6 タニシャ

「まずは謝らせてほしい。ごめんなさい」

「いえ、いいんです。何か事情があったんですよね。ええと――」

「ネイだ。こっちはヨル」

 余計なことを言わないように目配せをしたが、さすがのヨルにも「母は〈大地母竜〉ヨルネルじゃ」などと名乗り出さないくらいの分別はあるらしかった。

「わたしはタニシャです。ええと、姓はありませんが……」

「ああ。私も孤児だから、気にしなくていいよ」

「そうなんですか? てっきりお二人は親子なのかと」

「え?」

 思わず問い返したが、たしかに何も知らずにヨルの一人称を聞けば勘違いすることもあるだろう。ふつう「母」といえば特定個人の母親を指すのであり、全生命の母親だと理解するヤツのほうがどうかしている。ネイはすぐに「まさか」と否定した。

「親子にしては歳が近すぎるよ」

 ですよね、とタニシャはまた頬を染める。ぱたぱたと手で顔を仰ぐ。

「お二人ともお綺麗なので、もしかしたら話に聞くアールヴだったりって……川の中のヨルさんを見て、すごく綺麗だったから。ごめんなさい! 初めて会った方に失礼なことを。司祭さまにもよく夢見がちだって怒られるんです」

「ははは、だから言ったじゃろう。わかる者にはわかるんじゃよ、はは――」

「ヨル!」

 ネイは隣に座ったヨルを怒りを込めて睨む。母と言いかけたな。

「私たちは親子じゃない。アンタは私の母親じゃ、ない。だよね、ヨル?」

「お、おう。そうじゃ、そうじゃなア」ヨルは天を仰ぐ。「は――ワ……タシ、ワシとネイは、そうじゃよう。まったくの赤の他人なんじゃよう。誰じゃぬしは! がはは!」

 ヨルは異常に嘘が下手だった。いや、実際に赤の他人なので嘘ではないけれど。

「そ、そう、なんですね……」

 しかしその異常さのお陰で、触れてはいけない話題だとは伝わったようだった。ヨルがこれ以上壊れないようにネイは話題を変える。

「ところで司祭さまっていうと、この近くには村があるの?」

 法院の司祭には広く辺境にまで移住し、その土地で信仰を広める徳の高い者たちがいるのだ。つまり、司祭のいるところには教え導くべき村人がいる。

「はい。川を渡ってしばらく歩いたところです」

 タニシャは川のほうに目をやる。

「わたし、いまは村の竜屋ねぐらで司祭さまのお手伝いをしているんです。わたしと同じような孤児が何人かいて、その子たちの世話を。今日はその子たちのためにバラヌスを獲りに来たんですよ。みんなあれが大好きで。これでもわたし、弓の腕にはけっこう自信があるんです」

 ふふ、とはにかんでから、あっと声を上げる。

「本当に申し訳ない……」

 彼女の弓矢はネイが向こう岸に置かせたままなのだ。ぶんぶんと手を振るタニシャ。

「い、いえ! 逆にお気を遣わせてしまってごめんなさい。後で取りに行けばいいだけですから気にしないでください。……きっと、何か事情があったんですよね?」

 彼女はやや上目遣いになって付け加えた。見知らぬ相手に失礼のないよう気をつけつつも、口調とキラキラしたまなざしからは、抑えきれない好奇心があふれ出していた。

 これはたぶん、私たちの関係についても諦めていないな。

 思いながらヨルに目をやると、あらぬ方向に視線を逸らしている。役に立たない「母」だが、変に事態を混乱させられても困るのでこれはこれでいいとする。

「そうだね……」ネイは仕方なく口を開く。「詳しいことは言えないんだけど、私たちは今、法院の敵に追われているんだ」

「まあ!」

 タニシャは目を見開いて口元を覆った。

「だからこのことは、司祭さまや他の人たちには黙っていてくれないかな。タニシャや村の人たちを巻き込みたくないから」

 タニシャの頬はこれまでで一番の紅潮を見せた。「法院の敵」を探しているのか、きょろきょろしながら胸を押さえ、心なしか目元まで潤んでいる。なんとも劇的な反応だった。

「そ、そうだったんですね……」

 何度かの深呼吸のあとにタニシャはようやっと返事をすると、「わかりました。タニシャ、けっして失礼な詮索はいたしません」と物凄く詮索したそうな顔で頷いた。わかりやすい。

「よろしくお願いするよ」

〈大地母竜〉の巫女を襲撃した時点でその人間は法院の敵だし、追われているのも嘘ではない。詮索されたくないのもタニシャを巻き込みたくないのも本当だ。タニシャはネイを法院の特使か何かだと思ったかもしれないが、それは彼女が勝手に勘違いしただけだ。

「それで、申し訳ないついでに頼みたいんだけど、よかったら村を案内してほしい。足りないものがいくつかあって。お礼はするし、用事が済めばすぐに出て行くから」

「もちろんです! 同じ法院の信徒として、お二人が良ければ何日だって匿いましょう!」

「ありがとう。匿いまではしなくていいけど」

「そうですか……?」

 なぜか残念がるタニシャ。

「本当に助かるよ」

「い、いえ。敬虔な同胞のため働くことは、タニシャにとっても大いなる喜びですので!」

 タニシャは興奮すると自分を名前で呼ぶ癖があるらしい。

 ネイは内心で息をついた。出会いの印象を挽回するどころか大幅に好感を得たのは予想外だが、とにかく村には案内してもらえそうだった。あとは謝礼だが、国崩しの〈殺竜〉らしく、ダミデウスは十分に貯えを用意しており、持ち出せた分だけでも足りるはずだった。

 そこで、つい、と袖が引かれた。ヨルだ。

「ワシ、腹が減ったんじゃが……」

「ああ。夕食どきだったか」

 川で泳いだせいもあるのだろう。ねだるような態度といい、まったく子どもとしか言いようがないヨルだ。肩をすくめて背嚢から数匹の青トカゲを引っ張り出す。

 最近では歩きながら捕まえ、次の食事にするという流れが出来上がっていた。

「あの、ネイさん……」

「おっ、タニシャも食べるか?」ヨルが食いついた。「欲しければワシのをちょびっと分けてやってもよいぞ。残念ながら、あまり美味くはないがのう……」

 悲しそうに付け加えるヨル。あれだけバクバク食っておいて、アンタも美味くないと思っていたのか。ネイが軽くショックを受けていると、タニシャが尋ねてきた。

「それ、どうするんですか」

 彼女はネイが持っている青トカゲを指さしている。

「どうって……焼くんだけど、嫌だったら別に付き合わなくてもいいよ」

 たしかに味だけでなく見た目も悪いし、タニシャが嫌がるのも無理はなかった。

「そうじゃなくて。いや、そうなんですけど。丸焼きって……。あの! さっきタニシャは言いましたよね。ここにバラヌスを獲りに来たって」

 タニシャはまた興奮している。しかし、そこまで言われればネイにも彼女の言いたいことがわかった。ヨルが横から出てきてトカゲを一匹ひったくる。「おい」

「なるほど。こやつ、バラヌスという名前じゃったのか」

 ヨルは青トカゲの尻尾を持って、くるくると眺め回す。

「そうです。青竜子バラヌス。すばしっこくて捕まえるのが難しくて、この辺りではいちばん贅沢な食材なんです。それを、それを……ま、丸焼きだなんて……しかもネイさん、それ!」

「はい?」

「下処理も何もしてない!」

「下処理ってなんじゃ」

「えっ、なんだろう……」

「ええええ……内臓ワタ抜きとか、コケ引きとか、本当になんにも……?」

 ネイとヨルは顔を見合わせ、お互いに首をかしげた。

「まさか、そんな。まさかそんなことが……」

 タニシャは愕然とした表情で同じことを二回言った。小柄な身体がぷるぷると震えはじめ、「身体が冷えたんじゃないか」とネイが焚き火に薪をくべようとしたところで、キッと顔を上げた。その目には焚き火の炎が映り込んでいる。

「丸焼きなんて、そんなの出来損ないです! 食べられないですよ!」

「出来損ない……」

「食べられはしたがのう」

 タニシャは忽然と立ち上がると、びしりと指を突きつけた。

「お二人とも、今すぐ村に来てください。タニシャが本物の青竜子バラヌスを食べさせてあげますよ!」

「ええ……」

「楽しみじゃのう!」

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