第29話

 二年生になって変わったことといえば、私がバイトを始めたことくらいだろうか。流石にずっと無償で泊めてもらうわけにもいかないと思い、私は稲月に家賃や諸々の費用を払うことに決めた。


 最初は受け取ろうとしなかった稲月も私の勢いに負けたのか、最近はちゃんと受け取ってくれるようになった。


 多分稲月がもらっているお小遣いに比べたら雀の涙程度なのだろうけれど、これは私の誠意だ。


 稲月からもらったものは数え切れなくて、高校三年間じゃ返しきれない。だからせめて、形に残るように、私の感謝と誠意が分かりやすく伝わるように、お金を渡すことにした。


 稲月との生活はうまくいっている。

 段々彼女も料理の腕が上達してきたし、次の時間軸の私はもっと楽できると思う。


 ……次の、時間軸。

 最近私は、次を意識するようになった。時間がなんでループしているのかはわからないけれど、多分それは私の意志で止まるようなものじゃない。


 だから、当然高校三年が終わる頃にはまた時間が繰り返して、今の私は消えてなくなるのだ。


 怖い。

 私は私と言うけれど、十代の三年間は無限にも等しい時間で、人を別人に変えるには十分すぎる。


 二年生で稲月と友達になった私。三年生になって初めて稲月と話した私。

 どちらも私だけど、私じゃない。

 次の時間軸の私も、きっと。

 でも。


 それでも、いいかと思う。何かを諦めるのには慣れている。世の中は私の自由にならないのが当たり前で、何かを得ようとしたって、ほとんど全てが無駄なのだ。


 だから、自分だけの特別とか、居場所とか。明日すらも、望むべきではないのだろう。

 大丈夫だ。

 ちょっとだけ苦しいけれど、いつか、どこかの時間軸の私が稲月と一緒にいるのなら。それでいいじゃないかと思う。





 バイトを終えた私は、街をふらふら歩いていた。ちょうど、稲月に拾われる前みたいな感じだ。


 あれからもう、一年近くの時が経過している。

 早いなぁ、本当に。


 あんなに寒かったのに、すっかり街は暑くなって、パステルチェックのマフラーも首から消えている。


 そうやって全部、消えていくのかな。

 なんて思っていると、スマホが振動した。

 電話だ。

 よく確認せずに出てみると、予想していたものとは違う声が聞こえてくる。


「もしもし? あたしあたし」

「……詐欺?」

「違うわ。声でわかるでしょうが」


 智星の声だった。

 二年生になり、彼女とは別のクラスになったものの、未だ交流は続いている。不思議だ、と思う。今までの私だったら、智星との関係もクラス替えと共に薄れさせて、終わらせていたと思う。


 実際、前の時間軸では……。

 私は首を振った。今は今、前は前だ。もう、思い出す必要もない。


「今どこいる?」

「えっと……」


 これから遊びにでも行くんだろうか。時刻はすでに午後の五時を過ぎており、街は徐々に橙色に染まり始めている。


 遊びから帰ると思しき子供たちが、走って私の横を通り過ぎていく。その姿を見送ってから、私は自分が今いる場所を智星に伝えた。


「おけ。んじゃ、行くわ」

「え、ちょっと、智星?」

「あ、歯ブラシは自分で買っといて。うち今予備ないから」


 それだけ言って、智星はさっさと電話を切ってしまう。

 いきなりすぎる。旅行でもするつもりなのか、それとも。

 うーん?


 私は首を傾げながら、近くの薬局で歯ブラシを買った。しばらく待っていると太陽がどんどん西に傾いていき、遠くの空が群青色になり始めた。


 夏だ。

 建物の壁に寄りかかって待っているだけでも暑い。でも、心まで凍ってしまうほどに寒い冬よりは、マシだと思う。


 今回の冬は色々あった。稲月とクリスマスを共に過ごしたり、一緒に神社に行ったり、バレンタインにチョコを交換したりもした。


 稲月との思い出が心を満たしている。もう、私は稲月と出会う前の私ではない。稲月との思い出で膨らんだ私の心は、何かを間違えただけで弾け飛んでしまいそうなほど脆く、温かいもので満ちている。


 それを今は、大事にしたい。

 今だけは、私のものとして。


「おう天川。待ったー?」


 気づけば智星がすぐ近くまで来ていた。彼女は最近髪を金から赤に変えた。夕日を受けて輝く赤い髪は、目が痛くなるほどに眩しい。

 私も髪、染めようかな。青とかに。


「それなりに。今日は、どうしたの?」

「んお? あー。いや、あれよ。なんつったらいいかな。……とりあえず、あれだ。天川は今日から羽田だから」

「……ん?」


 どういうことなのか。

 今日から羽田。

 羽田、空港?


 やっぱり旅行に行くつもりなのかな。羽田って、こっから何キロだっけ。交通費とか、どれくらいだろう。


「今からあんたのこと拉致るから、同居人にはちゃんと連絡しといて」

「え」


 智星は私の腕を掴んで歩き始める。色々理解が追いつかない。拉致? って、どういうこと?


「同居人って、なんのこと?」

「それ、聞いちゃっていいわけ?」

「……」


 聞かれたら困る。困るけれど、いや、そもそも、なんで私が誰かと一緒に暮らしている前提なのか。


「バレバレだから。あんたほとんど家帰ってないんでしょ? 誰の家に泊まってるかはこの際いいけどさ」


 そんなに家に帰っていないような見た目をしていたのだろうか。

 ……どんな見た目なんだろう、それ。

 バレバレって、どこからバレたんだろう。いつから。なんで。


 稲月の家にいることも、智星はお見通し、なのだろうか。

 頭がうまく働かない。いきなりすぎる。何もかも。


「とにかく、今日からあんたうちの子ね」


 今日から羽田って、そういうこと?

 私は混乱したまま、智星に腕を引かれた。


 稲月に拾われた時も、こんな感じだったような。つくづく引っ張られるのに縁があるなぁ、と思う。


 こうなった時の智星は、止まらない。

 智星の家についたら、稲月に連絡しないと。



「姉ちゃんおかえりー。って、彩春ちゃんじゃん! お久!」


 最後に会った時よりも少し背が伸びた文華ちゃんが玄関まで走ってくる。そのままの勢いで私に抱きついてきた。


 重くなったって言ったら怒られるかな。でも、成長を感じる重さが私に伝わってくる。


 私は文華ちゃんが飛び込んできた勢いのままにぐるぐる回って、そのまま彼女を抱きしめる形になった。


「元気そうでよかった」

「うん! ……そう言う彩春ちゃんはあんま元気そうじゃないねー」

「そうかな?」

「だからあたしが連れてきたってわけよ。喜びな、文華。こいつ今日からあんたのお姉ちゃんだから」

「ほんと!?」

「あーほんとほんと。ね、あま……彩春」


 智星の家には数えきれないほど来ているのだが、こんなことを言われるのは初めてだ。私の元気がないから、励ましてくれようとしているのだろうか。


 それにしても、拉致するとか今日から羽田とか、ちょっといきすぎているような?


 でも、それなりの理由があるんだろうと思う。

 稲月にせよ智星にせよ、理由なく変なことをすることなんてないと思う。

 いや、稲月は、するかもだけど。喉触ったりとか。


「智星お姉ちゃん、とか呼んだ方がいい?」

「すげー鳥肌立ったわ。普通に呼んで」

「あはは、じゃあ智星のままで」

「じゃあ文華は彩春お姉ちゃんって呼んでもいい?」


 文華ちゃんは大きな目で私を見上げてくる。


「……いいよ」

「やった! じゃ、彩春お姉ちゃんね! 早速遊ぼう!」

「待て待て文華。今日は彩春とちょっと大人な話があるから、あんたはリビングでゲームでもしてな。ほれ、シュークリーム買ってきたから」

「んー。わかった。じゃあ後でね!」


 文華ちゃんは智星からコンビニのビニール袋をひったくってリビングに走っていく。


 相変わらず、元気だ。五年生になっても全然変わっていない。

 お姉ちゃん。お姉ちゃんかぁ。ちょっといい響きだ。私も時々お姉さんぶりたくなる時がある。人に頼られて、スマートに助けられたらかっこいいと思う。

 それができれば、苦労はしないと思うけれど。


「これでしばらくはあいつも来ないだろうし。部屋行こ」

「……大人の話って?」

「さあ。想像しながら来な」


 智星は私の手を引いて部屋に向かう。

 本当に、なんの話なんだろう。少し怖い。


 今の私はあんまり物事を深く考える余裕がなくて、いつも心がざわついているから、刺激の強い話は受け付けられそうにない。


 でもそんなことお構いなしに智星が歩いていくから、私も覚悟を決める他なかった。

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