第2話 飛翔

 飲み会当日。どこにも痛みはなく、体も軽い。アルコールは完璧に抜けきったみたいだ。翼も今はなりを潜めているようで、圧迫感も感じない。

 何より、土日が控えているのがありがたい。例え今日飲みすぎたとしても、さっさと帰って部屋に籠れば大丈夫。俺の醜い翼を見せることはない。


「講義おーわり! 裕介、今日の飲み会、楽しみだねっ!」

「あー……うん、そうだな。ってか、叶実さんとは二人で飲んだばっかりでしょ」

「そうだけどー。……さん付け、そろそろやめてよね」

「……え……あっごめん!」

「…………」

「…………」


 叶実さん……いや、叶実との間に少し気まずい空気が流れた。よし、今日の飲み会が終わったら叶実さ……に告白しよう。いつまでも逃げているだけじゃ始まらないからな。


「八幡んー、叶実ー、ウチら先行ってるね~」

「おっけー。俺たちも……」


 ちらっと叶実を見るが、何か言いたげな顔で俯いていた。俺はそれを察することができないほど男として終わっている訳ではない。


「……いや。ちょっと遅れてく、先始めちゃってて」

「かしこま~」


 次々と荷物を纏めて講義室を後にする生徒たち。珍しく最後まで不動を貫いた平田に「先にいくぞ」と手を振り、俺は叶実を連れて先日の公園へと向かった。


「どうしたの、元気ないけど」

「……だって。裕介、全然心開いてくれないんだもん」

「えっ!? そうかな?」


 確かにいつまで経っても呼び捨てにしていなかったのは申し訳ないけど、大切に思っているが故にだな。二人で飲みに行ったり、色々遊んでいると思うけど……叶実にとっての俺はそう見えているのか……?


「うん。だってたまに辛そうな表情してるし、学校だって突然休むし、今日の飲み会の話だっていつか~なんてぼかしてたし……」

「いやそれは……」


 翼の話はできない。言えるわけがない。今指摘された事柄は、全部翼が無くなれば解決することなのに……。


「ほら、また険しい表情してる」

「…………」


 何も言い返せなかった。ただ、叶実を見つめ返した。


「悩み事、隠し事があるならなんでも言って。私、裕介が心配なの。少しでもいいから、頼ってほしい」


 このまま翼のことを言ってしまえば楽になれるだろう。叶実だって今ならなんでも受け入れてくれそうな雰囲気だ。この子は本当に優しい。だからこそ……。


「今日は二人で飲もう」


 この翼は絶対に見せられない。

 これが最善なはずだ……。


 俺たちは公園を出て、お酒を買いに近所のスーパーへと向かった。


「あん? 裕介と中野……? どこ行くんだあいつら?」


◇◇◇


「おつまみとお酒……そしておやつ、あと水! よーし、買い忘れはないねっ」

「……うん。なんかみんなに申し訳ないな」

「あーもぅ気にしちゃだめ! みんなには週明けに謝ろ、ね」

「はーい」


 叶実は度胸があるというか、自分に正直というか……そういうところは本当に尊敬できる。だから俺は惚れたんだよな……、今日二人で飲んでるうちに告白すれば……。


「あ」

「うん? どうしたの?」

「いや、なんでもない」

「あっほらっまた隠し事!」

「ごめんごめん、ホントになんでもないんだ」


 叶実はむすっとしていたが、俺は愛想笑いでなんとか誤魔化した。

 告白……ということは、もしかしたら俺と叶実が付き合うってことだよな? ということは、いつかは翼のこともバレてしまう訳で……。


『少しでもいいから、頼ってほしい』


 …………叶実なら俺のこんな姿も、受け入れてくれるのだろうか。


 大通りを抜け、人の少ない通りへと出た。日は既に落ちかかっており、薄気味が悪い。この道はカラスの溜まり場になっているようで、ゴミがあちこちに散らばっている。他愛もない話をしているうちに、いつのまにかこんな場所へと迷い混んでしまったようだ。


「きゃっ!?」


 叶実の小さな悲鳴と共に、彼女の手からお酒の入ったビニール袋が黒ずくめの男に引ったくられた。


「なっ……!? 待てお前!」


 俺はペットボトルの入った袋を叶実に預け、男の後を追いかける。男は通りを抜けてすぐの路地裏へと入り、俺もすぐに追い付いたはずだが、男の姿が見当たらない。

 両端の建物は落書きが大きくされており、砕けた煉瓦や倒れたゴミ箱などが散乱している。奧は石壁で行き止まりになっており、石壁もとても登れるような高さではない。


「どこ行きやがった………?」


 ゴミ箱の蓋を恐る恐る開けたりと、用心しつつ辺りを探す。半分開いているドアの後ろには……いない。中にもいない。電柱の裏には……いるはずがないか。

 そうこうしているうちに、叶実のローファーの足音が近づいてきた。


「裕介、捕まえ――――!?」


 突如、上空から男が叶実の後ろへと跳び降りてきて、そのまま彼女の口を片手で抑えた。

 フードから覗く銀髪。背丈は叶実とそう変わらないくらいだ。瞳には深い闇を感じる。なんだろう、一言で言えば危険人物だ。

 こんなときに翼が鼓動を打っている。背中が苦しい、しかし我慢するしかない。


「お前っ……叶実を離せ!」


 男は瞬きもせずに首を傾げ、残っていた片方の手で叶実の首へとナイフを突き立てた。


「まあそう抵抗するなよな。俺は久々に酒が飲めればよかったのによ、ツマミが欲しくなるじゃねえか」


 ゾッとした。やばい、こいつは本気だ。明確な殺意を感じ、翼も萎縮していることを感じる。俺は生存本能に従い、両手を上にあげて降参の姿勢を取った。


「お願いします……叶実を離してください。僕らの持ち物は全部あげますから――」

「ん。いいよ」


 意外にもあっけなく男が了承したため、思わず息を漏らしてしまった。俺が安堵する様子を見て、男は口角を限界までつり上げて笑った。


「返してあげるからさ、自分で取ってきなよ」


 男のフードが取れ、背中から漆黒の翼がせりだしていく。まさか、まさか、まさか。

 こいつも俺と同じ――――


「落ちる前にさ!」


 男が黒い翼を羽ばたかせたと思うと、叶実を抱えて宙へと消えていった。

 あれは、カラスの翼だよな? 俺と同じ……いや、俺以上に光沢が見えた。種類が違うってことか? いや今はそんな場合じゃない、早く叶実を助けなきゃ! でもどうやって? 地上で受け止めでもしたら俺は間違いなく骨折、当たり所が悪ければ最悪死――それより叶実が助かるはずがない!

 じゃあ飛ぶか? 俺は飛べないのに? いやでも試したことすらないぞ、俺ならやれる、飛んでみるしか――――


「うは……アイツら追って来てみたら、とんでもない映像が撮れちまったな……!?」


 平田!? 叶実にバレるだけならなんとか誤魔化すことができるかもしれないが、平田にまでバレたら俺はもう終わりだ。一生化け物として避けられ続けてしまうだろう。撮影までされている。逃れようがない。

 ああ、急降下する男と自由落下してくる叶実の姿が遠くに見えてきた。どうすればいい、自分を守るか、叶実を守るか、決断するしかない――――!


「うぁぁぁぁああ!」


 俺は結束バンドを外し、漆黒の翼をぴんと伸ばした。三度ほど羽ばたかせて動作を確認し、俺は願うがままに地面を強く蹴った。

 だが、ジャンプと遜色ない高さにまでしか上がらない。


「は、裕介!? なんだよお前、その背中――」


 平田に翼のことがバレてしまった、もう後戻りはできない。頼むから浮いてくれ、全身の筋肉よ動け、翼を羽ばたかせろ、行け、浮かべ――


「飛べえええええええっ!」


 巻き起こる砂煙。俺の体は徐々に高度を上げた。

 重い翼をはためかせ、俺は飛翔に成功したんだ。


「すぐに行くぞ、叶実!」


 最悪、大学生活は失ってもいい。きっと叶実なら、こんな姿の俺だって受け入れてくれる。

 だから一度だけ力を貸してくれ、翼よ! 

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クロウスレット・アベルシオン @ituru3

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