第20話

「これどう? これで食べたら料理がもっと美味しくなりそうじゃない?」


 稲月は猫の顔が描かれた食器を見せてくる。

 今日、私たちは稲月の提案で大型のホームセンターに来ていた。


 家庭の味を作るなら、食器にもこだわった方がいいというのが稲月の言である。


 今までは稲月の家に元々あった食器を使っていたが、新しく買うのもいいかもしれないと思う。


 もう、根っこが生えるどころの話じゃない気がする。

 ほんと、いいのかなぁ。

 そう思いながらも、私は彼女と肩を並べて食器を選んでいる。


「可愛いけど、どうせなら木のお皿とかがいいかな。あったかみがあるし」

「んー、確かに。じゃあ和食とかスープはそういうのに入れて、洋食用のお皿はこっちにしない?」

「いいよ」


 彼女はにこにこ笑いながらカゴに食器を入れていく。

 私と稲月の積み重ねがまた一つ、増えていくのを感じた。


「じゃ、お鍋とかも色々買おうか」


 彼女は私の手を引いて歩いていく。


「そういえば。なんで稲月は料理しないのに調理器具買ったの?」


 料理をする気がないはずの彼女の家には、元々調理器具が置かれていた。


「まあ、使うかと思って」

「私ばっか使ってる気がするけど」

「それでいいんだよ。元々、自分のために買ったんじゃないし」


 一人暮らしだったのに、自分のために買ったわけじゃない?

 それは、誰かが料理をしてくれることを期待していたってことで。


 誰のために買ったんだろう。彼女の両親は頻繁に料理を作りにくるような感じじゃなさそうだし。

 ……なら。


「彩春のために買った。私の知ってる彩春は料理するタイプじゃなかったけど、もしかしたら使うかもだし」


 やっぱり。

 稲月はどこまで私のことを知っているのだろう。高校一年の夏に私が家出をしていたことを知っていたから、調理器具を買ったのだとしたら。


 色々全部分かった上で、私が出没しそうな場所に先回りして、私を拾ったってことなのだろうか。


 元恋人だったのなら、それくらいしてもおかしくないのかな。

 うーん、でも。私のためにそこまでするというのには、ちょっと違和感がある。稲月の考えを完全に理解するのは、今の私には不可能かもしれない。


「稲月の知ってる私って、どんな感じだったの?」

「うーん……」


 稲月は少し考え込むような顔をした。


「今の彩春とは違って、ちょっと擦れてた。面倒臭いが口癖で、目が死んでて……でもやっぱり、豪速球の持ち主だったかな」

「豪速球って……」

「気持ちを包み隠さずに伝えてくる感じ?」


 その私は、今の私とどれくらい違ったのだろう。

 稲月が好きになる要素がどこにあって、私の告白を受け入れたのは、どういった理由からなのか。

 考えても仕方がないのに、そんなことを考えてしまう。


「あ、この鍋いいんじゃない? 可愛いし」


 稲月は薄い水色の塗装がされた鍋を指差す。


「鍋は取っ手が外れるタイプの方が使いやすいかな」

「えー。可愛さ重視でいこうよー。その方が絶対毎日楽しくなるって」

「そういうものかな」

「そういうもの! 決まりね。これ買うから」


 強引だ。

 私の意見は通ったり、通らなかったり。私と稲月の歯車は噛み合っているのかそうでないのかもわからない。


 でも、一つ一つ意見を言い合って、食い違って、噛み合ってを繰り返すのが普通なのかと思う。人と人が一緒に暮らしているのだから、完璧に意見が合うことなんて滅多にないはずだ。


 最近、稲月と意見を言い合うことが少し増えたような気がする。

 彼女は何かと大雑把だから、私が口に出さないと色々なものを散らかしがちだ。この前も化粧品をそのままにして出かけようとしていた。


 稲月からすると私はゆっくりしすぎだから、もっと急いで準備とか色々した方がいいとのことだった。


 朝は余裕を持って準備をしてのんびりしたいけれど、そんな時間があったら出かけたいのが稲月だ。


 連れ出されるのにも慣れてきて、今はもう、朝ののんびりした時間はなくなりつつある。


「あ。この際だから、お箸もお揃いとかにしちゃう?」


 彼女は食器をがちゃがちゃ言わせながら、忙しく足を動かしている。

 稲月は今日も楽しそうだ。だから私も少し楽しい気持ちになって、微笑む。


「うん。いいかもね」


 結局私たちは色違いのお箸をカゴに入れて、ぶらぶらと店内を歩き始めた。食器の類はもう買ったため、目的はない。


 こうやって手を繋ぎながらホームセンターをうろつく高校生なんて、いるんだろうか。何か普通じゃないことをしているような心地になるけれど、手を離すつもりもなかった。


 あったかい。もうすっかり慣れてしまった温もりは、それでもやっぱり心地良く感じられる。慣れることはあっても、飽きることはなさそうだ。


「お、キングサイズだって。でかー」


 稲月は展示されているベッドに座って、ごろりと転がってみせる。スカートが捲れ上がって、中が見えそうになっていた。


 智星といい、稲月といい、そういうのは気にしないのが普通なんだろうか。今日は私もスカートを履いているけれど、彼女ほど開放的というか、無頓着にはなれないと思う。


「ほら、彩春もおいでおいで。すごい寝心地いいよ」


 休日のホームセンターでは、子供がはしゃいでベッドに寝転んだり、走り回ったりしている。


 稲月も似たような感じかもしれない。

 いつもよりはしゃいでいて、ちょっと可愛く見える。いつもが可愛くないわけではないけれど、子供っぽい様子には別の可愛さがある。

 私は稲月の隣に座った。


「いいなー、キングサイズ。うちにも置こっか」

「流石に大きすぎて入らないと思う。私の部屋も稲月の部屋も、置くには狭くないかな」

「そうだよねー。んー、あー、もっと広い家に住めたらなー」


 稲月は深く考えないで話しているようだった。今の家も私には十分広いように思う。


 キングサイズのベッドが置ける家に住んで、そこに一人でごろごろしている稲月を想像してみる。

 ……ちょっと、馬鹿みたいかもしれない。


「彩春? なんで笑ってんの」

「家で一人そのベッド使ってる稲月を想像したら、ちょっとね」

「いや、なんで一人なのよ。買ったら二人で使うに決まってんじゃん」

「このサイズを二人で?」

「うん。広々使えそうで良くない?」


 一人で使うにも、二人で使うにも大きすぎる気がする。広々と使えるのはいいと思うけれど、広すぎるベッドに二人で寝たら、かえって寂しい気分になりそうだ。


「二人で使うなら、ダブルベッドの方がいいと思う。広すぎても、落ち着かないし」

「そっかー。じゃ、買っちゃおっか」

「ダブルベッドを?」

「そう。で、届いたら二人で寝るの」


 冗談か本気かわからない声色で、稲月は言う。私は少し考えてから、首を横に振った。


「やめとく。今は一人で寝ていたい」

「……そっか」


 稲月は起き上がって、私を見つめてくる。その瞳はぼんやりと私を映していた。


「今はそれでもいいや。……あとなんか、買うものあるっけ」

「食器はもういいと思うよ。……醤油と歯磨き粉が残り少ないから、帰りに買っておきたいかな」

「そ? じゃあ、そうしよっか」


 稲月はカゴを持ち上げて、ゆっくりと立ち上がる。

 そのまま彼女は私の手をとってきた。


 それから会計を済ませた私たちは、電車に乗って稲月の家の最寄駅で降りた。


 のんびりと買い物をしたためか、辺りはもう茜色に染まっていて、家を出た時よりも寒さが増していた。


 一月もそろそろ終わる。もうすぐそこまで春が迫っていて、四月になったら私たちはどうなるのかなんて少し思う。


 クラスが変わっても彼女の家に居座って、今日買った鍋で料理をしていたりするんだろうか。そうだったら良いような、悪いような。


 私は寒さに体を震わせながら、彼女の顔を見た。

 彼女はやっぱり、ちょっと寂しそうにしている。


「稲月。今日の晩御飯は、何がいい?」


 稲月がこういう顔をしている時、私にできることは多分何もないと思う。でも、それなりに料理は得意だから、家にいる間は彼女を少し笑顔にすることくらいなら、私にだってできる。

 それは、根本的な解決にはならないだろうけれど。


「……パエリア」


 稲月はやっぱり、異国の料理をリクエストした。

 もしかして稲月は私のことを外国人だと思っているのだろうか。


「わかった。じゃあ、帰りに貝とか色々買わないとね」

「楽しみにしてる」


 冬の寒い街を、のんびり歩く。私は軽く手を握って、稲月がどこにも行かないように繋ぎ止める。


 そうしている内は稲月と私の中に流れる時間が混ざって、私たちは自然と歩調を合わせることができた。私が稲月に、稲月が私に寄っていって、境界線が曖昧になっていくような感じがする。


 それだけで安心できればよかったのだけれど。

 視界がブレて今の稲月ではない金髪の稲月の姿が見えると、私は途端に不安にさせられる。胸の中にどうしようもない焦りや悲しみ、寂しさが湧き上がって、ずきずきと痛みを訴えかけてくる。


 前の私と稲月の間に、一体何があったんだろう。

 この感情は、元恋人に抱くようなものなんだろうか。


 わからない。でも、今の私たちは確かにこうして手を繋いで、同じ道を歩いている。今はそれだけで、十分だと思った。

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