覚悟と誓い①
私には覚悟が足りない。
最近はずっとそう考えている。
秋が過ぎ、冬が過ぎ、再び春を迎えた。
三年の、春。初めて彩春と出会ったのもこの季節だ。三度目のこの季節。私はそろそろ、決めなければならないと思った。
彩春はとっくの昔に、私と一緒にいると決心してくれている。ずっと一緒にいるという言葉を今まで口にしてこなかった彩春が、最近はそういうことをよく口にしてくれるようになった。
私も彼女とずっと一緒にいたいと思う。
彼女となら、ずっと一緒にいられると信じている。信じているのに、数十年分の恐怖が私の足を止めてきている。
このままではいられない。
もう時間を繰り返したくない、と思う。全部無かったことにするには、思い出が増え過ぎている。
好きと言いながら抱きしめた感触も、キスをした時の温かさも、胸の高鳴りも、全部鮮明に思い出せる。思い出す度に幸せになって、もっと彩春と色んなことをしたいと思う。
もう、好きを抑えられない。
しかし、恐怖を振り切るにはどうすればいいのだろう。心に確かな支柱がなければ、私は容易に折れてしまうような気がする。
その支柱を用意するのが難しい。何があれば、私は安心して次に進めるのだろう。何か、証が欲しいと思う。
証。証と言っても、どんなものならいいんだろう。
「いやー、悪いね稲月さん。プレゼント選ぶのに付き合わせちゃって」
羽田はそう言って笑う。
赤色の髪が揺れて、紙袋が音を立てた。
今日は羽田が友達の誕生日プレゼントを買うとかで、私はそれに付き合わされていた。どうして私なんだろうと思っていると、羽田はそれを見透かしたように私を見つめてくる。
「あたしの友達ん中じゃ、稲月さんが一番プレゼントとか選ぶの得意そうだからさ。ほら、彩春はあんなんじゃん?」
いつの間に、名前で呼ぶようになったのだろう。
前に彩春が一ヶ月いなくなった時があったが、やはり、あの時羽田の家に泊まっていたのだろうか。
少し、もやもやする。彩春が取られるようなことは絶対にないとは思うのだが、それはそれである。私以外とどんどん仲良くなってしまうと、余計に時間を進めるのが怖くなる。
信じていると思いつつ、私は心のどこかで彩春を信じられていないのだろうか。
あれだけ好きと伝えられているのに。
「お礼に茶でも奢るわ。そこの店でいい?」
彼女はどこにでもあるコーヒーショップを指差して言う。特に異論もないため、私はそこでコーヒーを一杯奢ってもらい席についた。
テラス席に座ると、街の様子がよくわかる。
休日の街はいつも以上に人が多く、皆どこか浮かれているというか、楽しげに見える。
ぼんやりとコーヒーを飲みながら街を見ていると、ふとショーウィンドウにドレスが飾られているのが見える。ウェディングドレスのレンタルでもやっているのだろうか。私の目はそこに釘付けになっていた。
「何見てんの」
その問いで私ははっとして、羽田の方を向いた。
羽田は見るからに甘そうなドリンクを飲んでいる。
足を組みながら肘をつく様は、堂に入っているというかなんというか。
私はコーヒーを一口啜った。
「ブライダル的なやつ? やっぱ稲月さんもそういうの興味あんの」
興味があるといえば、ある。
お嫁さんになりたいという彩春の言葉が本当だとわかった今、私はああいう儀式を一度してみたいと思っている。
今までは結婚式になんて興味がなかったが、彩春がそれを望んでいるのなら、したい。
しかし、結婚式という儀式は別に、彼女の願いの本質ではないような気もする。彼女が求めているお嫁さんというのはつまり、好きって言ったら好きって返ってくる関係で。
……それは、今の私たちの関係そのものではないのか。
だが、儀式を済ませないとお嫁さんという称号は手に入らないわけで。
一度ウェディングドレス、借りてみる?
いや、しかし。
「まあ、ちょっとね」
「ふーん」
羽田は興味があるんだかないんだかわからない感じの声を上げる。
羽田とは時々こうして二人で会うけど、まだ完全に掴めていない気がする。
以前の彩春ほどじゃないけれど、何を考えているのかあまりよくわからない。
「そういや、前に彩春がさぁ」
羽田はストローでくるくるドリンクをかき混ぜながら、私を見た。
「学校で結婚式見たって言ってたんだよね」
「あー。うちってチャペルで結婚式できるんだっけ」
「そそ。なんかめっちゃ綺麗だったっつってた。あいつもああいうの憧れんだなーってちょっと驚いた記憶あるわ」
単に結婚式とかドレスに憧れている、というわけではないのだろう。彼女は永遠の愛を誓い合うことにきっと憧れを抱いている。
恐らくは、私も同じだ。
誓えば必ずしもその通りになるわけではないが、誓うという行為そのものに意味があると思う。言葉にしてそういうものを確かめ合うことで、互いの心を縛り付けると共に、安堵と心地よさを得ることができる。
そういうものだと思う。
ドレスを着せるかはわからないけど。
誓いの儀式は、してもいいのかもしれない。
「彩春はあれで意外と、乙女なところがあるからね」
「やっぱ、近くで見てるとわかるもん?」
近く。近くって。
いや、他意はないと思うけど。
……ないよな?
「まあ、友達だからね。ある程度は」
「へー」
彩春と一緒に住んでいることを、知られているのか。
少なくとも彩春は隠そうとしている様子だったけど、どうなんだろう。
知られて困ることなんて何もないけど、彩春を奪われるようなことがあったら困る。
「あいつ結構子供っぽいとこあるから、同じ視点に立って色々やると喜ぶよ」
なんで今、そんなことを言うのか。
私が何をしようとしているのかまで見透かしているのか?
あるいは、牽制してきているのか。
羽田も彩春のことが好きで、私から奪おうとしている?
まさか。しかし、ありえないことではないのか?
「今日のお礼」
「え?」
「今日のお礼に、耳寄りの彩春情報を教えたげようと思っただけよ。んな警戒されると引くわ」
顔に出ていたのだろうか。私はコーヒーを口に含んだ。
その苦味が少しだけ私を冷静にしてくれる。
意識して笑顔を作るようにして、私は羽田と向き合った。
「引くってのは冗談。ま、なんだ。とりあえずそういうことだから、あいつになんかするときは覚えとくといいんじゃね」
羽田はいつの間にかドリンクを全部飲み終わっていた。あんな甘そうなものをこの短時間で飲み終わるなんて、ただものじゃない。
私はまだ熱いコーヒーを飲んだ。
羽田はからりとした笑みを私に向けている。恐らく、私が羽田に向けていた表情とは真逆なのだろう。
彩春は自分のことを嫉妬深いと言っていたが、私はその比じゃない。彩春の目に映るのが自分じゃないと嫌だと思う。
彩春さえいればいい。
誰かと会うために必要な翼を全部もいで、自分の傍にいさせたいと思うほどに。
私にとって彩春は彩春だけど、ここまで強い想いを抱いたのは今回が初めてで、その相手は今回の時間軸の彼女に他ならない。
どうにもならないほどに、彼女が好きになっている。
前の時間軸よりも、その前の時間軸よりももっと。
「覚えとく。……ありがと」
「いや、礼を言ってんのはこっちだから。彩春のこと、マジで好きなんだ」
ずっと前から私は彼女に心を奪われている。
不思議で、よくわからなくて、ムカついたりもして、でも。
誰よりも可愛くて、飾らなくて、笑顔を見たい相手だ。
彼女はほとんどちゃんと笑わないけれど、その僅かな微笑みだけで私は幸せな気分にさせられる。
彼女に出会うために、今まで時間を巻き戻していたんじゃないかと思うくらいには、好きだ。
この気持ちが永遠に続かないのであれば、この世に永遠なんてものは存在しないと思う。彼女への気持ちは、変わらない。変わるはずがない。
「うん。大好き」
私が笑うと、羽田は目を丸くした後、吹き出した。
「稲月さん、彩春に似てきた気がするわ。いいよいいよ。そんな感じでいりゃ、彩春もそのうち落ちるっしょ」
羽田は私の肩を叩いてくる。
確かに私は、彩春と出会ってから変わったと思う。
自分の気持ちを、ちゃんと表現するようになった。
「そろそろ出るか。稲月さんも早く彩春のとこに帰りたいだろうしね」
「……どこまで知ってんの?」
「さーね。過干渉になりたくないし、ノーコメントで」
羽田はそのまま立ち上がる。私もコーヒーを持ったまま立ち上がった。
同じ視点に立つ、か。
立つまでもないとは思う。結局私と彩春は最初から似たもの同士で、似たような視点からものを見ている。なら、私がしたいことと彩春がしたいことは、ある程度同じなのではないかと思う。
彩春に今したいこと。
考えてみたら、一つだった。
迷いを振り切るにはこれしかないと思う。私は一つ決意をして、コーヒーを一気に呷った。
苦味でも冷静にならない思いが、私の胸には満ちている。
彩春のところに帰ろう。
私は息を吐いて、歩き始めた。
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