15 ネイとヨル
硬い物に手が触れた。振り絞った力でタニシャを岸に押し上げた。
「……か、ハッ」
「おぬしら!」
ヨルが駆け寄ってきて、ネイの身体を引き上げた。
「また、……はァ、ずぶ濡れだ……」
「ふざけとる場合か! 死ぬところじゃぞ!」
ネイが咳き込みながらふり返ると、上空でホバリングしながらこちらを睨むワイバーンの姿があった。絶好の機会に
「ネイさん、掴まってください。どうぞ」
「ありがとう……大丈夫。ごめん」
ネイはタニシャの肩を借りてなんとか立ち上がった。
「……失敗した。
「だが、母がいるかぎりあちらも下手に攻撃はできん。膠着じゃな」
まただ、と思うが、一人称を訂正しようにも息が続かなかった。タニシャの前で大っぴらに指摘するわけにもいかない。
ともあれ、ヨルの言うとおりの膠着状態だ。あちらから見れば、ヨルを傷つけずに他二人を殺すのは難しい。しかしこちらも、空中のワイバーンを攻撃する術はないに等しい。
「さっきみたいな武器はないんですか? 弓矢みたいなものとか――わたしが持ってきていればよかったんですが……」
「同じことだよ。弓矢で
「ああ……」
「その腰にぶら下げているのはどうなんじゃ」
ネイの腰の得物を指してヨルが言う。
「投げたってあそこまでは届かないよ」
「埒が明かんのう。魔素を切らして降りてくるのを待つか?」
ネイは首を振る。飛竜は飛行補助に魔術を使うが、そのための消費は微々たるものだ。いっそ逃げてしまいたかったが、そうすれば今後も追われ続けることになる。タニシャは顔を知られているし、ネイたちの行き先を聞き出すために村が襲われる可能性も考えられた。
「なあ、アンタ!」だからネイは叫んだ。「降りてきて話をしよう!」
お互いに同じ考えだったのか、間を置いて、ワイバーンはゆっくりと降下してきた。
今度は池の中ではなく崩れた崖の上に降りる。瓦礫の上でワイバーンは翼を畳むと、こちらに首を伸ばした。両翼の付け根に鞍が括られており、乗り手はそこにまたがっている。
「私はネイだ。アンタはなんでヨルを追ってる?」
「ヨル?」乗り手は鼻を鳴らし、「巫女のことか」と言った。
「随分仲がいいらしい」
「そうでもないよ」
「えっ、なんでじゃ? 仲いいじゃろ」
ネイはヨルを無視して続ける。
「それで目的は。場合によっては交渉の余地もあるはずだ」
「なら黙って巫女を渡せ。殺さないでやる」
「それは交渉の余地がないって言うんじゃないの」
「あると言った覚えはない」
ネイは内心ため息をつく。コイツ、ぜんぜん話をする気がない。
「それで頷くなら最初から渡してるでしょ。アンタの目的を聞けば、そういう乱暴な解決をしなくて済むかもしれないってことだよ。殺す、殺されるじゃなくてさ」
「ハッ。甘い女だな」
乗り手の声は取り付く島もなく、しかも微妙にかみ合っていない。
ため息をつき、
「なんとかのホンカケーキだな」「チャムチダじゃ」「それそれ」
ヨルと小声で話していると、ネイはなんとなく気の抜けた気分になってきた。当然だが、乗り手の女は苛立っているようで、「お前」と噛みついてくる。
「さっきも私を殺せたのにそうしなかったな。慈悲のつもりか?」
「アンタもヨルを殺さないようにしてたよね。それは慈悲じゃないって?」
「馬鹿馬鹿しい」吐き捨てるように言う。「殺せば連れ帰る意味がないだけだ」
なるほど。ネイは隣のタニシャを盗み見た。
その一瞬の間にヨルが進み出てきた。
「ネイ、もういい。こやつとは交渉の余地はないようじゃ」
いつもの仁王立ちをすると、乗り手に向かって啖呵を切った。
「だいいちおぬしな。こちらにだけ名乗らせておいて、自分は名前のひとつも言わんとは、無礼じゃと思わんのか!」
「そこですか?」
「大事じゃろが」
思わず声を上げたタニシャに、ヨルは真顔で返した。
それを言えばヨルもタニシャも名乗ってはいないが。ネイが呆れながら啖呵を受けた側を見ると、乗り手の反応は奇妙だった。兜と覆面で表情は読めないが、動揺して見える。
「……ナザレ」
ぼそりと答えた言葉に冷淡さはなく、ひび割れた仮面から素顔が覗いたようだった。先ほどの返答と合わせると、ネイは彼女に対する予測が芽生えるのを感じた。
「よし、よく言った、ナザレとやら。ではこちらも名乗ろう。ほれ」
「え……あ、タニシャです」
勢いに負けて名乗らされるタニシャ。
「よし。そして母こそが一切衆生の母、」
「おい!」
ヨルのほうが一瞬早かった。
「――〈大地母竜〉ヨルネルじゃ」
「え?」
隣の女の名乗りに目を丸くするタニシャ。ネイは素早く考えをめぐらせる。
否定する――ここで必死に否定しても信憑性を増すだけだ。
沈黙する――わざわざここで嘘をつく意味がないと考えるだろう。
タニシャはナザレと名乗った女がヨルのことを「巫女」と呼ぶのを聞いている。ここまでの奇妙な言動も目にしてきている。なぜ彼女が追われているのか、その答えとして、ヨルが〈大地母竜〉ヨルネルの魂を宿した器であるというのは、大きすぎる飛躍ではないだろう。
しかし、そんなこととは関係なく、彼女はヨルの言葉を信じるだろう。タニシャはそういう人間だ。だからこそネイは沸き上がる怒りに身を任せた。
「なんでだ! なんでタニシャを巻き込んだ!」
ヨルはきょとんとした顔でこちらを見返す。
「もう巻き込まれておるじゃろ」
ヨルの言い分にも一理はある。この場に居合わせてしまった以上、今さら無関係だと言い張るにも無理がある。だがそれでも、知らないままでいたほうがいいことがあるはずだ。
――それを私に教えたのはアンタじゃないのか、ヨル。
ネイはそう口にしかけて、「それに」と続いたヨルの言葉に耳を疑った。
「どのみち『呪い憑き』は処刑されるんじゃろ。何を聞かれても問題なかろう」
手のひらが熱くなった。
「ネイさん!」
タニシャの声で、ネイは自分がしたことに気づいた。ヨルは片手で頬を押さえていた。ネイは痛む手をのろのろと下げた。二人は一瞬、呆然と見つめ合った。
「タニシャ!」
不意の声に全員がふり返った。
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