8 『呪い憑き』

「あの子たちは捨て子なんです」子どもたちを眺めながらザイルが言った。

「この村は貧しそうに見えなかったけど」

 辺境の村だ。豊かとまでは言えないだろうが、畑も家畜も十分で、村人たちの様子は穏やかだった。ネイの疑問に、「村の外からです」とザイルは言った。

「おそらく、彼らが双子だからでしょう」

「双子だから? ただ見た目が同じってだけだよね」

「誰もがネイさんと同じ考えであればよいのですが。……『呪い憑き』をご存じでしょう?」

 ネイは頷く。かつて竜と争った巨人たちは、滅亡間際、人間たちに「呪い」をかけた。その呪いによって、人間の中からはごく稀に、巨人の邪悪な意志を継いだ『呪い憑き』が生まれるようになった。法院が公に認める「異端」の中で唯一、例外なしの極刑が定められている者たち。法院の魔術を打ち消し、呪いの力を振るう大敵だった。

「ホーミダルの一部では、双子には呪いが憑きやすいと言われるのですよ」

「……まさか。ここ百年以上、『呪い憑き』は見つかっていないって話だよね」

 法院の歴史上最後に現れた『呪い憑き』は、一組の竜と〈騎手ライダー〉の犠牲と引き替えに討たれたが、それまでに千の亜竜と万の歩兵を殺戮したとされる。実際には百年前が最後ではないことをネイは知っていたが、口にはしなかった。

 ヨルと遊ぶ少年たちを見る。魔気ひとつ感じないただの「双子」だ。

「ええ、勿論なんの根拠もない迷信です。しかし、彼らの親にとっては違ったのでしょう。ここの子たちはだいたい似たような境遇です。みな、夜のうちに村の外れに捨てられていた。それも、私がこうして子どもたちを引き受けているせいかもしれませんが」

 ザイルは自嘲気味に微笑んだ。

「アンタがそうしなければみんな死んでたってことだ。アンタがアイツらを救ったんだ」

「そうであればよいのですが」

「そうだよ」ネイは力を込めて頷いた。「私も孤児だから。わかるよ」

「……そうでしたか」

 ふたたびヨルと少年たちに目を移すザイルの横顔にネイは尋ねた。

「タニシャのこと?」

「えっ」

「違うなら、さっきのもじゃ髪の子かな。アイリーだっけ?」

「いえ、違いませんが……ああ」

 ザイルははっとした顔になり、それでさらにネイの言葉を肯定してしまう。

「孤児院っていうのは普通、成人したら出て行くものだよね」

 タニシャの年齢を知った時から奇妙に思っていた。子どもたちの中で彼女だけが成人で、歳も大きく離れていたからだ。何かあると思った。

「それに、さっきアンタは『ここの子たちはだいたい似たような境遇』だって言った。だからタニシャは例外なんだろうと思ったんだ。捨て子じゃないってこと?」

 感じた違和感はそれだけではなかったが、口には出さないでおく。

「そこまでお気づきでしたか。……ええ、そうですね。孤児であることは変わりませんが、彼女は捨て子ではありません。元々、この村の子だったんですよ」

「親が死んだ?」

「正確に言うと……殺されました」

「それはタニシャには言えない理由なんだ」

「ええ……」

 ネイが沈黙を保っていると、ザイルは観念したように話しはじめた。

「ことの起こりは、ホーミダルの晩秋市でした」

 ホーミダル大法院には、亜竜の買い付けのために大陸じゅうから商人がやってくる。

 取引されるのは主に四足無翼のドレイク科。馬より速く頑健で、馬力があり、魔力を持つ生き物ゆえ粗食にも耐える。何より単騎で数人の護衛に匹敵する亜竜は、〈騎手ライダー〉の庇護を離れて危険な獣や人間のうろつく辺境地帯をゆく商人や旅人によく売れた。

 個人だけではない。〈騎手ライダー〉の目を逃れて戦力を蓄える辺境領邦や大貴族たちは、ホーミダルの精強なドレイクをこぞって求めた。ワイバーンのような有翼の科や危険なバジリスク科などは法院によって売買が禁じられているが、ドレイクはそこに抵触しないからだ。

 したがって、秋の三日だけ立つ亜竜の競り市は帝都を挙げた祭りの様相を呈する。その活況は凄まじく、『人竜大戦』の勝利を祝う〈北鎮祭〉を除けば他にないと言われるほどだ。大法院の司祭候補生であったザイルとタニシャの父もその例に漏れず、街にくり出した。

 二人の目的は、晩秋市に「有り有り」のドレイクが出品される噂をたしかめることだった。

 つまり、「毒牙ヴェノム有り」「息吹ブレス有り」。

 本来なら法院が許すはずもない取引だが、特定の司祭に喜捨という名目の金を積めばそんな有毒や有息ゆうそく個体が手に入るというのだ。法院内の厳格な管理体制を知る二人にとっては眉唾話だったが、若い好奇心をくすぐるには十分だった。彼らは競り市を探し歩いた。

「そこで出会ったのがタニシャの母です。タニシャと同じ赤毛の女性でした」

 ザイルは目を細めて遠い風景を見つめる。

「彼女の目的も私たちと同じでした。ただし、私たちよりもずっと確信がある様子でね。お父上はリッツガドルの大商会の主で、だから聞かされていたのだと言いました。なんでもアールヴの手による書物に書かれていたのだと」

「隔世遺伝」

「なんと?」

「いや……なんでもないよ。続けて」

 ネイが言うと、ザイルは照れたように苦笑した。あとは簡単なことです、と言う。

「二人はやがて、劇的な恋に落ちた。その末にタニシャが生まれた。法院の掟に従って――『耕せど蒔くなかれ』――タニシャの父は信仰の道を捨て、母親はそんな男を許さなかった家を捨てた。そうしてこの村に駆け落ちたというわけです」

 法院は司祭に婚姻は許すが、子を持つことを許していない。産み育むことは〈大地母竜〉の権能であるから、というのが彼らの言い分だった。

「それはタニシャの両親が死んだ説明にはなってないよね」

「亜竜についてはお詳しいようでしたから、お分かりになるのでは?」

 ザイルは肩をすくめ、ネイは考え込んだ。

 子は親に似る。強い親の子は強く、速い親の子は速く生まれる。

 この経験的事実をアールヴの研究者は「遺伝」と呼ぶ。特定の性質を持った亜竜を番わせていくと、遺伝によって子孫ではその性質がより濃くなる。法院はそうして望みの特徴を持った亜竜を作りだしてきたという。毒牙ヴェノム息吹ブレスを無くして扱いやすくするのもその一環だ。

 しかし時折、子孫が世代を超えて元の性質を取り戻すことがある。

 アールヴが「隔世遺伝」と名付けたこの現象は、ひとつの事実を示す。「有り有り」の個体――それも一般に流通するドレイクと同じ属、同じ外見でありながら、単騎で一個中隊を壊滅させる危険な存在が生まれうること。

 であるならば。

「見つけたんだな」

「ええ。私たちが市を去った後も、彼女は探し続けていたんです」

「それでその司祭っていうのが?」

 ザイルは首を振った。

「わかりません。ですがある朝、タニシャの両親は彼女の前から消えていた。彼女はまだ一歳だった――それからはここで暮らしています。彼女は幸せですよ」

 ネイはザイルの目を正面から見つめ、壮年の司祭はこれまでのやりとりでネイにもすっかりおなじみになった微笑でそれを受け止めた。

 短くて長い、息苦しい沈黙。ネイはため息をついて両手を挙げた。

「心配しなくても、タニシャには何も言わないよ。アンタが言ったことも、言わなかったことも。私たちはたまたまここに立ち寄っただけの旅人だ。タニシャは勘違いしてるけど、私は法院の人間じゃない。だからアンタたちの事情に深入りするつもりもない」

 ネイがザイルに探りを入れてみたのは、タニシャへの好意とちょっとした好奇心からだ。しかしどうやら蛇の巣をつついて竜を出してしまったらしい。

 法院の司祭は例外なく魔術の使い手だ。法院の充実した魔術教育と揺るぎない竜信仰に由来する力は、半端な亜竜の乗り手などでは足元にも及ばない。

 ましてここは彼の竜屋ねぐらなのだ。

「……そうしていただけるとありがたい」

 ザイルから発されていた魔気がこれ見よがしに弱くなった。

「信用してくれるんだ」

「ええ。どうやらあなたは嘘がつけない人のようですから」

 ネイが『私は法院の人間じゃない』と言ったのを指してだろう。その言葉はヨルが法院の人間であることを否定しないから、嘘をついたことにはならない。タニシャと出会った時と同じやり方をザイルのほうは見抜いていた。

「それはアンタ自身が嘘つきだから?」

「嘘をつかないことと真実を話すことは異なるとは思っています」

「なんじゃおぬしら。コソコソと話しおって」

 皮肉の応酬はヨルの言葉に中断させられる。後ろには少年二人の姿もある。

「ネイさんに私の昔語りにお付き合いいただいていたんですよ。最近ではタニシャもなかなか付き合ってくれませんのでね。これがどうして、お聞き苦しいとは思いながらも話し出すと止まらないものです。面目ありません」

「そうじゃったか。ワシの昔話も聞かせるべきかのう」

 ヨルはヘラヘラと言った。ザイルが発していた魔気には気づけたはずだが、この女のことだから素で言っていてもおかしくないし、どこまで分かっているのかが分からない。

 どちらにせよ、余計なことは言わせないほうが無難だろう。

「アンタのはいいよ」

「ふむ」

 ザイルは司祭であり、大法院までの道中に協力を求めるには最良の相手だ。亜竜は法院の竜屋ねぐらを襲えないので隠れ家にはもってこいだし、ザイル自身も魔術の使い手だ。信仰対象であるヨルネルの頼みを断るとも思えなかった。

 だが今ではそれも不可能になった。ザイルの昔語りがどこまで真実であるにしろ、彼と法院との確執は明白だ。司祭の地位を失っていないのだから、法院全体と敵対してはいないのだろうが、ヨルの正体を明かした時に彼がどのような態度に出るかは予測ができなかった。

「おばあちゃん。食堂に行くんでしょ」

「おお、そうじゃったな。行こうか」

 レニーかリニーか、双子の一方がヨルに声をかけた。彼らの間ではそういう話になったようだ。ヨルは彼に手を取られて部屋を出て行った。

「たしかにそろそろ時間だ。私たちも行きましょう」

 それにしても、

「おばあちゃんね」

「そうだよ。ヨルはシタルのおばあちゃんみたいな喋り方するから。面白いよね!」

 もう一方の少年が教えてくれる。

「たしかにそうだな。おばあちゃんだ」

「失礼な話が聞こえておるぞ」

 ヨルの台詞に少年たちが笑った。ザイルも穏やかに微笑んでいる。

 ネイは先を歩くヨルの背中を見る。背丈は隣の少年たちよりせいぜい頭ひとつ高いくらいで、青みがかった長い髪は、子どもたちと遊んでいたせいかあちこちがぴんぴんと跳ねている。並んでいれば数歳離れた彼らの姉にしか見えなかった。

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