネイはつとめて考えないようにする。

 横顔を眺めていると疑問が湧いてきた。

「ナザレ」

 彼女がこちらをふり返る。

「どうしてアンタじゃなくても平気だったんだ。巫女には適性が必要なんじゃないの」

 同い年の少女を集めて選抜までするくらいだ。器としての適性は重要に思えた。選ばれなかったシアが、半分とはいえ魂降たまおろしの儀式を成功させているのは腑に落ちなかった。

 唐突だな、とナザレは答えた。

「私にもわからん。お前のほうは巫女といて違和感はなかったのか」

 問い返されてネイは考え込んだ。最初に出会った時から順にヨルの言動を思い返す。

「そうだな……。おかしなヤツではあったけど、別に違和感は……」

 そこで当たり前のことに気がついた。

「いや、そうだ。アンタは知らないんだった。アイツは記憶を失っていた」

「記憶を? それは……シアとしての記憶だけじゃなくてか」

「うん。ヨルには〈大地母竜〉の神格としての記憶も、切れ切れにしかなかった。本人は儀式が中途半端だからだって言ってたけど」

「その可能性はあるだろうな。ふつうはすぐに大法院に運ばれて二回目の儀式が行われる。儀式が途中で中断させられたのはこれが初めてのはずだ」

「儀式が上手くいっていない可能性もあるよね」

「ああ」

「だとすれば、二回目の儀式の後も意識が残るってことは?」

 もし間に合わなくても。とネイは望みをかけて言ったが、ナザレの表情は険しいままだ。

「そう都合よく行くかは知らんが、どちらにせよ儀式が完成すれば姉さんは助けられない。魂が上書きされて消滅するか、偽物の巫女と知られて殺されるかだ。お前にとってはあの巫女が生きていればいいのかもしれないが、私にとってはそうじゃない」

 ザイルの家では『産む機械マテル・エクス・マキナ』の動揺もあって深く考えられなかったが、いま思えばナザレの反応が淡泊だったのも当然だ。彼女とネイでは、ひとりの人間を見ている角度が違う。頑なに「巫女」としか呼ばないのもそのためだろう。

「……わかったか? 最初に言ったとおりだ。私たちは法院から巫女を取り戻す、死なせないという一点では協力できる。だがそこから先は別だ。アレはお前の友人かもしれないが、私の姉じゃない。法院を裏切ろうが『敬虔』を裏切ろうが知ったことか。私は必ず姉さんを取り戻す。――シアーシャ・ハートレイクをな」

 ナザレの鋭い目は、そのためならお前も殺す、と言外に告げた。

 彼女はさらに続ける。

「お前の方はどうするんだ」

「私は……」

 言葉に詰まった。

 ヨルを取り戻す――だが、何のために?

 彼女の目的は最初から、法院で自分の記憶を取り戻すことだった。〈大地母竜〉の器として完成されること。それがナザレが言うように『産む機械マテル・エクス・マキナ』、非人間的な存在になることだとして、真実を知った上で、それでもいいと彼女が言ったら自分はどうするのか。

 そしてその後は――?

「助けたとして……」

 絞り出すようにしてネイは言った。

「どうやって〈大地母竜〉の魂と巫女とを切り離すんだ。アンタの姉さんを取り戻すためには、そうする必要があるんじゃないの」

 ナザレは「逃げるのか」と鼻を鳴らした。「私の邪魔はするなよ」

 彼女の言うとおり、ネイは答えを出すことから逃げた。こちらを見るナザレの目には失望めいた色があり、それが余計にネイを苛んだ。

「質問の答えだが、儀式はもう一つあるってことだ。老いた巫女から新しい巫女に魂を移す時には、当然、前の器から魂を切り離さなければならないはずだ。巫女を取り戻し、キレーネ山地の祭殿でそれを行えばいい。後のことは知らん」

 ナザレは率直だった。姉を取り戻すこと。それ以外のことはどうでもいいと。

「タニシャはどうなる?」

 問いが口をついた。自分でも、なぜ今それを訊いたのかわからなかった。

「あの『呪い憑き』か」

 ナザレのほうも同様らしく、眉を寄せつつ答えた。

「処刑のことを言っているなら、すぐではないはずだ。上層部の連中も巫女のことでゴタつくだろう。私たちも捕らえた『呪い憑き』がどうなるのか詳しく知ってるわけじゃないが、どうも処刑の前に色々と調べることがあるらしい。間に合うんじゃないのか」

 ガタ、と物音がして二人は同時にそちらを見た。

「なんだ」

「さあ。ネズミかな」

 荷台の奥に積まれた飼い葉の山からだった。二人が見つめる前で、山の一部が気まずそうに盛りあがって人型を作った。人型からはらはらと飼い葉が落ちると、少女が姿を現した。

 膨らんだ髪のあちこちに飼い葉を絡めておびえた顔をしているのは、

「アイリー」

「あわ……」

「なんだこのガキは?」

「グクマッツ! 馬車を止めて!」

 ネイは御者台に向かって怒鳴った。アイリーがびくっと肩を震わせた。間もなく馬車が止まり、グクマッツがドタドタと走ってきて荷台の後ろから顔を出した。

「どうしたお嬢さん方……って、なるほど。どうもねェ、ちいさなお嬢さん」

 グクマッツが小さく手を振るが、アイリーは余計におびえて奥に逃げてしまう。

「その反応だとアンタも知らなかったか」

「いやいや、そらあ勿論でさァ。司祭さんとこの孤児っ子ですよね。どうします。引き返しましょうかい?」

「ダメだ」ナザレが割って入る。「ここまで来て戻れるか」

 ナザレの言うことはもっともだ。馬車はすでにかなりの距離を走ってきている。ただでさえ間に合うかどうか分からないのだ。引き返せば大きなロスになってしまうだろう。

「だけど……ザイルが混乱するだろう。子どもたちも、急に一番上の姉がいなくなったばかりなんだ。そんな時にこの子までいなくなったら――」

 馬鹿馬鹿しい、とナザレは吐き捨てる。

「ガキ共なんて知ったことか。私とは関係ない。おい行商、馬車を出せ」

「御免だね」

「なんだと」

 いきり立つナザレに、グクマッツが目を細めた。そのような表情をすると、元の人相もあって、彼の顔はなかなか凶悪なものになる。

「あたしはネイお嬢さんに雇われてんだ。お前さんの命令を聞く謂われはねェよ」

「ハッ、だったら力ずくで聞かせてやろうか」

「おうおう、やれるもんならなァ」

 ネイが睨み合う二人を仲裁しようとしたところで、

「あの……」

 か細い声。アイリーだった。

 口を開きかける二人を仕草で制して、極力おびえさせないように近づく。

「アイリー、どうした? 聞かせてくれ」

「うんと、わたし、てがみ書いてきたの」

「手紙って……司祭さまにか?」

「うん。おねいちゃんたちといっしょに、タニシャおねいちゃんをたすけに行きますって。書いてきたの。だからへい気だよ」

 心なしか誇らしげに言うアイリーに、ネイたちは顔を見合わせた。どこからタニシャの話を聞きつけたのかはわからないが、ともかくそういうことらしい。ザイルもタニシャも、彼女への引っ込み思案という評価は見直すべきだろう。

「問題解決だな」

 まったく解決してはいないが、なぜか満足げに言うナザレ。

 グクマッツが肩をすくめた。

「お嬢さん、こりゃあ……」

「はあ。まあ……仕方ないね。グクマッツ、馬車を出してくれ」

「あいさ」

 グクマッツが御者台に走っていき、馬車はふたたび進みはじめた。

 アイリーは木箱にちょこんと座っている。

「手紙はよくやったな、ガキ。なかなか度胸がある」

 ナザレはそう言ってアイリーの頭に手を伸ばし、「やだ」拒絶される。

「なんでだ」

「タニシャおねいちゃんのこと、わるい名まえでよんだもん」

「悪い名前って『呪い憑き』か? それは事実だろうが」

「ネイおねいちゃんのこともいじめた」

「虐めたって何のことだ。……お前。さっきの話聞いてたのか」

 決然としたまなざしで頷くアイリー。たしかにずっと飼い葉の山にいたなら聞いていてもおかしくなかった。七歳児に細かい内容まで理解できたとは思えないが、タニシャの名前が出てきて思わず反応してしまったのだろう。

 それにしても、

「私、虐められていたのか……」

「お前もショック受けてるんじゃねえよ」

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