ACT01 メイドのアリアさんは恋愛に興味津々

 アリアが起動してから、半年――。

 アリアはこの家にある本を貪るように読んでは、さまざまな知識を蓄えつづけている。

 もちろん彼女には日常生活を送る上で必要不可欠な知識は事前にインプットしてあるけど、同時に、自己学習の機能もつけている。

 そういうこともあって知識の宝庫である本を、かなり気に入っているみたい。

 それは製造者としても喜ばしいのだけど、日常業務――というか、僕の研究や日常生活の補助(こっちがアリアの主な仕事だ)に少しばかり支障が出ていることは否めない。

 時計を確認する。

 本来の夕食予定時刻も1時間ちかく経っている。

 空腹を紛らわすために、研究日誌を書いていたのだけど――。

 ぐぅ、と腹が鳴った。

 その時、扉がノックされた。


「はーい」

「マスター、アリアでございます。お夕食の準備が整いました」

「やっとか」


 独りごちてから扉を開けると、黒いワンピースの上から白いエプロンを羽織った服装のアリアがいた。

 いつもは背中に流している銀色の髪を、一つに束ねている。

 アリアの先導で食堂に入ると、豪勢な食事が並んでいた。

 アリアに椅子を引いてもらって着席する。


「ありがとう。アリア、今日は夕飯が1時間くらい遅かったけど何か問題でもあった?」

「――正確に言えば、1時間23分43秒遅かったです。申し訳ありません、マスター」

「…………そう。ん、その本はどうしたの?」


 アリアが緑色の本を胸に抱いていることに気付く。


「書庫よりお借りしました。恋愛小説、でございます」

「そういうの読んでるんだ。どんな内容?」

「貴族の女性と、一般人の男性との身分を越えた恋愛です」

「それを読んでたから夕飯が遅くなったんだ」

「いいえ。優れた演算能力がありますので、小説は一分ほどで内容を把握しました」

「それじゃあ……?」

「恋愛というものはどんなものなのか、想いを馳せておりました。私の知識には恋愛というカテゴリーは存在しないので。そうしたら気付けば,一時間も時間が経ってしまっていて……」

「ああ、すなんだ」


 たしかにアリアの知識に、恋愛は入れてなかった。

 アンドロイドが恋愛に興味を抱くなんて予想外だ。


「マスターは恋愛をされたことがおありでしょうか?」

「……ま、まあ、人並みには」

「人並みとは具体的にはどういうことでしょうか。恋愛に関する統計データが欠如しておりますので、具体的な例がありません」

「その本に恋愛とは何かってこと、書いてないの?」

「人目を忍んでおりました。デートというのは、人に見られてはいけないのですか? まるで、犯罪をおかしたかのようです」

「……それはその本のテーマが身分差の恋愛だから、じゃないかな。普通のデートは、人前でも堂々とするものだから」

「堂々と、ですか」

「そう。普通に街中を歩いたりしてる。――小説の中では、どんなことをしてたの?」

「登場人物は、手を繋ぎ、愛を囁き、キスをしておりました。なぜお互いに身体的接触を執拗に持とうとするのか、不可思議でしたが……」

「お互いを感じたいから、触れあいたいから、じゃないかな。それが恋愛でもあるし」

「身体的接触を持つということが恋愛なのですか?」

「……まあ、一般的には」


 僕は何を言っているんだろう。


「手を繋ぐことで触覚を刺激し合っているということでしょうか?」

「小難しく言えばそうかもしれないけど……気持ちの問題かな。相手を感じていると、嬉しいというか……」

「相手と触れあえると、嬉しいのですか?」

「そうだね。恋人だから」

「会話をするだけでは、満足できないのですか?」

「多分」

「キスという行為も、手を繋ぐのと同じ動機なのですか?」

「そうだね」

「大変興味深いです。――では、マスターも恋人とキスをしたり、手を繋いだりと、していたのですね。どのような方だったのですか?」

「えっ……い、言わなきゃ、ダメ?」

「マスターからは常に知識を蓄えよ、と仰っておりますので、恋愛に関しても具体例の蓄積が必要と判断しました」

「……つまり、それは、アリアも恋愛をしたいってこと?」

「私の務めはマスターの研究、日常業務の補佐ですので、恋愛をするという目的はありません。ただ、恋愛というのは非常に興味深い行為と判断しました。それで……」

「ああ、僕のことね。えーっと……学生時代に何人かと――」

「マスターの視線が揺らいでおります。恋愛の話題になってから、それ以外の話題に比べると、視線のさまよいが60パーセント上昇し、マスターが特定の話題を避けたいと思われる際の現象と符合しています」

「!? 嘘じゃないからっ! こ、こういう話は、あんまり人に話をするものではないし……!」

「承知しました。申し訳ございません」


 そんな深々と頭を下げられると、罪悪感が……。


「あ、謝らなくていいから。とにかく、恋愛の話題は話しづらいこともあるってこと。恋愛はまあ、他人にペラペラと話すことでもないし」

「そうなのですね。恋愛は秘すべきことなのに、デートの際の行動は隠さない……。不可思議です」

「うーん……ちょっと違うけど、恋愛は不可思議なところもあるもんなんだよ」

「では恋愛をするきっかけはどういうものなのですか。こちらの小説では、貴族女性が男性に一目見た瞬間、心を奪われるという展開でした」

「小説の世界ほど劇的ではないかもしれないけど、一目ぼれは確かにあるかも」

「見るだけで、相手を好きになれるものなのですか?」

「好きになるというか、気になるというか……」

「それは身体的に魅力的な部位が存在しているが故に欲情した、と解釈していいのでしょうか」

「よ、欲情!?」

「違うのですか?」


 アリアは不思議そうな顔で、首をかしげた。


「欲情っていうのは、だいぶ……ストレートな表現すぎない?」

「恋愛の目的は伴侶を得ることです。伴侶を得るのは、生殖行為――」

「そ、そこまで詳しく言わなくていいからっ」

「失礼いたしました」

「……話を元に戻すけど、そこまで色々と聞くってことはアリアは恋愛がしたいと思ってるの?」

「実践をすればこそ、理解が深まります。そのようにマスターがプログラミングをしました。恋愛ができればと考えています」

「恋愛がしたいって言われてもな……。ここには僕しかいないわけだし」

「マスターは私に一目ぼれはしないのですか?」

 欲情という言葉のせいで、なんだかドキッとしてしまう。

「恋愛対象として? それはないよ。アリアとは主従関係なわけだし……。アリアこそ、僕に一目ぼれ、じゃなくてもいいんだけど、恋愛感情は抱かないだろ?」

「はい。ですが、さきほどの身体的接触を持ちたいという気持ちですが、マスターに抱きます」

「!? え、マジで!?」


 予想外過ぎる言葉に、動揺してしまう。


「はい。マスターの身だしなみを整えるのも、私の大切な業務ですので。今朝も肩口に糸くずがありましたので、取らせて頂きました」

「それは、恋愛の時に相手に触れたいのとは絶対に違う……。だって、肩の糸をとってもアリアは嬉しくならないだろ?」

「はい……。うーん、とても難しいです」

「ちなみに、その小説ってどういう結末なの?」

「女性が男性に対して逃避行を提案しましたが、男性は断り、女性の元から去ります。そして女性は親が決めた結婚相手と結ばれるという、女性が欲情相手を容易く変更した、という不可解な結末です」

「欲情は禁止で。……それは不可解じゃなくって、男が好きな女性に幸せになって欲しいと考えて、身を引いたんじゃないかな……?」

「しかし二人はお互いに好きな者同士で、デートを重ねていました」

「でも女性は貴族階級なんだし、一般人の自分じゃ幸せにできないって考えたんじゃないかな」

「であれば、そもそも最初からデートをする必要がないのでは? 身分差は最初から分かっていたことです」

「それはそうだけど……」

「ストーリーの都合を優先したということでしょうか」

「身も蓋もないことを……。でも、実際、恋愛って一度好きになったら周りが見えなくなって止められないってことはあるわけだし。最初はうまくいくと思ったのかも知れないけど、時間が経つにつれて冷静になったら、将来的には難しいと考えたのかも」

「そのようなおとが起こるのですか?」

「恋愛っていうのは、理性では考えられなくもなるものだよ」

「つまり恋愛には現実が見えなくなるほどのトリップ効果がある、ということでしょうか。違法薬物のように危険なものです」

「そこまで危険じゃないから……!」

「しかしながら、現実が見えなくなってしまうのは十分な危険性があると判断します」

「うーん……。でも恋愛は楽しいこともあるし、ね?」

「ますます違法薬物との類似点が……」

「ないからっ。アリア、ちょっと落ち着いて」

「私は落ち着いております。取り乱しているのはマスターのようにお見受けいたしますが……」

「……確かに」

「恋愛を理解するのはかなり難しいですね……。まだ様々な要素が欠けているように思われます」

「僕もまさか、アリアが恋愛に興味を持つとは想像しなかったよ……」

「私もです。たまたまこの本を手に取り、目を通さなければ、恋愛というものに興味を抱くことはなかったでしょう。これもマスターが私に自己学習機能をつけてくださったお陰です」

「それ、褒めてる?」

「もちろんです」


 確かにアリアにはただ淡々とインプットされた命令をこなすようなパソコンのような機械にはなって欲しくなかったから自己学習機能をつけたけど、その機能がこんな形で現れるなんてびっくりだ。


「より理解ができるように精査いたします。しかしながら、マスターとの対話を通じ、恋愛を理解するためのとっかかりは掴めたと、自負いたします」

「本当に?」


 どこまで理解しているか不安しかないんだけど。

 少なくとも僕からしたら、正規ルートを思いっきり踏み外して道なき道――獣道を進むような気持ちになったけど。


「かくも恋愛というものは、複雑怪奇であるとは知るよしもございませんでした。マスターとの対話がなければ、どうしてこの本に出てくる登場人物たちがいたずらに悩んでいるかを理解することはできなかったと思います。では、冷めないうちに夕飯をお召し上がりください」

「……疑問に思ったことがあったら、すぐに報告して」


 色々変な勘違いをしたままだと、大変なことになりそうだし。


「ありがとうございます」

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