3 弔いと旅立ち
襲撃地点にはたしかに何もなかった。人間も人間が身につけていた物も、灰すら残さず燃え尽き、せいぜい馬車の一部が散らばっているだけ。ながえが大きめに残っていたので、それを拾ってきて地面に突き立ててみたものの、これで弔いになるのかは分からなかった。
師匠は殺し方を教えたが、弔い方は教えてくれなかった。庵の蔵書はほとんどが燃えてしまったし、残っていたところで、学べるのはやはり竜の殺し方ばかりだろう。
第一の儀式から第二の儀式まで、器の巫女は意識を失うようで、女は付き添いの者たちの顔も名前も知らなかった。だからネイにとって人生で二度目の弔いは、埋めるべき遺体もなく、記すべき名もない、一度目以上にお粗末なものになった。
森との境界近くに立てたながえの横には、ひと抱えほどの岩がある。
その前にしゃがみこみ、ネイは尋ねた。
「師匠のことはどのくらい覚えているの」
隣になぜか仁王立ちする女は「うーむ」と唸る。
「ダミデウス・バルトメロウ。優秀な竜狩りじゃった……」
「……それだけ?」
「んあー、奴がここに隠居したことは知っておるなあ。あとは、ずいぶんな甘党だった。血気盛んで、竜狩りを志したのは家族のことが理由だったはずじゃな。あとは飛び飛びじゃ」
「本当に飛び飛びじゃないか」
甘党なのはネイも知っていたが、血気盛んなイメージはない。ネイが感じていた師匠の竜狩りへの思いはもっと冷たくて根深くて、恐ろしいものだった。
しかし何より気になったのは、
「そうか、師匠にも家族がいるのか」
「ん? ぬしは違うのか」
「私は孤児だよ。師匠には十二年前の戦争で拾われて、血のつながりはない」
デルイース辺境戦争。十二年前のホーミダル
「ふむ。たしかにあまり似ておらんか」
北方人らしい碧い目の師匠と、浅黒い肌に黒目黒髪という典型的な南部辺境人のネイでは、たしかに血縁には見えないだろう。思いながら立ち上がると、近寄ってきた女が「どれどれ」と前髪をかき上げてくる。
「ちょっと」
顔を覗き込む女を押しやりつつ、呼吸が早くなるのを自覚する。
間近で見たひとみは淡く、角度によっては金色を帯びる。それは史書に残る〈大地母竜〉の目の色で、そう思えば肌理細かい雪白の肌もまた、彼女の鱗色として伝わるものと同じだ。
女の姿は器である巫女のものなのか、あるいは魂が肉体に影響しているのか。すくなくとも、間近で揺れる彼女の髪からただよった「竜の匂い」は、ネイには本物に感じられた。
「なんじゃ、もしかして照れておるのか。母は美しいからのう」
かかか、と女は笑う。否定するのも馬鹿らしいのでネイは話を変える。
「バルトメロウっていうのは、たしかリッツガドルの貴族の姓だよね。師匠は昔話をほとんどしなかったけど、家族のことが理由っていうのはそういうこと?」
リッツガドルは大陸を四分する国々のうち北に位置する王国だ。碧い目という北方人的特徴からネイが予測していた師匠の生まれも、やはり聖竜王国とも呼ばれるリッツガドルだった。
「さあのう。記憶はないが、娘であるぬしに話さなかったのなら、母にも話しておらんのじゃろうな。家族のことが理由というのも、ずいぶん出来上がった時に口を滑らせたという感じじゃった……気がするのう」
「出来上がった?」
「泥酔したということじゃよ。知らぬか。酒じゃ、酒」
女は神代の者というには世俗的なことを言う。くいくい、とジョッキをあおる仕草までして見せるのだから、威厳も何もあったものではなかった。
「師匠が酒を呑むところって想像できないな。アンタもだけど。〈大地母竜〉の巫女っていうのはそんなに自由が利くの? 単なる竜狩りっていうならともかく、〈殺竜〉ダミデウスと酒を飲むなんて、法院の大司祭が許すはずないと思うけど」
亜竜に頼らずに人の手で亜竜を殺すこと。それが世間一般でいう竜狩りの条件であり、いかに難業でも、突き詰めれば単なる並外れた武勇の証明以上のものではない。
しかし〈殺竜〉は別だ。法院の教義上、古竜と竜は区分されているものの、その線引きが恣意的で政治的なものなのは明らかだ。現生の五頭もみな、古竜たちとともに『人竜大戦』を戦った。違いはそれを生きのびたかどうかにすぎない。ゆえに〈殺竜〉ダミデウスはただの竜狩りではなく、法院にとっては信仰の敵と言ってよい大罪人であるはずだ。
「前後の詳しい記憶はないが、まだその頃は小僧っ子も〈殺竜〉ではなかったからじゃろ」
何気ない答えに、ネイは息を飲んだ。
そうだ。女が「小僧っ子」と呼ぶとおり、ネイの師にも若い頃があったのだ。
考えてみれば当たり前だ。血気盛んというのだってそうだった。まだ若く、まだネイの師ではなく、まだ恐るべき〈殺竜〉でもなかった。酒に飲まれて熱っぽく自分の野心をまくし立てる、そんな若者、あるいは女の呼び方からすれば――少年だったのだ。
だとしたら見てみたかった。心からそう思った。
ネイが師と出会ったのは彼の最晩年のことだった。だからネイの記憶の中の師は、日に日に頑なで気が短くなっていく、灰色髪の老人の姿をしている。
――ああ、髪はもしかしたら、北方人らしい金色であったのかもしれない。手の甲には皺ひとつなくて、目の下に浮いたどす黒いシミもなく、自力では寝床から降りられないほど痩せ衰えてもいなかったのだろう。糞尿の始末をする傍らの少女を光を結ばぬ目で見つめ、うわごとのように、彼女ではない名前で呼び続けることもなかったのだろう。
女は言った。家族――それが彼の、竜狩りを志した理由なのだと。
ネイは墓石代わりの岩を見下ろした。そこに刻まれた名を。
「ヨル。ひとつ間違えてる」
「おお、それはもしかして母の愛称か? なかなか悪くないのう」
女は、ヨルは嬉しそうに言った。
会話の機微がわからない彼女の返答が、いまのネイにはありがたかった。
「私は師匠の娘じゃないよ」
師匠――せんせい――ダミデウス――最期まで父とは呼べなかった人。
「よくわからんのう。同じ家で暮らしていれば家族というわけじゃないのか」
「うん。私は、師匠のことを何も知らないから」
「では知ればいいんじゃな」
ヨルのあっけらかんとした答えに、ネイの喉はかすかに痙攣した。
「うん」頷くのが精一杯だった。「そうだね。そうしたい」
「母と同じじゃな。母にも沢山、思い出さねばならんことがあるようじゃから」
うん。
「まあ、母はすべての母ゆえ、ネイが小僧っ子の娘でなくとも、母の
がはは、と笑う。
「はあ……」
気のない返事にも構わず、「では約束じゃ」と彼女はネイを見つめた。
「母が記憶を取り戻したあかつきには、母がおぬしに、おぬしの師のことをすべて教えてやろう。恥ずかしい失敗談まで、包み隠さずな!」
「そんなのがあるの」
「さあ?」
ネイはため息をつく。
「よかろうが。ほれ、約束じゃ」
ヨルは小指を立てて突きつける。
「それは?」
「約束をする時はこうするんじゃ。知らんのか?」
ほれ、とヨルはネイの手をとって、無理やり小指を絡めてくる。思いがけずやわらかな指の感触を見下ろして、ネイは戸惑いつつも言った。
「これは呪いをかける方法でしょ」
巨人が指印を用いて魔術を使ったという故事から、大陸では自らの両手小指――
「同じようなもんじゃろうよ」
そう言ってヨルは指を絡めたまま手をぶんぶん振った。扉を壊した時も思ったが、ヨルは見た目に反してかなり腕力がある上、力加減というものを知らなかった。
肩を外されそうなので、「じゃあ、私も約束するよ」とネイは言った。
「アンタを必ず大法院まで届けてやる」
「よし!」
ヨルは満足したように破顔すると、「墓参りも終わったし、出発じゃな!」と勝手に歩き出した。騒がしい女だった。ネイは立てられたながえと岩と、まだ白く煙をたなびかせる庵の焼け跡とを順番に目に映し、顔をそっと拭って、彼女の後を追いかけた。
「……ところでさっき泣いておったか?」
「泣いてない」
「よくわからんのう。あれは涙というわけじゃないのか」
「涙というわけじゃないね」
「ふむー?」
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