22 銀河と物差し
道は山地を抜け出して荒野にさしかかる。
ネイは馬車の手綱を握りながらぼんやり夜空を眺めていた。深夜になってアイリーとナザレが寝ついたのを見計らい、グクマッツに御者の交代を申し出たのだ。ネイの提案に最初は遠慮していたグクマッツだが、今は隣で毛布にくるまって寝息を立てている。
ネイは目を細める。
夜空を大きく縦断して、白い光の帯が遠い山の端まで落ちていく。
法院の信徒はそれをアルカイッテの尾と呼ぶ。ドヴェルグの言葉では天の鉱脈、アールヴたちが銀河と名付けた光の帯の正体は、遠い空に浮かぶ星々の光の重なりだという。
一般に思われているように、あれらの星々は一箇所に集まっているのではない。お互いに遠かったり近かったりするいくつもの輝きが、こうして別の場所から眺めることで重なり合って、ひとつの巨大な光帯として目に映るのだ。
個々はちっぽけな星明かりも、幾重にも重ねれば天を圧倒する大河になる。ダミデウスの本にあったその事実を読んだとき、ネイは毎晩見上げていたそれが、それまでとはまったく別物に見えたのを覚えている。
幼いネイに世界の大きさと奇妙さを味わわせた光。
それをいま、あの庵からはるかに離れた場所で見上げている。
そう思うとなんだかくすぐったくなって、ネイは小さくくしゃみをした。
「……お嬢さん方も大変でさァね」
「ごめん、起こしたか」
「いえ。ぐっすり眠らせてもらいました」
グクマッツはもぞもぞと身を起こす。
「大変っていうのは?」
「どうもあたしの馬車はボロでね。荷台とは帆布一枚だ」
「そうか。そりゃあ聞こえてるよね」
へへ、と商人は頭をかく。
「ええと、言っちまったから白状しますけども、あたしも叔父貴から色々聞かされていたというか……その、あれこれと手伝っていたもんでして……」
「珍しく歯切れが悪いね」
「いやさ、寝起きでつい口が滑ったというか……」
参ったな、と言いながらグクマッツはちらりと後ろを窺った。「ああ」とネイは合点がいった。グクマッツが言ったとおり、荷台とは帆布一枚で隔てられているだけなのだった。
《これでいい? 私はアールヴ語でも構わないけど》
《あたしゃはこっちゃのほうが得意なんでえね、助かりまさあね》
東部ドヴェルグ語なら聞き耳の心配はないだろう。
《ずいぶん訛りがあるね。前もそんなふうだっけ?》
グクマッツは共通語でもうろんな喋り方をするのでさほど違和感がないが、それでも以前はこれほど訛っていなかったように思った。彼は《ああ》と笑った。
《同じい檻ん連中が坑道訛りでえして、だいぶん移ったかもしれえね。なかなか、自分では気づきよらんもんでな。お嬢は綺麗に喋りいよる》
鉱山に住み着いたドヴェルグは数年から十数年単位で地下から戻ってこないことがあり、場所によって発音が変化していくらしい。音が反響する地下坑道に適応しているのだという説を読んだことがあるが、実際のところはネイにもわからない。
《本と師匠から習っただけだからね。形だけは立派だよ。でも、アンタみたいなほうがいい――なんというか、生きてる言葉って感じがする》
《ほですかねえ》
《うん》
ネイは強く頷いた。
学ぶことはすばらしい。
銀河という名をネイに教えたあの本のように、世界を測るための物差しはそこでしか手に入らない。それは圧延された銀で作られていて、まばゆく、とてもとても美しい。
けれど、今のネイにはその美しさだけでは足りなかった。その物差しを手にとって銀河に当ててみたくなった。タニシャの料理だっていい。あのトカゲだって、それに……
見上げれば星々が、満天の大河となって流れゆく。
《お嬢?》
《ああ。ごめん》
ネイは今、世界を自分の手で測ってみたかった。
測るべきものを見つけたかった。
《それで、話っていうのは?》
だからそう尋ねた。
新しい物差しで自らの心を測るために。
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