7 竜屋(ねぐら)
近くの浅瀬を渡って弓矢を回収した。木立のすぐ奥には背負い紐のついた編みかごがあり、中には山菜や茸がずっしりと入っていた。
「川べりまで来たし、ちょうど休憩しようかなと思っていたところだったんです」
「ごめん……」
「あっ」
バラヌス獲りついでの山菜採り。この姿を最初から見ていればと思ったが、今となっては手遅れだ――どのみち、それでネイが警戒を解くことはなかっただろう。タニシャは申し訳なさそうにしているが、ネイにはどう応じるべきか分からなかった。
「のうタニシャ!」
いつの間にかタニシャの背後に回っていたヨルが、かごの中を覗いて声を上げた。
「これも本物が食えるのか!」
タニシャの顔がほころび、ヨルをふり返る。
「そうです。本物ですよー」
「おおー。楽しみじゃのう! はよう行くぞっ」
「走ったら危ないですよ!」
タニシャがヨルを追いかける。第一印象から切り替えたのか、彼女もヨルに慣れてきたようだった。ヨルは正体さえ知らなければ、単なる食い意地の張った大きな子どもでしかないので、孤児の世話に慣れた彼女にとってはお手の物だろう。
肩の荷が下りた気分でネイは二人を追った。
川沿いにしばらく下ると、遠目に村が見えてきた。周囲には獣対策の柵が立てられ、内側には畑が作られている。道端には草を食む家畜の姿もあったが、ネイは名前を知らなかった。
通りすがる村人に挨拶をしつつ、タニシャは村に入っていく。
ネイは彼女に着いて歩きながら、村の様子を眺めた。木造の家が並んでいる。ダミデウスの庵と違ってどれも高床の造りをしているのは、山裾にあたるこちらでは湿気が多いからだろうか。床下を子どもや名前の分からない鳥が走り回っている。あちこちで炊事の煙が立ち、鍋が煮立つ匂いや、パンの焼ける匂いがただよってくる。
村の中心には大きな建物があった。周囲と違って高床ではなく、壁も土を固めた頑丈な造りだ。その様子とうっすら漂う魔気からしてネイはそれが
自らの尾を噛む竜。タニシャは戸口に立って、嬉しそうにそれを示した。
「着きましたよ。ここがわたしたちの
「腹が減った!」
ヨルが叫んだ。ネイは隣の女を見る。法院の連中はこの〈大地母竜〉を見て紋章を作ったのではないだろうか。たしかに自分の尾を食べるくらいならしかねない。
「そうですね。急いで作りますよ、本物の料理を」
「本物の料理じゃぞ!」
二人のやりとりに釈然としないものを感じつつも、ネイは
途端に、「タニシャ姉ちゃん!」「おねいちゃ!」「タあっ」次々にしゃべる塊がすっ飛んできた。そのうち一個が自分のほうにやって来たので、ネイは仕方なく受け止めた。
鳩尾にぶつかったそれはやわらかくて熱く、見下ろすと目が合った。もじゃもじゃ髪の少女だ。ぶつかる相手を間違ったことを悟り、目玉をこぼしそうにしている。身体はがくがく震えているのに、ネイの服の裾を離そうとしない。
「ちょっとアイリー。お客さまに失礼ですよ。離れなさい」
残り二つの塊、こちらは少年と少女とを無事キャッチしたタニシャが言う。
「気にしなくていいよ」しゃがんで視線を合わせる。「アイリー、私はネイだ。よろしくな」
「あわ……」
少女はここでようやく自分を取り戻し、言葉にならない声と共にネイの服を離した。後ろ向きに二歩下がるとその場で半回転し、一目散に建物の奥に走っていった。
「怖がらせてしまった」
タニシャが寄ってくる。塊はまだ二つともしがみついたままだ。
「ネイさん、ごめんなさい。あの子はどうも人見知りで」
「ネイがでかいからじゃな。初めて見る
ヨルが張り合いだした。自分のところには子どもたちが来なかったからだろう。
「遊び相手としては同レベルでいいんじゃないの」
「なんじゃと!」
ヨルが子どもみたいに声を荒らげたところで奥から痩身の男がやって来た。
「おかえりタニシャ。アイリーが走っていったが……そちらは旅のお客様かな」
「ただいま帰りました。こちらはネイさんと、ヨルさんです」
それぞれ会釈をする。タニシャが男の方を示した。
「こちらが司祭さまです」
「村で司祭をしております、ザイル・リーニックです」
タニシャと出会ってからの経緯を交えて適当に挨拶をしつつ、ザイルを観察する。
ネイと同じ黒い目だが肌色は薄く、黒髪には白いものが混じっている。司祭服は簡素だがよく手入れされており、あちこちに丁寧なほつれ直しの跡があった。こんな辺境に腰を落ち着けていることからも信仰心の篤さが垣間見える。村のいちばん良い場所にある「
ひと通り話し終えたところで、タニシャが背中から編みかごを下ろした。
「司祭さま。この立派なバラヌスは、ネイさんから頂いたんです!」
タニシャは取り出した青トカゲを示す。編みかごには他にも、道中追加で採ってきた食材が入っている。どれもネイには美味さが分からなかったものだった。
「おお」ザイルが感嘆の声を上げた。「貴重なものを……ありがとうございます。お二人に
ザイルは
「子どもたちも喜びます」
「いや。これくらい大したことじゃないよ」
素性の知れない人間を集落に案内してもらった上、食事までというのだから、不味いトカゲ数匹の対価としては十分以上だ。出てくる食事がそのトカゲでなければもう少し喜べたが……。
「ではタニシャ、頼むよ。食堂にはナンシーがいるから」
「わかりました。腕によりをかけますよ!」
タニシャは子どもたちをへばりつかせたまま去っていった。ヨルもそちらに行きたそうだったが、ザイルが子どもたちに挨拶させると言うので興味が移ったようだ。
とりわけ多くの像が捧げられているのは〈大地母竜〉ヨルネルだ。あまねく命の紡ぎ手にして豊穣の象徴、母なる白竜の像たちは、祭壇には収まりきらず床にも並んでいる。
当の信仰対象といえば、ネイの前で司祭の話を熱心に聞き込んでいる。
子どもたちの中ではタニシャが一番上の十七歳――年上だった――料理を手伝っているナンシーがその次で十一。出迎えの三人は舌足らずのミケーラが四歳、もじゃ髪のアイリーが七歳、男の子のロナンが十歳だ。そこにアイリーと同じ七歳の少年二人を加えた七人が、この
「おぬしが皆の父なのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
あまり話は通じていないようだった。
そうこうするうち礼拝堂を抜け、子どもたちの部屋に入った。中にはベッドが六台並んでいて、そのうち一つで男の子たちが遊んでいた。ザイルが声をかける。
「レニー、リニー。おいで。お客様に挨拶しよう」
「司祭さま!」
二人はベッドを飛び降りて駆けてくると、そのまま司祭の胸に飛び込んだ。ここの子たちの間ではこれが日常的な挨拶なのだろうか。危なっかしい文化だ。
「はいはい、良い子だ。ちゃんとお二人に挨拶なさい」
司祭にうながされてこちらにやって来た少年たちを見て、ネイは驚いた。
「顔が同じだ」
少年たちが目を丸くするが、その仕草もそっくりだ。
「ぬしは非常識だな。双子じゃよ。二人でいっしょに生まれたんじゃ。のう? そうじゃろ」
非常識とはいちばん言われたくない相手だ。ヨルは瓜二つの顔をした二人に尋ねる。
「そうだよ! おれ、レニー」
「おれはリニー。ねえちゃんたちは?」
「ネイだ」
双子――知らない単語に戸惑いながらネイは答える。
「ワシはヨルじゃ。ねえちゃんじゃなく、お母さんと呼んでもいいんじゃぞ」
ヨルは相好をくずして二人の頭を撫でた。孤児にそういうことを言うな、と喉まで出かけるが、二人もザイルも気にしていないようなのでやめる。さすがにここからヨルの正体がバレることもないだろう。
先ほどの出迎えの時もそうだったが、ヨルはけっこうな子ども好きらしい。扱いも下手ではなく、すぐに少年たちと打ち解けて遊びはじめた。これも〈大地母竜〉の魂ゆえと言いたいところだが、単に精神年齢が近いだけにも思えた。
お母さん呼びは当然ながら「えー」「やだ」とすげなく断られていた。
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