エピローグ
「めんどくさい!」
「どうしたの、いきなり」
稲月はノートパソコンに向き合いながら、大きな声を上げた。
大学一年の四月になり、私たちはあの頃住んでいた家ではなく、二人で借りた家に住むことになった。
あの家に住み続けてもよかったのだが、私たちが選んで、互いにお金を出し合うことに意味があると思ったのだ。
稲月が元々一人暮らししていた家よりも少し狭いが、居心地はいいと思う。二人のお金で買った家具や調理器具が置かれた家は、私たちだけのものって感じがした。
結局私は稲月とは違う大学に行くことにした。
両親の期待に応えたいという気持ちはもうない……ってわけではないけれど。
とにかく、自分の能力でどこまで行けるか確かめたかったのだ。その結果それなりにいい大学に合格することはできたが、稲月は不満げだった。
同じ大学に行くことだけが一緒にいるってことじゃないとは言ったものの、稲月はあまり納得していない様子である。
帰る家が同じなら、心が離れ離れになることなんてそうそうないだろう。
まして、私たちはずっと一緒にいると誓い合っている。
「なんでこんな履修登録ってめんどくさいんだろう。全部楽単がいいけど一限行きたくないしさ」
「真面目に学校行きなよ。高校の時はちゃんと朝行ってたんだから」
「それはそれ。これはこれでしょー。大学なんて遊ぶために行ってんのにー」
「不真面目だなぁ」
私は苦笑した。大学生になっても稲月はあまり変わっていない。
やっぱり稲月は稲月だ。
多分私もそう変わっていないと思う。稲月と私は互いのことを愛し合っているという前提があるから、これから先どれだけ成長しても、私たちの関係が大きく変わることはないのだと思う。
でも。
「稲月はもっと真面目になった方がいいよ。社会に出た時困るよ」
「あーあー聞こえない。うるさく言わないでよ。キスするよ」
「いいよ」
「そう言われると、やだ」
子供みたいだ、と思う。
私も大概子供だけど、稲月には負ける。
私はそっぽを向いた稲月にキスをした。彼女の唇は初めてキスした時と変わらず、柔らかい。
何度キスをしても新鮮にドキドキするから、不思議だと思う。
単純というか、なんというか。
私も本当に、子供っぽい。
「しちゃった」
「……なんかなぁ。最近彩春が初々しくなくなっちゃって、水空ちゃんは残念だよ」
「嫌いになった?」
「そういう意地悪なこと聞くのは、やだ。わかってるくせに」
「どんな想いも、口にしてくれないとわかんないよ」
「……なーんか、ムカつく。好きだよ。好きに決まってんじゃん。嫌いになるわけないでしょ」
「だよね。私も好き」
私は多分、精神的には三年前とあまり変わっていないと思う。
しかし、稲月とずっと一緒にいられると確信できるだけの繋がりがあるから、前みたいに寂しさに心をやられたりはしない。
まあ、でも。
嫉妬はする。未だに稲月を稲月と呼んでいるのは、やっぱり前の時間軸の私と比べられたくないからだ。他の誰かを見ないでほしいという気持ちは今も変わらないし、やっぱり私は子供っぽくて嫉妬深いと思う。
とはいえ、それは稲月もおあいこだ。
稲月だって子供で、ねぼすけで、意外と甘えたがりで、嫉妬深い。
私たちはそういうところが似ているからこそ、噛み合っているのかもしれない。
……噛み合っている。
物理的にも、噛み合ったりはしているけれど。いや、今はそういう話じゃない。今も定期的に心臓付近に噛み跡を付け合っているとか、他のところにも跡をつけているとか……。
やめよう。
昼に考えることじゃ、ない気がするし。
「あ、この授業インド映画見て感想書くだけで単位もらえるらしいよ。今度彩春も来てみる?」
「私が行ったら稲月がもっと不真面目になりそうだから駄目」
「じゃあ彩春の学校の授業、受け行っていい?」
「うーん……。大教室のなら、いいけど。変なことしないでね」
稲月は唇を尖らせた。
「しないし。私を年中発情期かなんかだと思ってる? それくらいの分別はあるから」
「外ではキスまでだからね」
「わかってるわ! 何? そんなに信用ない?」
「稲月って時々想像もつかないくらい妙なことをしたりするし」
「具体的には?」
「この前、映画見てる時首舐めてきた」
「あれは、ほら。えっと……綺麗だったから」
「……信用できる要素、ないね」
スキンシップは嫌いじゃない。
嫌いじゃないけれど、稲月はちょっといきすぎることがある。されること自体はいいけれど、周りに迷惑をかけるのは嫌だから自重してほしいと思う。
愛されてるのは、わかるんだけど。
付き合う前から喉を触り合ったり抱きしめ合ったりしていた私たちは、色々なものが麻痺していてすることが倒錯的になりがちなのかもしれない。
うーん。
このままだと色々と駄目になりそうだ。稲月と一緒なら駄目になってもいいなんて思ってしまう自分には、呆れる他ない。
「でも、いいよ」
「首舐めるの?」
「違う。今回は、信じるってこと」
私は稲月を後ろからそっと抱きしめた。彼女は私に背中を預けてくれる。その重さが心地良くて、私は目を細める。
彼女の髪を撫でると、相変わらず触り心地が良かった。さらさらしていて、手から流れていくみたいだ。
稲月は最近髪を金色に染めた。
高校の頃とは違うその色が、稲月と一緒に大学生になれた証みたいで、すごく好きだと思える。
「稲月が本気で言うなら、なんだって信じるけど」
「またそういうことを……」
稲月はノートパソコンと睨めっこしていた顔を私の方に向けてくる。
私は彼女の耳たぶにそっとキスをした。
「好きだから。変なことしても、許す。信じるよ。……あんまりにも変なことしたら、怒るけど」
「あんまりにも変なことって、どんなこと?」
「それは多分、稲月が一番よく知ってるでしょ」
私は彼女のノートパソコンを閉じて、立ち上がった。
「それより稲月。お昼ご飯にしようよ。手伝ってくれるよね?」
「うん。一緒に作ろっか」
稲月が立ち上がって、私の手を握ってくる。
キッチンに行くだけだから、握らなくてもいいのに。
そう思いながら、私も強く彼女の手を握り返した。その感触はいつもと変わらなくて、愛おしさもまた、変わらない。
来年も再来年も、変わらないままこうして手を繋いでいる私たちの姿を、簡単に想像することができる。
前の時間軸や前の前の時間軸での出来事よりもずっと、鮮明に。
私は笑った。
稲月も、笑った。
家出したら陽キャに拾われて「前の時間軸では恋人同士だった」と迫られる話 犬甘あんず(ぽめぞーん) @mofuzo
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