18 その理由

 それから二人は村へ向かった。『敬虔』の兵士と山育ちの竜狩り。体力には自信のある二人も死にたてでの山道はさすがに厳しく、村に着いた頃には日が傾きはじめていた。

 死者が竜屋ねぐらの扉を叩いた時のザイルの顔色はなかなかの見物だった。

「とにかく、ここではまずい」辺りを警戒しながらザイルは言った。「私の家に」

 案内されたのは高床の小さな家だった。ザイルらしく司祭の住居というには質素なたたずまいで、二人は彼に急かされて丸太の階段を登った。

「……なぜ、というのは一旦置いておきましょうか」

 後ろ手で扉を閉めながらザイルが言った。

「ナザレさん、あなたは奥の部屋で着替えを。その格好では目立ちすぎます。司祭服以外なら好きな物を取っていただいて構いません。ネイさんも着替えが要りますか?」

 ネイは自分の格好を見下ろす。池に飛び込んだりナザレと交戦したりで汚れてはいるが、元から頑丈な旅装であるためさほど気にならない。背の高いネイでは、すぐに大きさの合う着替えを調達するのも難しそうに思えた。

「ありがとう。だいぶ薄汚れたけど、このくらいなら問題ないかな」

 ザイルが席を勧め、ネイは食卓についた。奥に行きがけにナザレが言った。

「だから洗っても無駄だと言ったんだ」

「洗わなかったらここまで来れなかったよ。あの格好で入っていいのは墓場ぐらいだ」

 扉が乱暴な音を立てて閉じた。ナザレの飛行服は、先を急ぐ彼女にネイが無理を言って、池で洗わせてきたのだ。

「……聞きたいことはありますが、そうすべきなのかわかりません。正直に言って私は、あなたたちについて知ることで、子どもたちやこの村に火の粉がかかるのが恐ろしい」

 壮年の男は受けた毒息ヴェノムのせいもあってか憔悴が激しく、一気に十も歳をとったように見えた。語尾が濁ったのは、タニシャのことが気がかりだからだろう。

「なら聞かなくていい。あの後何があったのか教えて。それからこっちの用件を言うよ」

 わかりました、と口を開いたザイルの話をかいつまむと、こういうことだ。

 ネイの昏倒後、ルマンは他の者たちを解毒したが、ザイルが目覚めた時にはネイはすでに死んでいるように見えた。それからルマンはもう一頭の亜竜――トロットリードを呼んでタニシャとヨルを乗せた。ルマンの亜竜に同乗したザイルは村はずれで下ろされ、ルマンは亜竜たちを連れて帝都の方角へ飛び去った。

 ネイの殺害については、ヨルが逃げるのを手引きしたからだとルマンは説明していたが、それまでの経緯からザイルは彼の言葉を信じていなかった。

 おおむね思った通りだと言えた。毒の効かなかったタニシャがルマンに殺されかけるほど抗議したことと、それを叱責したのがヨルだったことだけが、ネイの予測とは違った。

「彼女は司祭である私よりもよほど、法院の掟に厳格でした。恥じ入るばかりだ」

 自分の娘が『呪い憑き』であると気づきながら沈黙していたことを、ザイルは心から恥じているようだった。大法院との間にわだかまりがあるにせよ、彼が法院の信仰に帰依していることは本当なのだ。でなければ魔術を使えるはずがなかった。

「あの女、私たちのことは何か言っていたか」

 声に顔を上げると、ナザレが部屋から出てきたところだった。ザイルの服に着替えている。法院の巡礼者が着るようなフードの付いた簡素な旅装で、実際にザイルはそのような用途で使っているのだろう。ザイルが痩身のためか大きさはちょうどいい。

「いえ、何も。正直……」ザイルは言いながらネイを窺った。「目の前で友人が死んだというには反応が薄かった。いま思えば、こうなると知っていたからでしょうが」

 ネイは肩をすくめて応えながら、ナザレに視線を向けた。自分が生きている理由を説明するつもりはなさそうだった。ネイの方もそのつもりはなかったが、いずれにせよ、ザイルが言うように、二人が生き延びた方法をヨルが知っていたことはあり得なかった。

 ザイルが見たヨルの態度は、単に彼女が人の死に動揺しない人間だというだけの話だ。

 あるいは、人間ではないから。

「それで。本題は話したのか」

 ネイがかぶりを振ると、「グズが」ナザレは舌打ちをした。

「司祭、私たちには足が要る。馬でいい。貸せ」

「あの男を追いかけるのですか」

「当然だ」

「ですがヨルさんの目的地は大法院でしょう。彼は『敬虔』の兵士だ。彼に預けるのが確実では? あんなことになったにせよ、元々、ネイさんもそうするつもりだったようですし」

 ザイルはネイにも視線を向けた。彼の目には疑いというより困惑の色があった。法院側であるはずのルマンがネイとナザレを殺してヨルを奪取するという凶行に出たのだ。彼にも状況が測りかねているのだとわかった。実際、ネイにとっても同じだった。

「時間がない。いいから馬を貸せ」

「ナザレ」

「残念ですが私が貸せる馬はいません」

「クソ。おい、他の方法を探すぞ」

 ナザレは家から出て行こうとする。ネイが止めに入ろうとしたところでザイルが言った。

「しかし、ちょうど村に行商の方が来ています。明日の朝早くにホーミダルに向けて発つとおっしゃっていたはずです。お二人が良ければ、私から口を利くことができますが」

「だったらそいつを脅して今すぐ馬を出させるだけだ」

 池のほとりでもそうだったが、ナザレの性急さは異常だった。彼女が焦っているのはこちらに話していない何かがあるからで、ザイルの回りくどい言い方は、ネイと同じくそれを聞き出そうとしているからだろう。

「ちょっと落ち着きなよ」

 ネイはナザレにそう声をかけ、ザイルに尋ねた。思いつくことがあったのだ。

「その行商人の名前はなんていうの」

「たしか、グクマッツと……」

「よし! やっぱりそうだ。ナザレ、その行商は私の知り合いだ。私が頼めばたぶん、今すぐにでも帝都に出発できると思う」

 ネイは懐かしい男の顔を思い浮かべる。生きていたか。

「だったら、」

 目に見えて苛立つナザレをネイは遮る。

「――私もザイルと同じことが知りたい。私がヨルから聞かされていた話からすれば、ヨルを大法院に連れて行くのはルマンだって構わないはずだ。それにアンタはアイツに『裏切った』と言われていた。『敬虔』のアンタがどんな理由で法院を裏切った?」

「自分を殺した相手の言葉を信じるのか」

 吐き捨てるように言うナザレ。

「これから殺す相手にわざわざ嘘をつくヤツはいないよ」

「お前が頼まなくとも、私がその商人を脅せばいいだけだ」

「こっちは二人とも魔術が使える」

「脅しか」

 亜竜を失ったナザレに強引な手は使えない。彼女は追い詰められた獣の表情になった。

「何を信じるべきなのか、話を聞きたいだけ。一応アンタは、私たちを殺そうとした相手だからね」

「それはこっちも同じだ。話したところで敵になるんなら同じだろうが」

「そうはならない。これまで私の目的は、ヨルを大法院に連れて行くことだった。ヨルに頼まれたからだ。私たちは……約束をした」

 言いながらネイはなぜか胸がうずくのを感じた。

「でも、ヨルは行った。タニシャだって、自ら望んで亜竜の背に乗った。だからもう、私がホーミダルに行く理由はどこにもない」

 そうだった。池のほとりで選べなかったのはそのせいだ。あの日ダミデウスの墓前でヨルと交わした約束はもう、達成されてしまっていた。ヨルを大法院まで連れて行く。その時、隣にいるのが自分である必要はないのだと、ネイは気づいてしまった。

「だからアンタを手伝いたい。聞かせてよ」

「馬鹿馬鹿しい」

 頑なに口を閉ざすナザレに、ネイは一歩踏み込む。それは目を覚ましてからずっと疑っていたことだった。

「――アンタはなんでそんなにヨルに似てる?」

 仮面がひび割れたように、ナザレの目に動揺が走った。

「やっぱりそうか」

 短く切った褐色の髪はよく見れば根元が黒く、染髪しているとわかる。汚れを洗い落とした肌は透けるように白く、違うのは目の色だけ。何よりも鼻梁と口元に面影がある。気づいてみれば、ふと視線の焦点をずらすとヨルが二重写しになるほど、二人はよく似ている。

 ヨルと話していた時のナザレの奇妙な態度も傍証になった。

 ネイは自分の見立てが正しかったことに満足して、深く頷いた。

「双子、なんだな」

 ナザレは眉をひそめた。

「ただの姉妹だが……」

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