第14話

 サンタさんをいつまで信じていたかという話を、ここ数年で何度か友達としたことがある。


 大抵の友達は小学校の低学年までだと言うが、私は一度もその存在を信じたことがなかった。


 良い子のところに来るはずのサンタが、私の家には来た試しがなかったからだ。


 私はあの頃自分のことを良い子だと思っていた。両親が家にいなくても泣いたりなんてしなかったし、勉強も頑張っていた。構ってほしいとか褒めてほしいと言うことはあっても、他にわがままは言わなかった。


 それなのに来ないということは、サンタなんて最初から存在していないってことだ。


 幼い私はそんなことを思っていた。

 実際、どうなのかな。


 本当にサンタなんてものが存在したら、あの頃の私の元に来てくれていただろうか。


 良い子の定義なんて、曖昧だ。私の思う良い子と両親が思う良い子は多分違って、じゃあ、誰の基準で良い子が決められているのだろう、と思う。


「……サンタじゃなくて。二人がいれば、それでよかったんだけど」


 二人はまだ帰ってきていない。

 二十五日の、午後七時。六時には帰ると言っていたはずだが、両親から追加のメッセージはない。


 両親は会社を経営している。詳しくは知らないけれど、仕事が生きがいらしく、いつも忙しそうにしていて、小さい頃は家にお手伝いさんが来ていた。


 それが嫌で、自分のことは自分でやるから、と言ったのを覚えている。

 おかげで家事は得意になった。


 今日も両親が帰ってくるかもわかっていないのに、無駄に料理を三人分作ってしまっている。


 カクテルサラダとか、ちょっとしたフィンガーフードとか。両親が食べることに興味がないのは知っているから、ちょっとでも食べてくれるように食べやすくして、見た目も綺麗に……なんて。


「どうせ、意味なんてないのに」


 三人分の食器と大皿が並べられた食卓。

 椅子には誰も座ってない。


 クリスマスだからってなんとなく半身の鶏肉を買ってきて、私はオーブンで延々とそれを焼いている。


 オレンジの光に目を焼かれそうだった。

 私は待っているのにも疲れて、ソファに座ってスマホを覗いた。

 いつの間にかメッセージがいくつか来ている。


『今日は帰れなくなりました。一月中には一度帰ります』


 母からのメッセージだ。

 何も返す気になれず、私はアプリを閉じた。


 静かな家に、オーブンの音が響く。今日は一日家の掃除ばかりしていたが、無駄だったかもしれない。


 この家は変わらないなぁ、と思う。

 誰もいないのだから変わるわけがないのだけれど、稲月の家にある私の部屋に比べると、変化が一切なくて、時間が止まっているみたいだった。


「……料理、どうしよ」


 お裾分けできる人もいないし、一人で食べるには量が多い。

 三十日までに、消費し切れるだろうか。


 ……私はもしかすると、学習能力がないのかもしれない。毎回両親の帰りを期待して、裏切られて、その繰り返しなのに。


 私は一体両親に何を期待しているのだろう。

 普通の家族みたいに仲良く過ごすことなんてとっくの昔に諦めたはずなのに、まだ縋ろうとしてしまう気持ちもあって。


「はぁ。面倒臭い」


 私は本当に、どうしようもない。

 ため息を一つついて、アプリのアイコンをタップする。色々考えるのが嫌だから、画面を極力見ないようにして一番上に表示されたトークを開いて『わかりました』とだけ送る。

 目を閉じると、乾いた空気が肌に突き刺さるような感じがした。



 自分が寝ていたことに気がついたのは、スマホの振動で目が覚めてからだった。私はぼんやりする頭を動かしてスマホを見た。電話がかかってきている。


 お母さんとお父さん、どっちだろ。

 珍しいと思いつつ、電話に出る。


「もしもし……」


 あくびを噛み殺しながら言うと、息を呑むような音が聞こえてきた。


「彩春?」


 稲月の声だ。

 私はクッションに頭を預けながら、殺しきれなかったあくびを漏らした。


「うん、いろはだよ。そちらは稲月?」

「そう。愛しの水空ちゃんだよ」

「そうですか。じゃ……」

「じゃ、じゃないよ! さっきのなんの誤爆?」

「ご……?」


 さっきのメッセージ、送り先を間違えたのだろうか。

 確かに、母の名前を確認せず一番上の人に送った。


 ということは、最後に私にメッセージを送ってきたのは稲月ということになる。

 何か用事でもあったのだろうか。


「いや、家でのクリスマスはどうかなーって思ってさ。楽しんでる? って送ったらわかりました、だし。……なんかあったのかと思った」


 たったそれだけのことで、電話してきたんだ。

 稲月は心配性だ。


「特に何もないよ。お母さんに送るメッセージ、間違えて送っちゃったみたい」

「……メッセージ送るってことは。まだ、帰って来てないの?」

「うん。今日は帰れないって。一月中には帰ってくるらしいよ」

「……彩春」


 気を遣わせたいわけじゃないから、明るい声を出した。でも、稲月はやっぱり気遣わしげな声で私の名前を呼んでくる。

 気にしないでほしい。気にされても、困る。


「ご両親が帰ってこないなら。あの時の約束、今日果たしてもらってもいい?」

「約束? ……うちに来るってやつ?」

「そ。私、特に用事ないからさ。行っていい?」


 私よりよっぽど友達が多いはずなのに、用事がないなんて珍しい。まして、クリスマスなのに。


 昨日は出かける用事があると言っていたから、クリスマスのお祝いはイヴに済ませたのかもしれない。


「いいよ。住所はね……」

「待って! メモ帳用意するから!」


 住所を告げようとすると、稲月はバタバタし始めた。

 言い終わると、がたんと音がする。稲月が椅子から立ち上がった音、だろうか。


「おっけ。これでよし。今すぐ彩春の家行くから、首洗って待ってな」

「うん。危ないから、ゆっくり来てね」

「子供じゃないからへーきだって。じゃね」


 通話が終わり、耳が静寂に包まれる。私はスマホをソファに置いて、ぼんやりと稲月を待った。


 稲月は、本当に来るんだろうか。少し経ったら『やっぱり行かない』なんてメッセージが来てもおかしくはないと思う。人の言葉というのはそれくらい軽くて、変わりやすくて、よくわからない。


 よくわからないから人を好きになるのも、信じるのも難しい。

 でも、期待を裏切られるのには慣れているから、どうでもいいかと思う。


 大抵のことは、どっちでもいい。

 あってもなくても、実現してもしなくても。人生とはそういうものだ。


 時間がゆっくり流れる。稲月と一緒にいない私に流れる時間は、ひどくゆっくりしていた。


 そんなことすら、今まで忘れていた。

 思っていたよりもずっと長く稲月と一緒にいて、そのせいで私は、自分に流れる時間の流れだとか、これまでの自分だとか、そういうものを忘れそうになっている。


 そういえば。

 稲月が来るなら、何かプレゼントを用意しておけばよかったかもしれない。クリスマスにプレゼントを送り合うような習慣がなかったから、何も買っていない。


 もらったプレゼントといえば、終業式に智星にふざけて渡された十円のチョコくらいだ。


 稲月と通話してからどれだけ経っただろう。いつの間にか時刻は午後九時になっていて、気付けば私は船を漕いでいた。


 再び眠ってしまいそうになった時、チャイムが鳴る。

 私は慌てて立ち上がり、玄関に向かう。

 扉を開けた私は、目を丸くした。


「なんでサンタ服?」

「なんで制服?」


 声が重なる。

 稲月は不思議そうな顔をしているけれど、稲月の格好の方がおかしい。


 なんで十二月の下旬にミニスカートなんて履いているのだろう。露出が無駄に多い赤と白のその衣装は、サンタさん、と呼ぶべきものだった。


「いや。良い子にしてる彩春ちゃんに、水空サンタさんがプレゼントをあげようと思って」

「……んーと。とりあえず、中に入って。それじゃ風邪引いちゃうでしょ」

「はーい」


 彼女はキャリーケースを引きながら玄関に入ってくる。

 ……荷物、多すぎない?

 何が入っているんだろう。


 こういう奇行を目の当たりにすると、ああ、やっぱり稲月なんだなぁと実感する。私の知っている稲月は、こういう稲月だ。


「で、何そのかっこ」

「それは私のセリフなんだけど……」

「クリスマスにサンタの格好するのと冬休みに制服でいるのどっちがおかしいって言ったら、制服の方でしょ」


 一理ある、のかな。

 どっちがおかしいかで言えば、どっちもおかしいと思うけれど。


「一人で家にいるときは、基本この格好だから」

「楽なの?」

「そんな感じ」


 制服を着ていれば、一人じゃないって思えるような気がするから。

 そんなこと言っても変な顔をされるだけだろうから、言わない。

 どこかに所属していたいという欲求を満たす手段がこれなんて、笑い話にもならない。


「本当のところは」

「本当だよ」

「……いつも気持ちを隠さないのに、そういうのは隠すんだ」


 サンタさんは良い子にプレゼントしに来たとは思えないほど不服そうな顔をしている。

 そんな顔、されたら。


「……子供みたいな理由だよ」


 私は制服のスカートをつまみながら言った。


「制服って、学校のものだから。こういうのを着てると、多くの人が所属してる団体に私も所属してて、一人じゃないんだ、なんて思う」


 私は笑った。


「だから。あんまり楽しくない理由でしょ?」

「楽しくは、ないけど」


 稲月は私の手を握ってくる。

 その手はいつもと比べ物にならないほど冷たい。

 寒そうな格好、しているせいじゃないのかな。


「彩春のことは、何でも知りたい。……いいことだけじゃなくて、悪いことも」

「悪いことも?」

「うん。それが彩春を構成してるものなら、全部」

「……稲月は、変わってるね」


 寂しいとか、私のそういう感情を知りたがる稲月は変わっている。

 もっと趣味とか好きなものとかについて話し合った方が建設的な気もするけれど。


「知ってる。でも、本心だから」


 本心。

 本心から出た言葉をいくつも重ねていけば、いつか稲月の心の奥まで辿り着けるのだろうか。電波で巧妙に隠されたその心の奥底を、私は知りたいと願っている。

 最後まで稲月を知って、どうするんだという話ではあるが。


「そっか。……とりあえず、立ち話もあれだし。リビングに行こうよ」

「……ん」


 私は稲月の手を引いてリビングに向かった。

 稲月の手を握っていると、やっぱり時間が経つのが少し早い、気がする。彼女の手から伝わってくる鼓動の速度があまりにも速いせいかもしれない。


 考えてみれば彼女はいつも、ドキドキしている。

 その鼓動はいつだって愛おしくて、それを感じる度に私は、稲月のことをもっと知りたくなる。

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