そして、今日②

 彩春と出会ってから、三度目になる時間のループ。

 今度は前よりはスムーズに彩春に話しかけにいくことができた。高校一年の、六月。私は朝早くに登校して、また彩春と友達になった。


 そこで気がついた。

 一年生の彩春は、今までの彩春とは違う。


 眠そうな顔をしていないし、目がよく合う。朝にハンバーガー屋に行くこともないし、何より。いつもどこか寂しげな顔をしている。


 そういえばと、思い出す。

 確か、一年の夏頃に家出をしていたと、前の彩春は言っていた。その時に何かがあって、私が知っているあの彩春になったのではないかと思った。


 家出している彩春を私が泊めてあげれば、何かが変わるのではないか。

 そう思って色々準備するうちに、八月を迎えた。


 しかし、ことはそんなにうまくいかなかった。そもそも彩春の連絡先すら知らないし、彩春がどこに住んでいるのかも知らない。


 知らないことだらけだ。

 考えてみれば、今までの彩春はどこか掴みどころがなくて、大切なことはほとんど教えてくれなかった。

 それでも好きだから、仕方ないんだけど。


「彩春」


 彩春に触れたい。

 彩春と話したい。名前で呼んでほしい。


 そう思いながらふらふら歩いて、気付けば私は大学の第一校舎屋上まで来ていた。屋上から見る景色は、二年後と変わらない。でも、ベンチに彩春の姿はなく、屋上はあの頃よりも暑い。


 これからどうしよう。

 思わずため息をつくと、足音が聞こえてくる。夏休みの大学に来ている人なんて珍しい。顔を上げると、ずっと見たいと思っていた茶色の瞳と視線がぶつかった。


「稲月?」

「……え。彩春」


 旅行用みたいに大きなバッグを持った彩春が、そこにいた。

 夏休みだからどこかに旅行に行くのか、あるいは行ったのか。


 いや、違うでしょ。

 右から見たって左から見たって、家出娘って感じの見た目をしている。

 ここしかない。今しかない。私は思わず彩春の方に駆け寄った。


「こんなところで何してるの?」

「……んと。なんだろうね。流浪?」

「いや、私に聞かれても」


 相変わらず、彩春はぽわぽわしている。そう見えるだけで実は色々考えているのは知っているけど、でもなぁ。


 ちょっと目を離したらふわりと浮いてどこかに飛んでいってしまいそうな、そんな感じがする。

 それはそれで、可愛いかも。

 いやいや。

 何を馬鹿なことを。


「何? 家出してんの?」

「まあ、ね。まんきつって、知ってる? 今日、行ってみようと思って」

「いや、やめなよ。女子高生が泊まる場所じゃないから」


 彩春はぼんやり私を見ている。

 彼女は夏休みだというのに、制服を着ていた。

 なんでなんだろう、と思いつつ、私は彼女の手を握った。


「稲月、どうしたの?」

「泊めたげる。このままほっとくのも寝覚め、悪いし」

「え。急だね」

「そりゃ、彩春が現れたのも、泊めるって決めたのも今だし。急にもなるでしょ」

「あはは、そうかも」


 彩春の手の感触は、やっぱり変わらない。変わらないけれど、久しぶりだ。だいたい半年ぶりくらいに彼女の手を握ったから、私はちょっとテンションが上がっている。


 また、彩春と仲良くなれる。

 そう思うだけで心が弾んで、最後には全部無かったことにしてしまう自分に、嫌悪感を抱く。

 それでも彩春と目が合うと、全部忘れられるような気がした。




 彩春に嘘をついた。

 前の時間軸では、恋人同士だったと。


 彩春に変なことをするための理由が欲しかった。彼女のように飾らない言葉を伝えるための理由づけをしたかった。


 そして、あわよくば。そうして飾らない言葉を交わし合った先で、本当に恋人になりたかった。


 早いうちに恋人になっていれば、大学生になっても一緒にいられるという確信が得られるかもしれないと思った。どれだけ辛いことがあっても、彩春が一緒にいてくれるのならそれでよかった。


 十回目。私は彩春のことをもっとたくさん知ることができた。

 家出をしていた理由。

 同居している人に見せる、彼女の顔。彼女の作る料理の味。好きな家具とか、色々。


 毎日が新鮮だった。今までの彩春は家出して人の家を転々とするうちに心が荒んでしまった彩春で、今の彩春はまだまっさらな彩春だった。


 だからこれまで以上に自分を見せてくれたし、今までで恐らく一番仲良くなることができた。


 そうなると欲が出てくるもので、私は前の時間軸での思い出を、今の時間軸の思い出にしたくなった。


 彩春と思い出を共有したい。

 私だけが知っていることを、彩春も知っていることにしたい。

 そう、思っていたのだが。


「彩春。最近、何かあった?」


 二月あたりから、彩春の様子がおかしくなった。

 なぜだか寂しげな表情を浮かべることが多くなって、時折何かに耐えるように、苦しげな様子を見せるようになった。


 なんでだろう、と思う。

 キスをしてほしいと言われた時、できなかったからだろうか。

 いや。でもあれば、彩春も本気ではなかったはずだ。

 それに。


 私は、怖かった。キスという行為は別れと結びついていて、今までしようとするそぶりは見せてきたが、本気でするつもりはいつもなかった。


 キスもできないのに、恋人になれるのか。そんな疑問は、いつも頭に渦巻いている。


 私たちの関係はどこかぎくしゃくするようになった。

 順調に仲良くなっていたはずなのに、最近はどこか空気が噛み合わないというか、ずれるようになってきている。


「ん? 何もないよ? ……それより。マグカップ、出して。今日はロイヤルミルクティー作ってみた」


 私は棚からお揃いのカップを取り出した。

 彩春がそこにミルクティを注いでいく。

 湯気がふわりと広がって、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 湯気の向こうにある彩春の顔は、やはりどこか寂しげだった。


「彩春、こっち向いて」


 鍋をコンロに戻した彼女の肩に手を置く。彩春は微かに体をこわばらせた。なんで、こんな反応をするんだろう。


 私は彼女の髪を手で梳くようにして撫でた。柔らかな感触はいつもと変わらなくて、触り心地がいい。


 私よりも頭一個分くらい身長が低いから、髪を触りやすくていいと思う。でも、彩春はちょっとも楽しそうじゃない。


「彩春の髪、触り心地いいね。いい匂いもする。同じシャンプーなのに」

「うーん。稲月の方がいい匂いだと思う。前から私とは違うって思ってたけど」


 私の飾らない言葉は彩春の真似で、彩春の言葉はやっぱり天然物だから、威力が違うと思う。


 私の言葉はちゃんと彩春に届いているのだろうか。彩春の言葉はいつも私の心臓を撃ち抜くみたいにまっすぐ飛んでくるから、顔の火照りを取り除くのに苦労する。


 いつまでも、こうしていたい。

 あと二年でまた時間を巻き戻すか否か選択しなければならないのはわかっていても。それでも今は、何も考えずに彩春と言葉を交わしていたい。

 そう、思ってしまう。


「じゃあ私の匂い、つけちゃおうかな」


 私は彼女の肩に自分の頭を乗せた。

 彩春は何をしても、基本的に嫌がらない。そもそも前の時間軸では恋人だったなんてわけのわからない発言を普通に受け入れて接してきてくれるくらいだ。良くも悪くも、普通じゃないと思う。

 しかし、そういうところを好きになったのは確かだ。


「稲月。ミルクティー、冷めちゃうよ」

「お茶はあっためなおせるけど、これは今しかできない」

「……そうなの?」

「うん。だから、やる。彩春からもやってよ」


 犬か猫にでもなった気分だ。

 こういうのを、マーキングというのだったか。


 彩春が私の匂いになって、私が彩春の匂いになる、みたいな。少し心が躍るけど、考えてみればとんでもないことをしている。


 私たちはまだ恋人でもないのに、抱きしめ合ったり匂いを擦り付け合ったり。彩春が普通にそれを受け入れてくれるから、私も歯止めが効かなくなって、つい変なことばかりしてしまうのだ。


 さすがに前の時間軸の彩春とも、こういうことはしたことがない。

 一応私たちはただの友達同士だったから、普段は手を繋ぐまでしかしたことがないのだ。別れ際にキスしたことは、あるけれど。

 だから今の時間軸の全てが新鮮に思えた。


 抱きしめた時のあったかさとか、ちょっとした体の硬直とか、匂いとか。

 知らなかったことが一気に私の中に流れ込んできて、愛おしくなる。


 その度に私はやっぱり彩春のことが好きなんだと実感して、同時に心が苦しくもなっていく。


 今のまま、彩春と未来に進みたい。

 しかし、彼女が屋上に姿を現す日は知っているから、何度だってこの甘い日常を繰り返すことができる。


 永遠に、このまま。

 それは、ひどく魅力的な誘惑だった。


 永遠の時間を彩春と一緒に今のまま過ごせたら、きっと私は幸せだろう。いっそ、未来なんて捨ててしまえば。

 ……本当に、そう思っているのか?


「匂い、つけても。いつか消えちゃうよ」

「だったら、消える度につければいいじゃん」

「消える度に同じことを繰り返せば、それでいいのかな」


 彩春は私の胸に頭をくっつけて言う。

 熱い吐息が服を通り抜けて肌を撫でてくるから、少しくすぐったくなる。

 私は彼女の頭を撫でた。


「うん。そうすれば、一生消えなくなるし」


 私は笑って言った。

 微かに。

 ほんの僅かに、彩春の体が震えた、ような気がした。


「そっか。だから……」

「彩春?」


 彩春は顔を上げて、私を見てくる。

 その茶色の虹彩は、私のよく知っている、深海のようなものに見えた。


「稲月は。私のこと、好き?」


 彩春は分かりきったことを聞く。私は頷いた。


「うん。好きだよ。ずっと昔から」

「……そっか。うん。ありがとう」


 彩春はそう言って、笑った。

 それは綺麗で、わざとらしくて、今までの時間軸で何度も見てきた笑みだった。


 今の時間軸の彩春が、あまり浮かべない笑みだ。今の彩春は下手くそだけど、ちゃんと笑う。だからなんで、今こんな、笑顔と言えないような笑顔を浮かべているのかわからなかった。


 何かがおかしいような気がしたが、何がおかしいのかわからないまま、私は彩春に笑みを返した。

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