20 グクマッツ
ネイは継ぐべき言葉を失っていた。亜竜のことならよく知っていた。種類も、生態も、解剖も、攻撃手段もすべて熟知していた。殺し方なら知っていた。
だが、一度として考えたことがなかった。
亜竜はなぜ亜竜なのか。
なぜかれらは「出来損ない」の竜擬きなのか。なぜ繁殖が極端に難しく、一代かぎりの「不稔性」なのか。なのになぜ、法院は容易に亜竜を生み出せるのか。〈大地母竜〉という全生命の母たる存在を抱えながら、どうして法院は竜を新たに生み出さないのか。
いまナザレが口にしたことが、それらすべての答えだった。
護り継ぐためではない。数多の命をねじ曲げて自らの道具とするため、法院と〈
『そうすると、今の母はいなくなるということか? それはすこし嫌じゃな……』
ネイはヨルの言葉を思い出す。きっとそれは彼女の本音だ。
「ヨルはそれを知らない。だが、アイツはきっと嫌がると思う。自分が失われることも、その自分が、誰かのそれを奪った上で成り立っているってことも」
どんな者にだって、真実を知り、自分の前にある可能性を吟味する機会が与えられるべきなのだと、ネイは思った。たとえそれが苦痛に満ちた行為だとしても。
そして、
『ぬしは本当に嘘が嫌いじゃな』
そうヨルに叱責されないためには、今度は自分自身の口から、それを伝えるべきなのだと。
「そうか」
ナザレの浮かべた表情は複雑で、ネイは気づく。池のほとりで言葉を交わした時も、それどころかヨルを見る時にはずっと、彼女はその表情をしていたのだ。姉と同じ姿をしながらも、ネイがヨルと呼ぶ人格は彼女の姉のものではない。それがどのような感覚なのか、ネイには想像もできなかった。
ともかく、と仕切り直す。
「改めて私たちは協力できるとわかった。話してよかったでしょ」
「どうだかな」
ナザレの反応は淡泊だったが、それで十分だった。家の外に目をやれば、すでに日が落ちて暗くなっていた。
「そろそろ戻ってきてもいい頃だけど」
ザイルに何かあったのだろうか。ネイは窓の外を覗き込んだ。
「お前の知り合いってのはどういう奴だ」
「変なヤツだよ。まあでも、あれで筋金入りの商人なんだ。心配しなくても金さえ十分に払えば信頼できる相手だ」
「それは金で簡単に転ぶってことじゃないのか」
言われてみればそうだ。ネイはしばらく見ていない男の顔を思い浮かべた。
――転びそうな気もしてくる。
「借りが大きすぎて私を裏切るのは無理だと思う。小心者だし」
実際には借りがあるのはダミデウスに対してだが、彼にとってはほとんど同じことだ。そうこうしているうちに、「来たみたいだ」道の向こうから馬車の明かりが近づいてくる。
明かりは家の前に停まり、ほどなく扉が開いた。夜風が吹き込んでくる。
「懐かしいねェお嬢さん! 見ない間に大きくなって!」
開口一番に言い放った若い男は、ひょろひょろした体格に妙に洒落た服装で、商人よりも旅の楽士という風体だ。一方、顔の半分を覆う無精髭と一度も梳かしたことのなさそうなざんばら髪は山賊風。年齢も口調も服装も職業も、何もかもがチグハグなのがこの男だ。
「そっちは何も変わってないね、グクマッツ」ネイは顔をしかめる。「酒臭いのも相変わらずだ。呑んでて遅くなったな」
後から入ってきたザイルの呆れた表情が目に入った。庵に来るときも常に酔っていた、血が酒でできているような男だ。おおかた村の酒場で大酒を食らっていたのだろう。
「ワハハ。それは褒め言葉と受け取っておきまさァ」
「はあ。ここ二年くらいか、見なかったけど何してた」
「東の方でちょっとしくじっちまって、後ろォ半分は牢屋ん中でしたね。へへ」
グクマッツは商人であると同時に職業的な泥棒でもある。ダミデウスは稀覯本であれば盗品か否かを気にしなかったので、たぶん、庵の蔵書の五分の一くらいはグクマッツの「副業」によるものだった。それから彼は表情を真剣なものに変え、
「ダミデウスの叔父貴は残念でした。庵もあんなになっちまって」
「……行ったんだ」
まさか庵をそんなふうにした相手がすぐ隣にいるとは言えなかった。
「へえ。娑婆に出たら真っ先に」
そうか、とグクマッツの律儀さにネイは感謝の念を覚える。師のことを覚えている人間が自分以外にもいてくれたことに、くすぐったいような嬉しさを感じた。
「まあ、仕方ないよ」
「そう、すねえ……」グクマッツは懐かしむような表情を浮かべ、「あ。ちなみになかなか面白い本が手に入ったんで。これなんかどうです。『東部辺境ディストナ鉱山における鱗翅虫の開発暗化について』――ディストナのドヴェルグが書いたもんでさァ。叔父貴はともかく、お嬢さんはきっとお気に召すと思いますよ」
どこからか革張りの薄い本を取り出してくるグクマッツ。古い知人の死を悲しむ人間味と、いつでも商売に取りかかる商売っ気は、彼の中で分かちがたく混在している。
それにしても、
「開発暗化っていうのは?」
「それがですねェ……」
「お前らな」
手もみして商談に移ろうとするグクマッツと身を乗り出したネイの間にナザレが割り込んでくる。彼女の鋭い目つきに、へへへ、と頭をかいてグクマッツは本を引っ込めた。
「そんで、そこの司祭さんから聞きましたよ。ネイお嬢さんと……」
「ナザレ」
「ナザレお嬢さんのお二方で、帝都に行きたいって話でしたね。今すぐに」
「そうだ。出せるのか」
ナザレに問われたグクマッツがネイに視線を向けた。
急に卑屈な顔になって上目遣いを向けてくる男に、ネイはため息をついた。
「もちろん金は出すよ。明日までここにいたってどうせ飲んだくれるだけだろ」
「野盗とか……獣とかァ……」
「私たちが護衛もやるよ。もちろんタダでだ」
グクマッツが満面に薄汚い笑みを浮かべる。
「そうと決まりゃァ、出発しましょうや。お嬢さんがた準備はよろしいか?」
グクマッツは返事を聞かずにドタドタと丸太を降りていく。実際、夜を徹して帝都に向かえるというのは商売的にも悪くはないのだろうが、現金な男だった。
「私は先に行くぞ」
ナザレが出て行く。
「……迷惑をかけたな」
戸口に立った彼女が言い残した言葉に、残った二人は顔を見合わせた。ザイルが苦笑し、ネイがそれに肩をすくめて応える。どこまでも素直じゃないヤツだ。
「色々とありがとう」
「いえ。こちらこそ、娘がお世話になりました」
どんな思いで彼がそう言ったかは読み取れなかった。なんとなく気まずくなったネイは、じゃあ、と家を出た。階段を半分ほど降りたところで気配を感じてふり返った。部屋からさす明かりが逆光になり、ザイルの顔はよく見えなかった。しかし、目が合ったのがわかった。
だからネイは言った。
「私はタニシャを死なせたくない」
丸太の階段を駆け下りた。夜の空気は冷たかった。
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