第3話

「つまらない」


 朝一番で私の部屋に来た稲月は、目を三角にして言った。


「ん……と?」

「一ヶ月も経ってるのに、何も置いてないじゃん。こんなの部屋じゃないでしょ」


 部屋は部屋だと思います。

 そう思いながら、室内を見渡してみる。

 ベッド、テーブル、クッション。この部屋にあるのはそれくらいで、あとは学校指定のスクールバッグとか教科書の類が部屋の隅に置かれているだけだ。


 確かにつまらないと言えばそうかもしれない。でも、家にある私の部屋も似たようなものだ。


「でも、世の中には必要最低限の家具で生きてる人もいるよ」

「そういう人はそれが趣味だから、自分で選んでそうしてるんでしょ。この部屋は、彩春の趣味がなんもないじゃん」


 そう言われると弱い。

 しかし、私には部屋を飾り立てる趣味がないのだ。だって、部屋をどれだけ自分好みにしても、空気が変わるわけじゃない。


 昔、部屋をかわいいぬいぐるみでいっぱいにしたことがある。

 あの時ほど孤独を感じたことはなかったと思う。結局、一ヶ月も持たずぬいぐるみは全部捨ててしまった。


 部屋がもので埋まれば埋まるほど、自分の孤独が際立つような気がするのはなんでなのか。


 よくわからない。よくわからないから、広々としていて寒々しい部屋にいるのが一番いいと思う。


「見に行こうよ、家具。この部屋、彩春色に染め上げちゃおう」


 稲月は得意げに笑う。

 私の好みの家具を置いてしまうと、なんだか根っこが生えてしまうような気がする。そもそも私が出ていく時どうするんだろう。そのままなのか、捨てるのか。

 ……いや、それ以前に。


「私、家具買うほどのお金ないよ」

「私にはある。奢るよ」


 コーヒー一杯奢りますよ、みたいな気軽さで彼女は言う。

 これがお金持ちってやつなのか。


 すごい。すごいというか、やばい。語彙力がなくなるくらい、稲月が金色にキラキラ輝いて見える。稲月の家の財力は私の想像を超えているらしい。


 一人暮らしなのに2LDKのマンションに住んでいる時点で、お金持ち確定ではあるのだけど。


「家具って奢るものなの?」

「そういうものにしとけばいいよ。とにかく、決まりだから。今日は彩春の部屋の家具を買いに行きます」


 稲月は私のことを世間知らずだと言うけれど、稲月だって大概世間からズレている。どこの世界に家具を奢る女子高生がいるのだろう。


 ずっとここに住むわけでもないのに。

 そんな言葉は口に出したら駄目な気がしたから、そっと喉の奥に押し込んだ。




 最近は稲月と手を繋ぐことが多いから、すっかり彼女の温かさに慣れてしまった。太陽みたい、とは言わないけれど、彼女の手には冬の毛布みたいな心地良さがある。


 とはいえ。

 家具屋に着いてもなお、ずっと手を握られていると流石に落ち着かない。


「稲月。手、離そうよ。流石に店内では変だと思う」

「でも、手を繋いでたら彩春が前の時間軸のこと、思い出してくれそうだし」


 びびびびび。

 電波が私の脳を侵食してくる。その度に私の頭は揺れて、一種の催眠状態というか、奇妙な状態にさせられる。


 どう考えても電波な発言なのに、私は自然とそれを受け入れている。何度も言われていると、本当に以前は彼女の恋人だったような気さえしてくるから不思議だと思う。


 でも、稲月と私は釣り合っていないだろう。

 方や明るくて誰からも好かれるかわいい女の子で、方やただの寂しがりな家出娘である。


 稲月と接していると否応なしに思う。

 どうして稲月はあの日、私を拾ってくれたんだろう、と。


 稲月と私は、元々朝誰も教室にいない時だけ話す関係だった。そんな私を一人で暮らしている家に招くというのは、少しおかしく思える。まして、一ヶ月も居座らせるのは普通じゃない。


 なんて、居座っている私が言えることじゃないけれど。

 ……前の時間軸なんてものが本当にあるから、私を拾った?

 うーん、考えられない。


「どれがいいかなー」


 彼女は私の手を引いて店内を歩く。

 店内には高そうな家具がたくさん並んでいる。よくわからないおしゃれな音楽が流れていて、ガラス張りの店内は陽の光がたくさん取り入れられている。


 まるでカフェみたいだけれど、あんまり落ち着かない。


 浮いてないかな。

 私は特におしゃれをするのに興味もないため、服はその辺で適当に買ったものだった。こんなところに来る機会なんて、稲月に会わなかったら一生なかったと思う。


 そう考えると貴重だけれど、その貴重さを噛み締めるほどの余裕がない。


「稲月、慣れてるね」

「彩春は緊張しすぎ。声震えてるし。手も」


 だって、震えもする。さっきからチラチラ見えている家具の値段がおかしい。多分ゼロを一個、いや、二個ほど多くつけちゃっている。


 店員さん、間違えてますよ。

 なんて、言える雰囲気でもない。


「もしかしなくても、稲月ってお嬢様?」

「んー、まあね」


 稲月はさらっと言う。私の家もそれなりに裕福だとは思うが、住む世界が違う。


「敬語とか使った方がいい?」

「いや、私が偉いわけじゃないし。それよりほら、選ぼうよ」


 手を繋いで、家具を選ぶ。

 それは多分、同棲している恋人同士がするような行為だ。ごっこ遊びなら前の時間軸とか言わず、恋人みたいに過ごそうとか言ってくれれば、私はもっと上手く演技ができていたと思う。


 実際は今の私じゃなくて、前の時間軸の私が恋人と言われているから、私は少し、どういう顔で手を繋いでいればいいのかわからなかった。


 好き、と言うのも変だ。

 恋人みたいに接するのも違う。今の私と稲月はやっぱりただの友達で、手を繋いだりケーキを一口ずつ食べさせ合ったりはするけれど、そんなに甘い関係じゃない。


 確かに、彼女から与えられるものは甘いと思う。

 思うのだけど、今の彼女が浮かべている表情は、恋人に対するそれなのだろうか。

 まあ、いいか。

 彼女の電波発言に付き合うことだけが、私が今すべきことだ。


 与えられたものに対して、お礼が少なすぎるような気もするけれど。今の私が彼女に与えられるものは多分、ないと思う。


「こういうのとかどう? モノトーンっておしゃれじゃない?」


 彼女が指差したのは、色が抜け落ちた写真の中にあるみたいな、白いソファだった。


「おしゃれかも。……でも、私には合ってないかな」

「そんなことないと思うけどなぁ。こういう感じの部屋にいる彩春とか、絶対綺麗で絵になると思う」


 真剣な顔で言うから、私は少しだけ驚いた。稲月は人との距離感が近いタイプだ。仲がいい友達も似たようなタイプではあるものの、ここまでまっすぐに人に褒められるのは初めてだからこそばゆい。


「そういうの、いいね」


 私はぽつりと呟いた。稲月は不思議そうに首を傾げる。


「そういうのって?」

「飾らない言葉で褒めてくれるの。好きだよ、私」


 繋がれた手に力が入る。稲月は目をぱちくりさせてから、きょろきょろさせて、最後にようやく笑った。


「そっか。私も、好き」

「うん。言ってもいい感情は、どんどん言い合えるといいね」


 にこりと笑う。

 言葉にしないと、どんな感情も伝わらない。言葉にしたって伝わらない感情だって多いのに、しなかったらなおさらだ。


 だから私はいつだって、好意は飾らずに伝えることにしている。言わなくて後悔するくらいなら、言った方がいい。それを相手が受け止めてくれるかは、言ってみるまでわからないけれど。


 稲月はちゃんと受け止めてくれるらしい。

 だったら、これからはもっと感謝の気持ちを伝えよう。その方が、楽しくて幸せなはずだから。


「彩春って、ほんと」

「ん?」


 稲月は何かを言いかけて、止めた。私は不思議に思いながらも、店内を見て回る。当たり前だけど、家具屋には色々なタイプの家具が置かれている。大理石のテーブルだとか、一枚板のテーブルだとか、本革のソファだとか。


 歩いていると不意に、息が詰まるような感じがした。

 無数のテーブルがあって、椅子があって、食器が置かれていて。まるで、そこで目に見えない幸せな家族が団欒しているみたいで。ここに家具を選びに来る人は、そんな幸せな家庭を築いているのだろう。


 そんなことを思うだけで体がこわばる。

 見えないものを羨んで、心の傷が痛み出すなんて、馬鹿げているにも程がある。私は唇を軽く噛んで、心を落ち着かせた。


「どうしたの?」


 めざとく私の変化に気づいたらしい稲月が、微笑みかけてくる。

 暖色の照明が、ただでさえ明るい彼女の顔をさらに明るくしているようだった。家族に愛されて育ったのがひと目見ただけでわかる、瑞々しい幸せに満ちた表情。


 彼女が幸せに生きてきたからこそ、私は彼女に拾われて、今この短い間だけ、幸せを心に注入してもらえている。


 だから、彼女を羨んだりはしない。

 してはいけないと思う。溢れ出る彼女の幸福をわずかにもらえているから、今の私は少しだけ孤独を忘れられているのだ。


 でも、ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ、自分と比べてしまう気持ちもあって。

 最低だと思いながら、私は笑った。


「なんでもない。木のテーブル、いいかも。あったかい感じがする」


 私の部屋には、どんな家具が合うのか。

 考えてみるが、わからない。

 やっぱり何もない方がいいんじゃないか、と思う。


「そう? うーん。でもなぁ。木って感じじゃないんだよなぁ」

「というと」

「んー、なんかもっと淡い色の方が似合うと思う。モノトーンもいいけど……お姫様! って感じの部屋とかも、似合いそう」


 私はお姫様なんて柄じゃない。

 でも稲月は本気で言っている様子だから、彼女のことがわからなくなる。意外に人を見る目がないのか、これも電波発言の一つだったりするのか。


「お姫様て。それは流石にいきすぎ」

「割と本気だけどなー。……言っとくけど、買わないって選択肢はなしだから」

「えー」

「いいでしょ。お金出すのは私だし、ドブに捨てたと思って買っちゃいなよ」


 あの値札を見て、そんな気持ちでいられるはずがない。

 稲月の方がよっぽどお姫様だ。ここからここまで全部ちょうだいとか、服屋でやってそう。

 私はうんうん唸りながら、家具を選ぶ作業に戻った。

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